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2019年8月24日 (土)

存在というもの (2)

(2)存在に感謝

私が毎日池江選手のHPで応援クリックをする度に、世界中の言葉で『ありがとう』のメッセージが、シャボン玉、あるいは水泡のような形で浮かんでは消えていくのです。


そして、毎日HPの池江選手の泳ぐ画像を見ていて、彼女の無事を願い応援しているつもりが、いつしか自分が応援されている気持ちになって来たのです。


そして、息子が小学生の頃、毎朝一緒にウォーキングをしていた時に息子に話した話しを思い出したのです。


息子が小学3年生か4年生位の頃だったと思います。


私たちは毎朝6:30頃から、近くの緑道(1周3Km位)をウォーキングしていました。


その際、私と息子は、すれ違う全ての人に元気よく「おはようございます!」と挨拶していました。

そして、ほとんどの方は挨拶を返してくれるのです。


ある日のこと、ウォーキングを始めた直後にすれ違ったおじいさんに、いつも通り二人で元気よく「おはようございます!」と挨拶をしたのですが、そのおじいさんは挨拶を返してくれなかったのです。


それに対して息子は、「折角挨拶してるのに何でしてくれないんだ!」と、私に怒って言ったのです。


私は、「そうだなぁ、でも、もしかしたら耳が遠くて聞こえなかったのかも知れないし、考え事をしていて聞こえなかったのかも知れないなぁ」


「でも、挨拶を返してくれなかったからって、お前が怒ることじゃないんだよ」

「挨拶は、相手の人に返して貰うためにしてるんじゃないんだよ」

「挨拶は、とうちゃんとお前がしたくて勝手にやってることなんだからな」


「もし、あのおじいさんがいなかったら、挨拶できなかったんだぞ」

「だれもいないところで壁に向って挨拶はしないだろ?」


息子はその姿を想像したのか、笑いながら「そうだね」と応えたのです。


私は、「だから、あのおじいさんは、挨拶を返してはくれなかったけど、居てくれただけでありがたいことなんだよ」と話して聞かせたのです。


当時の私は、ジョギングもウォーキングもほぼ強制で一緒にやらせていましたので、スパルタではありましたが、こういう話を歩きながら、私なりに一生懸命聞かせてもいたのでした。


池江選手のHPで毎朝応援クリックをしている内に、そういう想いが蘇って来たのです。


そして、始めの頃は池江選手や、そのご家族、特にご両親の心痛を思い、無事を願うだけの気持ちだったものが、いつしか池江選手の存在そのものに対する感謝の気持ちが溢れてくるようになって来たのです。


そして池江選手を生み育ててきたご両親や、そのご家族にも同じ気持ちが生まれて来たのです。


今では、『無事を願っている』のではなく、『無事を願わせて頂いている』という気持ちになっているのです。


これまでも、そういう考え方は頭では分かっていました。

そして、人に話したり、教えたりもしてきました。


でも、今回、池江選手のお陰で、『人間の存在そのものに価値があること』を心底感じることが出来たのです。


息子以外の存在で、それも直接会ったことも無い人に、心底、『生まれて来てくれて、ありがとう』と思えたのです。


池江選手の無事を願う気持ちから始めた、たった1日1回のクリックから、こんなに大きな『気づき』というご褒美が頂けるとは考えてもみませんでした。


『池江璃花子さん。これからも毎日、貴女の無事を願って、1日1回応援クリックをさせていただきます!』


『貴女の存在に感謝します!』


『ありがとうございます!』

『存在というもの』 (了)

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