捨てた肩書 (2)
(2)苦しんで良かった
息子が私の所へ戻って来るために、私が息子に与えた課題とは・・・。
それは、『私の所へ戻ることへの母親の了承を自分で取って来い』というものでした。
それは、これからの息子の人生を考えた場合、いくら今は好きではないと思っている母親であったとしても、悪い形で別れるべきではないと考えたからなのでした。
私は、「お前がどうしようもない時は、とうちゃんがお母さんと話しをして何とかするけど、その前に、お前の人生なんだから、お前が自分の力で切り拓くんだ」と話したのです。
その後、私は息子に対し、話す内容や話し方、そして話すタイミングなどの策を与えたのです。
そして12月に入り、息子は見事、自らの力で母親の了承を得て、学校が冬休みになった年末に、私の所へ戻って来たのです。
実際に私が息子と別れて暮らしていたのは、3年ちょっとでした。
後から振り返ると、たった3年なのです。
しかし、その3年間(特に最初の1年間)、私がどれだけ後悔と自責の念に苦しめられたことか・・・。
ある時、「もし、3年で戻って来ると最初から分かっていたら、きっとあんなには苦しまなかったんだろうな」という思いが過ったのです。
しかし今の私は、「苦しんで良かったんだ」と思っているのです。
なぜなら、苦しんだことで、過去の誤った考え方を捨てられ、スパルタ親父から変わることができ、今では息子と良好な親子関係を築けているからです。
私が捨てた、『過去の誤った考え方』というのは・・・。
一言でいうと、『親』という肩書を捨てたのです。
そもそも離婚をした時点で、私は『親権』を失い、『保護者』ではなくなりました。
息子にも、「今後は親ではあっても、親としての教育的発言は一切しない」と、別れる時に息子に持たせた手紙の中にも書いて約束していたのです。
私の中では、「何かあった時には親としての責任は俺が取る!」
そして、「何かあった時には、絶対俺が守ってやる!」
「仮に、世界中がお前の敵になったとしても、俺だけはお前を信じる!」
そう心に決めたのです。
私は苦しみの中で、息子を一人の人間として観た時、私は人生の先輩であるだけで、それ以上でもそれ以下でもないということに気づいたのです。
そして、親だからといって、息子に何かを強制したり、支配したりする権利もないことに気づかされたのです。
私がするべきことは、息子を一人の人間として尊重し、息子が選択した道を決して否定することなく、応援し続けることだと思ったのです。
別れる前の私は、息子に私の考え方や価値観を押し付けていただけなのでした。
それは、『スパルタ』という名の強制を息子に強いていたということなのです。
そして、『スパルタ』という名を借り、親としての『威厳』を誇示していたのだと思うのです。
私なりに息子の幸せを考えてのことでしたが、それは当時の私が考える幸せであり、息子の幸せではないことに気づかされたのです。
私の元へ戻って来てから、息子に何度か言われました。
「ゴルフをやらされていた時は、本当に嫌だった」と。
「ゴルフが嫌いになったのは、とうちゃんのせいだからね」と。
今では笑い話として言えるようになっていますが、あの頃の息子は、きっと私が親父にやらされた密教の『千座行』に対する気持ちと同じだったのだろう思います。
そしてそれは、『親』という肩書を使った『パワハラ』でしかないと、今では思っています。
私は思うのです。
今の世の中、色々な『ハラスメント』がありますが、私と同世代の昭和の香りがたっぷりな人たちは、自分でも気づかない内に、知らずと何らかのハラスメントをしてしまっている人が多いのではないかと。
私もまだまだだとは思いますが、息子に対する考え方を変えられたことで、接し方を変えられ、話す内容も話し方も変わりました。
そして、関係も変わったのです。
息子が教えてくれたのです。
親子に限らず、会社の肩書もあくまで役割と責任の違いと考えて一度捨ててしまい、仕事仲間のみんなを家族の様に考えて、愛情を持って接していけば、ハラスメント問題も減るのではないかと思うのです。
そして何より、『肩書』を捨てると、人生が楽になると思うのです。
私の元へ戻って来た時の息子は、姓を母方から私の方に変更することを希望していました。
そして、母からの了承も得て、大学への入学を機に変更する予定にしていました。
しかし、まだ変更はしていません。
昨年、私が本当に変更したいのかを聞くと息子が言ったのです。
「僕は、どっちでもいい」
「僕は、○でも(私の性)、○○でもなくて(母方の性)、○○○だから(自分の名前)」
それを聞いた私は嬉しくなりました。
息子にとっての姓は、既に『肩書』みたいなものになっていたのでした。
そして、息子は既に一人の人間として歩み出していると感じたのです。
私は言いました。
「なら、未成年の内は、今のままで良いんじゃないか」
「お前が成人して、変更したければすればいいし、しなくても良いと思えばしなくていいよ」
「成人したら、お前の好きなようにすればいい」
親子関係で悩んでいる方や、ハラスメント問題で悩んでいる方の何かヒントになってくれると良いなと思うのでした。
『捨てた肩書』 (了)
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