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2019年7月31日 (水)

気づきの前兆 (2)

(2)試験受け

その彼が言う、「自信が無い。自分が思っていることをハッキリ言うことが出来ない。言われたことしかやらない自分が嫌い。もっとハッキリと自分の考えを言えるようになりたい。」ということに、私は、なぜ?いつ頃からそうなってしまったのかを問います。


しかし、なかなか核心的な話は出て来ません。


「いつ頃から自信が無くなってしまったのかな?」

「子供の頃は、もっと明るくて元気だったんじゃないの?」

「子供の頃は、何をやってるときが好きだった?」

「部活は何をやってた?」

「家族は?」

「兄弟は?」

「家族のことは好き?」


私は何度も色々な角度から彼に問いかけました。

そして、私が問いかける内に彼が次第に話し始めたのです。


「小さい頃からいつも父が母に暴力を振るっていて、それが嫌だったんです」

「中学生の時、父が母に凄い暴力を振るっていて、母を助けようと思って止めに入ったら、それが原因で母が大怪我をして入院してしまったんです」


私は聞きました。

「どんな怪我だったの?」

「そうか、命に関わる様な怪我じゃなくて良かったな」


彼は言います。

「でも、僕が悪いんです」

「僕が止めに入らなければ母が大怪我をすることはなかったんです」


私は更に聞きました。

「本当にそう思うの?」


「はい」


「そうか・・・」

「君は、お母さんのことが大好きなんだな」


「はい」


「君は中学生になって、身体も大きくなって来たから何とかなるんじゃないかと思ったの?」


「はい」


「でも、ダメだった」

「そして、お母さんに大怪我をさせてしまった」


「はい」

「僕が止めに入らなければ、母が怪我をすることはなかったんです」


「本当にそう思うの?」


「はい」


「でも、君が止めに入らなかったら、もっと大きな怪我をしていた可能性もあったんじゃないのかな?」


「いえ、僕が止めに入ったから、母は怪我をしたんです」


「そうか・・・」

「君はずっとそうやって自分を責めてきてたんだなぁ」

「だから、自分から何か言ったり、やったりするのが怖くなっちゃったんじゃないの?」


「そうかも知れません」


「そうか・・・」

「中学生の君は、お母さんを守る為に折角勇気を振り絞って親父に立ち向かったのに、お母さんは大怪我をして入院しちゃったのか・・・」


「はい」


「そうか・・・」

「それは、辛かったなぁ」

「悔しかっただろ?」

「自分のせいで、お母さんがって」

「自分が余計なことをしなければって、ずっと思ってきたんだろ?」


「はい」

(彼は涙を流し始めるのです。そして、私も彼や彼のお母さんの気持ちを考えると涙が溢れてくるのでした。)


「でもさ、俺は思うんだよ」

「もし俺が君のお母さんだったとしたらさ、君のことを恨んだりはしないと思うんだ」

「逆に、大好きな息子が初めて自分を助けようとしてくれたって、嬉しかったと思うよ」

「そして、怪我をしてしまって、ごめんねって、思ってると思うんだよ」

「君が自分自身を責めている姿を見る度に、お母さんも苦しんでるんじゃないかな?」

「私が怪我さえしなければって・・・」

「ごめんねって・・・」

「そう思っていると思うよ」


「小さい頃の君は、今よりもっと明るくて、元気があって、積極的だったんじゃないのかな?」

「それを知っているお母さんは、君が自分を責め続けている限り、君と同じように苦しんでいると思うんだよ」

「折角あの子が勇気を振り絞って私を助けようとしてくれたのに・・・」

「私が怪我をしたばっかりに・・・」

「あの子は何も悪くないのに・・・」

「あの子はただ私を助けようとしただけなのに・・・」

「私はあの子に責任を感じさせてしまっているって、そう思っていると思うんだよ」

「きっとお母さんも、君と同じように自分を責め続けて、苦しんでいると思うんだよ」


「なぁ、もう許してやれよ、自分を」

「お母さんの怪我は、事故だったんだよ」

「しょうがなかったんだよ」

「だって君は、お母さんに怪我をさせようと思って止めに入った訳じゃないだろ?」


「はい」


「ただ、お母さんを守りたかっただけなんだろ?」


「はい」


「お父さんだって、きっと後悔していると思うぞ」

「だって、それからは暴力を振るわなくなったんだろ?」


「はい」


「なら、もういいじゃないか」

「君は、お母さんのことが好きなんだろ?」


「はい」


「なら、もう自分を許してやれ」

「自分を許すってことは、君のお母さん、そしてお父さんも許すことになるんだよ」

「中学生の頃から考えたら、もう15年位苦しんで来たんだろ?」

「もう、自分を責めるのは止めろ、なっ」

(彼は号泣するのです。彼の閉ざされた心が溶けた瞬間でした。私も一緒に泣きました。)


(そして彼の号泣が落ち着くのを見計らって私は言いました。)

「もう、許せるよな、自分を」


「はい」


「そうだ」

「そして、もっと明るく、積極的に、自分の気持ちに素直になって、何でも言える自分になるんだ」

「明るく積極的に生きて、君自身が幸せになることが、お母さんを安心させ、喜ばせることになるんだからな!」

「君自身が幸せになることが、周りを幸せにすることになるんだぞ!」

「わかるよな?」


「はい!」


「自信というのはな、『自分を信じる気持ち』なんだよ」

「普通は、何かを一生懸命やって、成し遂げたり、達成したりして、その実績で自信がついていくんだ」

「でもな、それは全て『過去どれだけ頑張って来たか』っていう根拠にしかならないんだよ」

「過去の根拠は、未来の保証にはならないんだよ」

「だから、根拠のある自信は、その根拠が無くなったとき、簡単に崩れ去ってしまうんだ」

「分かるか?」


「はい」


「じゃあ、『自分を信じる』っていうのは、何を信じるのか?」

「未来なんだよ」

「自分の過去ではなく、自分の未来を信じることなんだよ」

「過去は関係ないんだよ」

「自分の未来を信じて、その未来に向かって、『今』この瞬間から頑張れば、それでいいんだよ!」

「分かるよな?」


「はい!」


「では聞くけど、君は自分の『明るい未来』と『暗い未来』のどちらを信じるんだ?」


「明るい未来です!」


「そうだよな!」


「自分の明るい未来を信じて、それに向かって、今から頑張ればいいんだ!」

「自分の未来を信じる気持ち、それこそが『自信』なんだよ!」


「はい!」


「でもな、明るい未来を信じていても、途中で色々困難なこととか、苦しいこととかは起きるんだよ」

「それでも自分の未来を信じ続けて頑張るんだ!」

「するとな、その信じる気持ちはいつしか『信念』になるんだよ」

「そして、その信念を持ち続けると、それはいつしか『確信』になるんだ!」

「わかるか?」


「はい!」


「そこまで頑張り続けられるか?」


「はい!」


「明るくて積極的な自分になれば、素敵な彼女だって出来る!」

「彼女が出来れば、結婚も出来る!」

「結婚して幸せな家庭を持ちたいんだろ?」


「はい!」


「結婚したら、子どもも出来る!」

「そうしたらご両親に孫の顔を見せられるんだぞ!」

「お母さんもお父さんも、きっと喜んでくれるぞ!」


「はい!!」


「変われるな?」


「はい!!」


「今までの自分とは、おさらばするんだぞ!」

「明るい未来を信じて、幸せな自分になるんだぞ!!」


「はい!」

「絶対に変わります!!」


「よし!」

「俺は君を信じる!」

「絶対に変わるんだぞ!!」


「はい!!」


「約束だぞ!!」


「はい!!!」


「よし!俺は君を信じる!!」

「絶対に変われると信じる!」

「そうしたら、一旦ここで試験は修了するけど、今の話しは俺と話していて出て来た話しだ」

「だから、今話したことと感じた気持ちを、もう一度他の人に、今度は君自身の自分の言葉で、その想いを伝えるんだ」

「いいか、それが出来た時、君のトラウマは、もうトラウマではなくなるんだ」

「そして、誰にでも自分から心を開いて、自分の気持ちを素直に伝えられるようになるんだ!」

「そうすれば、どんな困難なことにも立ち向かっていけるようになるんだ!」


「はい!」


「変わるんだぞ!」

「俺は君なら出来ると信じてるからな!」


「はい!!」


「只今の点数は○○点!」

「一旦戻って点数を書いたら、直ぐに戻って来て、もう一度チャレンジな!」


「はい!」

「ありがとうございました!!」


この彼は、私の中では既に『合格』でした。

しかし、私たちの研修では、最初の合格の時は、あえて合格にはしないのです。

なぜなら、共感共鳴の部分は、その人との相性で、感情を出し易かったり出し難かったりがあるからです。

また、最初の合格レベルは、インストラクターやトレーナーが引き出すことが多く、最後は自分自身の力で『やらせ切る』ことが大切だからです。


彼は、この後の試験で見事合格となったのでした。


しかし、この試験を受けていた時の私は、まさか後日、自分で自分を許すことになるとは考えてもみませんでした。

ただ、彼と彼のお母さんが、どれほど苦しんで来たかを思うと、彼の試験受けの内容は、私の胸に深く刻まれていたのでした。


そして、それから約2ヶ月後、私は一人の女の子との出会いから気づきを与えられ、自分で自分を許すことになるのです。


いつも思っているのですが、研修生は私たちインストラクターやトレーナーにとっては、『鏡』のような存在なのです。

こうして、インストラクターやトレーナー、そしてアシスタントたちも、いつも研修生に気づきを与えて貰っているのです。


気づきとは、その場で気づく気づきもあれば、私の様に後から気づく気づきもあるのです。

そして、気づきにより、人は真の成長をするのではないでしょうか。


私たちの研修は、どちらか一方が何かを教える研修ではないのです。


『双方が気づきを与え合う研修』

それが私たちの研修なのです。


私たちの研修が、『心の研修』、『気づきの研修』といわれる所以です。


『我以外皆我師也』


私の大好きな言葉の一つです。


『気づきの前兆』 (了)

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