人生最大の気づき (4)
(4)後悔と自責
約6年前に家族を失ったあと、一時期、息子をさらって一緒に死ぬことも考えました。
休日に息子の通う学校を見に行ったりもしました。
しかし時を同じくして、私と同世代の人が離婚後、小学生の息子を誘拐し、焼身自殺を図った事件が起きたのです。
私はそのニュースを見て我に返りました。
そして、少しして韓国で『セウォル号沈没事故』が起こったのです。
多くの高校生が亡くなり、そのニュースを見ていると、訳も分からず涙が流れている自分がいました。
元々情に脆く、涙脆いところはありましたが、事故や災害のニュースを見て涙を流すようなことはなかったのです。
それまでの私は、全てが他人事だったことに気づかされました。
『セウォル号沈没事故』のニュースをきっかけに、全てが自分事のように感じてしまう自分になっていたのです。
「息子は死んだ訳ではなく、ただ会えないだけなのに、何なんだこの感覚は?!」
それまで、大切な方々が亡くなっていく中で悲しい思いは何度もして来ました。
しかし、『寂しい』と感じたことはなかったのです。
だから、最初は分からなかったのです。
小学生の頃からガキ大将的な存在で、群れをなすのが大嫌いで、独りが好きで、常に一匹狼的な生き方をしてきた私にとっては、『寂しさ』というものを、この時初めて感じたのです。
悲しみは一気に来て衝撃は大きいですが、引いて行くのにあまり長くはかからないように思うのです。
しかし、「寂しさ」というのはジワジワ来て、いつまでも続いていくのを50近くになって初めて知ったのです。
そして、私の中の何かが壊れ始めていくのを感じていました。
私は毎日、「何故生きなければいけないのか?」と、考えました。
毎晩寝る前に、「寝ている内に心臓が止まってくれれば良いのに」と、朝、目が覚めないことを願っていました。
一緒に暮らしている母親には、「なんで俺を生んだんだ!」と、責めました。
毎日、「たった一人の人間も幸せに出来ない奴が、生きている資格なんかないんだ!」と、自分を責め続けました。
息子に対しては厳しさばかりで、「なんでもっと優しくしてあげられなかったのだろう?」と、後悔しました。
夜中、車を走らせては息子の名前を叫んでいました。
毎日毎日、死ぬことばかり考えていました。
でも、いつも思いとどまらせてくれたのは、息子の存在だったのです。
何度か書いた遺書も、妻、親、親戚、そして友、更には司法書士の先生、考えられる全ての人に書いたのですが、息子にだけは書けなかったのです。
そして、いつも最後は息子に、「自分と同じ思いをさせてはいけない!」と、ただその一心で思いとどまったのです。
(つづく)
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