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2019年11月

2019年11月30日 (土)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (11)

(11)一石二鳥

バスは、西武秩父駅の手前で多少の渋滞になったが、ほぼ予定時刻通りに到着したのだった。

寝ていたはずの俺の前の席の女性は、到着すると真っ先に降りたのだった。

俺が降りると、既に数m先を彼女は駅に向って歩いていた。


俺は、帰りも同じ電車ってことはないよなぁと思いながら彼女の後ろを歩いていた。

すると、彼女は駅の手前でキップ売り場とは反対方向の左に折れて、駅の外に出て行ったのだった。

そっちは駐車場と民家くらいしか無かった。


俺は思った。

もしかして彼女は地元の人だったのか・・・?。

しかし、彼女がどうあれ、朝から一日楽しませて貰ったと思い、俺は内心で彼女に礼を言った。


特急券を買う為にキップ売り場に行くと、中学生と思しきテニス部の集団が大勢並んでいた。

俺はその集団の直ぐ後ろに並んだ。

特急券の購入まで、15分ほど時間を要した。

一応、16:25発のレッドアローの特急券の購入は出来たのだった。

到着予定は17:46だった。


俺は乗車前に一服しておこうと思い、朝行った同じ喫煙所に行った。

タバコを吸い始めると直ぐに、俺はまたトイレに行きたくなったのだった。

俺は、タバコを半分も吸い終わらない内に一服を中断してトイレに走った。

トイレに行った俺は、バスの途中、あのタイミングでしておいて良かったと思ったのだった。


俺は缶コーヒーを買って、まだ少し早かったがレッドアローに乗車した。

俺はこの後、池袋で会う小学5~6年生時の恩師のF先生にメールをしたのだった。

予定の電車に乗れたから、17:30に池袋に着くと。

レッドアローが発車すると、車内アナウンスで池袋到着が17:46とアナウンスされたのだった。


俺は、勝手に17:30と思っていたのだが、17:46だと知り、F先生に再度メールをした。

そして、池袋で更に合流予定の同級生のK池にもLINEを送ったのだった。


池袋には、俺がウトウトしている内に到着した。

池袋の改札を出ると、直ぐにF先生の後ろ姿が目に入り、俺は声を掛けて合流した。

そして、本来はF先生もそこで合流するはずだった待ち合わせ場所に二人で向ったのだった。


待ち合わせ場所の西口の交番前に同級生のK池はいた。

しかし、その姿は、2年前に合った時とは違い、やせ細り、様変わりしていたのだ。

一気に10歳以上老けこんだように見えた。

K池は何やら病気を患い入院していたとは聞いてはいたのだが・・・。


俺は、今回の三峯神社への参拝の際に、同級生の何人かに声を掛けたのだった。

みんな仕事なんかで都合がつかなかったようだったのだが、K池だけは先生に会いたいと、仕事の後に池袋での飲み会にだけ参加して来たのだった。


俺は、6年前初めての三峯神社への参拝の為に池袋に前泊した際、同様にF先生と会って一杯やったのだった。

その時が2~30年振りの再会だったのだ。

以来、F先生とは最低一年に一回は会うようにしている。


俺は、先生が先に亡くなるのか、俺が先に死ぬのかは分からないが、いつか会えなくなると思っているのだ。

俺は、40代に何人もの大切な人との別れを経験して来た。

だから、大切な人には、出来るだけ会える時に会っておくという思いなのだった。


K池は特に俺と仲が良い訳ではなかった。

しかし、K池とは中学も同じだった。

多分、K池も俺と同じような思いで、参加して来たのだろうと思っていた。


F先生は、三峯神社との一石二鳥に都合の良い場所に暮らしてくれていて、俺にとっては大助かりなのであった。


(つづく)

2019年11月29日 (金)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (10)

(10)緊急事態

14:30に発車したバスは、一路『西武秩父駅』に向って走り出した。

到着の予定時刻は、15:45だった。

バスが走り出すと直ぐに俺の目の前の座席の豹柄の様なパーカーの女性の頭が左右に揺れ出したのだった。

俺は居眠りをしているのだろうと思った。


バスが山道を右に左にとカーブする度に彼女の頭は大きく揺れた。

俺の右膝は体育座りのような形で座席の右側に出ていた。

次第に彼女は頭だけではなく、身体ごと揺れ始め、俺の右膝に彼女の身体が時々当たった。

俺は悪いと思って右膝を引っ込めた。

その少し後の大きな左カーブの時だった。

彼女の身体は大きく右に傾きイスからずり落ちそうになったのだった。


俺が、危ないと思ったその時だった。

彼女は右足を出して、ドン!と床を踏み、踏みとどまったのだった。

しかし、彼女は起きていなかったのだ。


彼女は態勢を立て直すと直ぐにまた同じ状況になった。

俺は、スゲー!と思った。

そして、込み上げて来る笑いを抑えるのに必死だった。

俺は口に手を当てて笑いを堪えた。


そして、カーブが少なくなって来ると、今度は彼女の頭は前後の揺れが大きくなって来たのだ。

それこそ、のけ反るように首が後ろに傾き、俺からもう少しで顔が見える位まで傾いて来るのだった。

その内、被っていたパーカーのフードも脱げて、寝ながらも彼女はフードを何度も被り直すのだった。


俺は、その姿にも可笑しくてしょうがなかった。

この子面白過ぎると笑いを堪えるのに必死だった。


そして、行く時におばあちゃんたち二人を降ろした辺りに近づいてきた頃、俺は小便がしたくなって来てしまったのだった。

笑いを堪えている内に膀胱が刺激されてしまったようだった。

俺は、まずいと思った。


俺は、結石になってから、小便の我慢があまり出来なくなって来ていたのだ。

まだ、発車してから15分位しか経っていなかった。

駅までは、まだ1時間位あった。

俺は、考えた。


しかし、俺の目の前では前後に揺れる頭があった。

俺は可笑しさと小便の狭間で揺れた。

そして、取りあえず我慢出来る所まで我慢することにしたのだった。


その直後だった、バスは最初のバス停の秩父湖を通過したのだ。

そして、俺の目に飛び込んで来たのは、『御手洗い』と大きく書かれた公衆便所の文字だった。

俺は、しまったと思った。

無情にもバスはトイレを通過してしまったのだった。


すると、俺の身体は俺の意志とは反対に、余計にトイレに行きたくなって来たのだった。

俺は、意を決して席を立ち、運転手の横へ行った。

そして、小声で囁いたのだった。


「すいません・・・」

「ちょっとトイレに行きたくなっちゃって・・・」


運転手は言った。


「今の所にトイレがあったんですよねぇ」


「そうですよねぇ、大丈夫と思ってたんですけど、あれを見たら余計に行きたくなっちゃって・・・」


「限界ですか?」


「もう少しは大丈夫ですけど、限界に近いです・・・」


「次にトイレがあるのは、大滝温泉遊湯館なんですよ」


「なんとかがんばります・・・」


俺は答えて席に戻ったのだった。


俺は、この時思ったのだった。

前方の座席で良かったと。

後方だったら、言い出せなかったかも知れないと思ったのだった。


それからの俺は、バスの走る前方しか見なかった。

前の席の女性の頭を見ていると、可笑しくて我慢が出来ないと思ったのだ。

そして、バスは10分ほど走り、『大滝温泉遊湯館』に着いた。


運転手は、俺にトイレの場所を教えてくれたのだった。

そして、俺は聞いたのだった。


「待ってて貰えますか?」


運転手は、待ってますと言ってくれた。


俺はバスを降り、小走りでトイレに向った。

トイレでは、かなりの量の小便が出た。

し始めても全然止まらなかったのだ。

缶ビール1本に缶チューハイ2本が効いてしまったようだった。


小便を終えた俺は小走りでバスに戻った。

すると、待っていたのは俺を乗せたバスだけではなく、後ろのバスも一緒に待っていたのだ。

俺は申し訳なく思った。


バスに乗り込み、俺は運転手に礼を言い、後方の乗客全員に向って、お待たせしてすいませんでしたと頭を下げて席に戻ったのだった。

俺はやっと寛いで、車窓の外の風景に目をやった。

目の前の彼女は相変わらず頭をのけ反らしたまま寝ていた。

マスクをしていたから分からないが、きっと大口を開けて寝ているのだろうと思うと、また笑いが込み上げて来るのだった。


(つづく)

2019年11月28日 (木)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (9)

(9)一期一会

随身門から参道を下った俺は、行く時に入って来た鳥居の前で足を止めた。

そして鳥居に向って一礼をし、再び鳥居をくぐり、振り返って再度一礼をした。

入る時と同様、やはり鳥居の内と外の違いを感じなかった。

前2回は、出る時も内と外の違いをハッキリと感じられたのに、今回は感じられなかったのだった。


俺の感度は鈍ってしまったのかも知れない。

しかし、それならそれで良いと思った。


俺は、人の気持ちとか色々なことで、敏感過ぎるところがあり、内心では少し鈍感になりたいと思っていたのだ。

些細なことで気を使い過ぎて疲れるのだ。

鈍すぎるのもどうかとは思うのだが、ある程度は大らかな方が良いと思うのだ。

そういう意味では、今回感じなかったのは良いことなのかも知れないと思ったのであった。


鳥居を出た俺は、正面に見える、『焼きシイタケ』に真っ直ぐ向った。

この日のシイタケは、『原木シイタケ』と書かれていた。


俺は、シイタケを焼いていたおじさんに1本注文した。

おじさんから2~3分かかりますよと言われ、俺は了承した。

俺は、焼いて貰っている間、道路の向いにある喫煙場所で一服した。


シイタケは、タバコを吸い終わらない内に焼きあがった。

俺は、200円を払って焼きたてのシイタケを手にした。

シイタケは醤油で焼かれていて、少し残念だった。


俺は、紅葉をバックにシイタケの写真を撮った。

そして、直ぐには食べずにシイタケを手にしたまま、『ヤマメ』のある蕎麦屋に向った。

俺は、『ヤマメ』1つと500mlの缶ビール1本を注文して手にした。

外の小さな囲炉裏を模したテーブルが空いていたから、そこに座ろうとしたのだが、5~6人のおばさんに先に取られてしまったのだった。


俺は道路の向いにあるベンチに行った。

しかし、ベンチに置いて食べるのは何かぎこちなく感じた。

目に入ったのは、向い側の4人掛けのテーブル席に一人で座って餅を食べている、年配の女性の後ろ姿だった。

俺は、合い席をさせて貰おうと、女性に声を掛けて合い席をさせて貰った。

女性は俺より少し年上な感じで品のある感じの人だった。


俺がヤマメを頬張っていると、女性は何の魚なのか聞いて来た。

それをきっかけに数分の会話となった。

女性は、今回が初めてでバスツアーで来たと言った。

そして、もちを食べ終わると、席を立って行った。


俺はこう言う時、雑談が苦手なせいで、あまり会話をしないのだが、話してみると、こういう取りとめのない話しもたまには良いなと思ったのだった。


俺は、ヤマメとシイタケで缶ビールを1本空けた。

そして、今度は350mlのグレープフルーツの缶チューハイとみそこんにゃくを買ってきた。

みそこんにゃくを食い終わると、再度ヤマメが食べたくなった。

しかし、ヤマメを前に隣の芋田楽も気になり、俺は変更して芋田楽にしたのだった。


芋田楽を食べてみて、やっぱヤマメにすれば良かったと思った。

芋田楽で2本目の缶チューハイも空けた。


俺は席を立ち、もう一本シイタケを食おうと思った。

同じグレープフルーツの缶チューハイをもう一本買った。

そして、焼きシイタケに向った。


焼きシイタケを待つ間、俺は缶チューハイ片手に一服した。

時間を見ると、13:30を少し過ぎたところだった。

丁度秩父駅行きのバスが出た頃だと思った。

次のバスは14:30だった。

俺はそのバスで帰る予定にしていた。


一服を終え、新たなシイタケを手にした俺は、ゆっくりと食べながらバス停に向った。

シイタケを食べ終え、3本目の缶チューハイも空いた頃、俺はバス停に着いた。

バス停には、次のバスを待つ人が既に十数人並んでいた。


その中には、朝一緒だった豹柄の様なパーカーの女性もいた。

その後ろにやたらイケメンな20代の青年がいて、その青年が最後尾だった。

青年は建物の縁に腰かけ、その後ろがベンチで、俺はベンチに腰掛けた。


豹柄の様なパーカーの女性は、立って本を読んでいた。

本のタイトルは見えなかったが、読んでいる本はアガサ・クリスティだった。

何か意外な感じだった。


俺がベンチに腰掛けると、青年が右側になり、テーブルのコーナーに座っているような形になった。

俺が青年に話し掛けると、青年は愛想よく答えた。

28歳で六本木の外資系証券会社に勤めていて、商品企画のような仕事だと言った。

リュックを背負ってジョギングのようなスタイルだったことから、それを聞くと、来る時は途中でバスを下りて、登山口から歩いて上って来たと言った。

どうやら、彼女と一緒に来たのに、彼女はバスで、彼は一人で登って来たらしい。


青年が立つと背は180を超えるくらいあり、笑顔の目は錦戸亮に似ていた。

俺がそれを言うと、若い頃は良く言われたらしく、最近では久し振りだと言った。

俺からすると、背が高く、錦戸亮より遥にカッコイイ青年だった。

彼の彼女がどんな女性なのかと俺は楽しみになった。


バスの発車時刻の20分ほど前に、俺はトイレに行った。

俺がトイレから戻っても、青年の彼女は来ていなかった。

俺がそれを聞くと、青年は指を指したのだった。


俺の二人後ろの位置のベンチに座っていた。

俺が、ここに呼んだら良いのにと言っても、青年は何故か素っ気なかった。

ベンチに座る彼女は俯き加減に下を向いていた。

俺は内心で、ケンカでもしたのか、彼があまり好きではないのかと考えた。


俺は、彼女が可哀そうだよぉと言って、席を立って彼女に声を掛けた。


「こっちに来たいよねぇ?」


彼女は、俯きながらも小さく頷いたのだった。

俺は、じゃあおいでと彼女を呼び、俺と青年の間に並ばせたのだった。

立っていた青年の横に並んだ彼女は、同様に彼の横に立っていた。

俺は、座っていたベンチを少し移動し、二人に座るように促したが、二人は座らなかった。

下から見た彼女は、何か凄く暗い感じだった。

さっきまで愛想良く話していた青年の彼女にしては、何か違和感みたいなものを感じたのだった。


俺は青年との会話を止め、もう一度トイレに行こうかと考えた。

その時、バスが来たのだった。

俺はトイレを諦めバスに乗った。

先に乗車した人たちは後方の座席から座って行っていた。


俺は青年とは逆の前方の席に行った。

すると、豹柄のようなパーカーの女性が、来る時に俺が座っていた左側の最前席に座っていた。

空いていたのは、その後ろで、俺はその席に座った。

その席はタイヤの上の席で、座席と足場の段差が小さく、足をかがめないとダメで、座ってから失敗したと思った。

しかし、時既に遅しで、周りを見回したが、他に空いている席は無かった。


帰りのバスは二台で、立っている人はいなかった。

去年は三台のバスが満員で、俺は立って帰ったのだった。

そのことから今回は早目にバス停に行って待ったのだが、俺の取り越し苦労だったようだ。


しかし、そのお陰で、バスを待っている間、見ず知らずの青年と会話が出来たのだ。

蕎麦屋ではご婦人と会話が出来たのだ。

これまでの俺だったら、あまりやらないことだった。


これまでの俺だったら読書だったのだ。

俺みたいに厳ついのが読書をしていたら、それこそ話し掛けられないと思う。

姿かたちは違えど、多分、これまでの俺は、豹柄のようなパーカーを着た女性と同じだったのかも知れないと思ったのだった。

だから、朝から気になっていたのかも知れないとも思った。


俺の中で何か変化が起きているのかも知れないと思った。

俺は、こういう見ず知らずの人との一時の関わりも悪くないなぁと思った。

そして、こういうのを『一期一会』と言うのかなぁと思ったのだった。


(つづく)

2019年11月27日 (水)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (8)

(8)えんむすびの木

おみくじで自分の生き方に確信を得た俺が次に向ったのは、お守り購入の為の社務所だった。

今年の俺は、いつもの『氣守』は購入しなかった。

代わりに俺自身と息子の為の『えんむすび御守』と『開運御守』、母親の為の『健康御守』を購入した。


そして、それらのお守りを携えて、『神木』にお参りしたのだった。

三峯神社は、『白い氣守』と『神木』へのお参りで願いが叶うとTVで放映されて一躍有名になったのだ。

『白い氣守』は購入出来なくなったが、『神木』はそのままなのに、拝殿の左右に二本ある『神木』には、全く人は並んでいなかった。

わずかに2~3人待てば良いだけだった。


俺は、過去二回は拝殿に向って左側、社務所から行くと手前の『神木』にしかお参りしたことがなかった。

俺は、空いていることを幸いに、左右両方の『神木』にお参りした。

願いは、拝殿での願いと同じことを、購入したお守りを『神木』に当てて願った。


俺は、『神木』でも何枚かの写真を自撮りしたのだった。

『神木』へのお参りを済ませた俺は、いよいよ今回が初となる『えんむすびの木』に向った。

小さいホテルの様な建物の前を抜けて山道を数分歩くと右端に掘立小屋のような建物が目に入って来た。

数人の女性がいて、何かを書いている様子だった。


掲示されていた説明書きを読むと、ピンクとブルーの二枚の紙に、それぞれ自分と結ばれたい相手の名前を書き、名前を書いた面を合わせ、紙縒りのように捩じって指定の木箱に入れ、その後先にあるお仮屋に参拝するようにと書かれていた。

また、決まった相手がまだいない場合は、自分が望む相手を書く様に記載されていた。


俺はまず、サインペンでブルーの枠組みの紙に自分の名前を書いた。

そして、まだ特定の相手がいない俺は、ピンクの枠組みの紙には、『運命の人』と書いた。


最初は、『自分が好きになれる人』と書こうと思ったのだが、サインペンでは書ききれないと思い、『運命の人』としたのだった。

そして、書いた面を合わせて捩じり、指定の木箱に入れたのだった。

俺は、先に向って歩いた。


数十m先に、右に上って行く階段があった。

そして、階段の上には、小さめの鳥居が見えた。

多分、この階段の上にお参りをするところがあるのだろうと、俺は思った。


しかし、それまでに、俺の目的である『えんむすびの木』が見当たらず、どこにその木があるのか分からなかったのだ。

まだこの先なのかと思ったのだが、それより先に行っている人はいなかった。


取りあえず俺は、階段を上ってみることにした。

階段を上ると、小さめのお社があり、そこで女性が手を合わせていた。

俺も真似をして、そこで手を合わせた。


お参りを終えた俺は、上って来た階段は下りずに、左に下って行く階段状の細い山道を下った。

下った先は、さっき紙に名前を書いた掘立小屋のような建物の手前だった。

そして、そこから建物の屋根の上を見ると、木製で今にも崩れ落ちそうな小さな鳥居と、その鳥居の後ろにしめ縄を巻かれた木が目に入った。

良く見ると、その木は二本の木が途中で合わさり、また上の方では二本になり、そのまま真っ直ぐ上に伸びた木だった。

二本の木が一本のように見える木だった。

俺は、その時初めて、その木が『えんむすびの木』であることに気がついたのだった。


『神木』のような樹齢のある大きめの木を考えていたので、なんか拍子抜けな感じだった。

俺は、一応『えんむすびの木』を背後にして自撮りしてお参りを終わらせ、来た道を戻った。


俺は、『随身門』まで戻り、行きに見つけられなかった、『隠しハート』をもう一度探してみた。

すると、行きには気づけなかった『隠しハート』を見つけることが出来たのだった。

『隠しハート』は屋根の先端部分にあり、写真を撮ったのだが、逆光で撮影は上手く出来なかった。


『隠しハート』を見つけられた俺は、もう思い残すことも無く、この日の参拝を終えたのだった。

時計を見ると、まだ12時半を過ぎたばかりで、予定していた帰りのバスの時間まで2時間近く残っていた。

俺は、いよいよ最後の楽しみに向って参道を戻って行ったのであった。


(つづく)

2019年11月26日 (火)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (7)

(7)道

お参りを終えた俺が次に向ったのは、数m横に設置されたおみくじだった。

三峯神社のおみくじは、開運を招く八体の縁起物のお守りのいずれかが納まっているものだった。

達磨、銭亀、かえる、小槌、招き猫、恵比寿、大黒天、熊手のいずれかが入っているのだ。


去年は、『かえる』で、確か『小吉』だったと思う。

俺はおみくじの箱の中に手を入れて探った。

そして、掌の中心に来た物を引いた。

次の人の為に少し場所を移動し、俺はおみくじを開封した。


開封した瞬間、俺に激震が走った。

雷に打たれたような衝撃だった。

心が震えた。

そして、涙が滲んで来た。


俺の目に飛び込んで来た文字、それは、『道』だった。


第四十七番  『道』


何が書かれているのかは分からなかった。

涙が滲んで小さい文字は見えなかったのだ。

ただ、大きく書かれた『道』の文字だけを見て、俺の心は震えた。

そして、確信した。


「俺は、間違っていなかった!」

「これで良かったんだ!」


そして、納められていたお守りは、『恵比寿様』だった。

俺は、幾重にも折られていたおみくじの次の折り目を開いた。

次に目に飛び込んで来た文字は、『運勢大吉』の文字だった。


それを見た俺は、もうそこでこれ以上読む必要はないと思った。

おみくじは結ばずに持ち帰り、内容は帰ってから読むことにしたのだった。


俺は今年の正月に地元の瀬戸神社で引いたおみくじも大吉だった。

そして、この1年、俺は自分の歩む『道』に拘って来た。

本来であれば、まだ始める段階になかったブログを親父の命日である7月1日に始めた。

そして、ブログのタイトルを『俺の道』としたのだ。


今の自分が目指し、歩む道に間違いが無いと、俺は確信を得たのだ。

俺にとっては、天からの『お告げ』みたいなものだった。

俺はそれだけで十分だったのだ。


(つづく)

2019年11月25日 (月)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (6)

(6)祈りと願い

随身門を抜けた俺は、ゆっくりと拝殿に向った。

そして、拝殿に上って行く階段の前で、俺は自撮りをした。


拝殿へ向う階段を上った左側に手水舎があった。

俺は作法通り、手を洗い、口をすすいで清め、拝殿の列に並んだ。


拝殿の列は、過去2回に比べ、人は全然並んでいなかった。

『神木』も一緒だった。


『白い氣守』の有無で、こんなにも来訪者数に違いがあるのかと、人の気持ちとは何と自分本位なものなのかと思ったのだった。

参拝が目的であり、『白い氣守』はそれに付随するものでしかないはずなのに・・・。

しかし、並ぶこと自体が好きではない俺にとっては、大変ありがたいことではあった。


参拝の為の待ち時間は5分程度で、直ぐにお参りが出来た。

俺は、まず、この一年間のお礼としての感謝を述べ、自分と息子それぞれの良縁、そして家族の幸せと仲間の幸せを祈願した。

そして、最後に、『己の天命の全う』を願った。


田坂広志先生が唱えた『3つの真実』。


1.人は必ず死ね。

2.人生は一度しかない。

3.人はいつ死ぬか分からない。


そして、続けて問いかけられた言葉。


「一回しか無い人生」

「必ず終りがやって来る人生」

「いつ終わるか分からない人生」

「そのかけがえのない命、(あなたは)何に使われますか?」


俺は、この言葉を聴いてから、新たな考え方が生まれてきていたのだった。


『命』とは、『天から与えられたもの』なのではないか。

『両親』という肉体を通して、『自分』という肉体は生まれて来たが、『命』は天から与えられたものなのではないか。

そして、『命』とは『魂』のことなのではないかと、俺は思ったのだ。


肉体面から考えると、親子だとか、血のつながりだとかがあるが、『魂』として考えると、全ての魂にとって、『肉体』は単なる借物であり、それぞれの魂(人)に与えられた役割なのではないか。

その役割とは、『親』の魂は『子』の魂を育む役割、『子』の魂は、『子』であった魂を『親』(大人)に育てる役割。


そして、人として生きていく中で感じる、多くの苦しみや悲しみ、寂しさや無力感などの苦悩は、天から与えられた己の魂を磨く為の学びの機会なのではないのか。

それを乗り越えて行った時に、人は己の天命に気づくのではないのか。

そして、それに気づいた時、それに対応出来る自分に成っていることが出来ているのか。

それこそが大切なことなのではないのか。


最近の俺は、そんな風に考えるようになって来ていたのだった。


俺は6年前の11月1日に初めて三峯神社を参拝した。

その後、翌年から毎年、『白い氣守』を頂きたいと、11月以外でも、1日が週末になる時に何度も来ようとしていた。

しかし、天気が悪かったり、予定が入ってしまったりで、何故か来られなかったのだ。

そして昨年の夏頃、『白い氣守』の頒布休止を知ったのだった。

『白い氣守』の頒布日の交通渋滞がその原因だった。


それを知った俺は、それなら初めての参拝から丁度丸5年の11月の週末に、お礼の為の参拝に行こうと昨年の夏過ぎに決めたのだった。

そして、昨年の参拝から1ヶ月後の12月、俺は大きな気づきを得て、自分自身を許すことが出来た。

更には、自殺した親父を許すことも出来たのだ。

それからと言うもの、毎月のように俺は大きな気づきを得て、自分の内面の変化を確実に感じて来ていたのだ。

今年は、そのお礼と新たな願いの為に行かなければならないと思っての参拝なのであった。


(つづく)

2019年11月24日 (日)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (5)

(5)自撮り

『ヤマメ』と『シイタケ』に分かれを告げた俺は、鳥居の前に立った。

そして、鳥居の写真を撮った後、俺は鳥居と狛犬をバックに、普段はあまりやらない自撮りをした。


俺は鳥居の前で一礼をし、鳥居をくぐった。

鳥居をくぐった瞬間だった。

俺は、以前来た時に感じた霊気を感じなかった。


去年と6年前に来た時は、鳥居をくぐった瞬間に感じたものを感じなかったのだ。

俺は、何か違和感みたいなものを感じた。


俺は見えるタイプではないが、感じるタイプなのだった。

以前、不動産売買をやっていた時も、人が亡くなった物件は直ぐに分かった。

心霊体験も、多分普通の人よりはかなり多く体験して来たと思う。


違和感を感じながらも鳥居をくぐった俺は、まず秩父の街並みを見下ろせる、『遥拝殿』に向った。

遥拝殿から観る景色は相変わらず素晴らしかった。


しかし、ここまで歩いて来て感じていたのだが、参拝に来たのは去年より2週間近く遅いのに、紅葉は遅れている感じだった。

鳥居をくぐった時に霊気を感じなかったのは、暖かさのせいなのかと考えた。


しかし、これまでの俺は真夏でも感じる時は感じてきたのだ。

もしかしたら、俺の内面の変化が俺の何かを変えているのかも知れないと、俺は自分を納得させたのだった。

そして、俺は、『遥拝殿』でも自撮りをした。


俺は、自分の顔が好きではなかった。

だから、写真を撮るのは好きでも、撮られる事自体はあまり好きではなかったのだ。

その為、子どもの頃からずっと、自分の写真は、あまり多くは持っていない。


しかし、この日は何か違った。

風景だけではなく、好んで自撮りをしている俺がいた。

そして、以前ほど自分の顔が嫌いではなくなっている俺に気づいたのだった。


『遥拝殿』を終えた俺は、日本武尊銅像はパスし、拝殿に向うべく『随身門』に向った。

ここでも俺は自撮りをした。

そして、去年来た時にSちゃんから教えられた『隠しハート』を探したのだが、何処にあったのか忘れてしまい見つけられなかった。

『随身門』をくぐった俺は、いよいよ本命の拝殿へと向ったのだった。


(つづく)

2019年11月23日 (土)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (4)

(4)裏の目的

三峯神社に到着した俺は、まずはバス停に併設されていたトイレに行った。

直ぐに階段を上ったのだが、階段の踊り場まで行き、踊り場の下が喫煙所だったことを思い出し、一服しようと俺は階段を下りた。

すると、電車、バスと一緒だった豹柄のようなパーカーの女性と再びすれ違った。

ぽかぽか陽気なのに、豹柄の様な独特のセンスのパーカーのフードを目深に被った女性の姿は、三峯神社という場所には似つかわしくなかった。


俺は喫煙所で一服してから、再び階段を上った。

階段を上ると、周辺マップがあり、俺はそれを確認した。

この日の俺の目的は、三峯神社の参拝がもちろんメインなのだが、その後、『えんむすびの木』にも行ってみようと思っていたのだ。

去年来た時、そういうものがあるのには気づいたのだが、Sちゃんと一緒だったことから行ってみたい気もあったのだが、行かずにいたのだ。


俺はまず、鳥居を目指した。

歩き出して直ぐに、いつも帰りに川魚の塩焼きを食べる蕎麦屋の前に行くと、食べた魚は『イワナ』だと思っていたのだったが、書かれていたのは『ヤマメ』だった。

多少腹が空き始めていたが、帰りまで我慢することにした。


この『ヤマメの塩焼き』が、俺の裏の目的だった。

俺は、川魚の塩焼きが大好きなのだ。


子どもの頃は、魚と言ってもサンマと鮭くらいしか食べず、魚は好きではなかったのだ。

ほとんど肉ばかりだった。

子どもの頃は、夕飯が魚だと母親によく文句を言っていた。


しかし、18~9の頃、当時の仲間たちで行った秋のBBQで、川で釣ったニジマスを炭火でじっくり焼いたものを、「旨いから、騙されたと思って食ってみ」と、当時の兄貴分だったYちゃんに言われ、食べてみたら、これがめちゃくちゃ旨くて、それからの俺は大の魚好きになったのだった。

それも塩焼きが一番だ。

川魚の塩焼き、それも天然の粗塩で焼いたものは、普通の居酒屋とかではあまり食べられない。


俺は後ろ髪を引かれる思いで、蕎麦屋の前を通過した。

すると、今度は鳥居の前の食堂の外で、原木シイタケの串焼きが売っていたのだ。

注文してから焼くと書かれていて、俺はこれも食おうと心に決めた。


俺はシイタケも大好きだった。

シイタケも粗塩で焼いたのが大好きで、シイタケは一人で家飲みの時に、軽く酒をスプレーし、岩塩を振りかけ、軽くトースターで焼いて食べるのだ。

安いシイタケでも結構旨いのだ。


俺の帰りの楽しみが増えたのだった。


(つづく)

2019年11月22日 (金)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (3)

(3)後悔からの脱出

俺を乗せたバスは街中での渋滞も無く順調に走った。

俺はずっと車窓から外を眺めていた。

街中を抜け、三峰口駅を過ぎると、外は徐々に紅葉が多くなって来た。


俺の座った左側には、時折のぞく渓流が見え、この時期のBBQも良いのかも知れないと思った。

紅葉は、山の上の方より渓流に近い下の方が綺麗だった。

俺は、渓流が見えるタイミングで写真を撮ろうとした。


何枚かの写真を撮っている内にスマホのバッテリーの減りが早いのに気づいた。

家を出る時に100%だったバッテリーの残量は、既に60%近くになっていた。

俺のスマホは、iphone6なのだが、最近はバッテリーの減りが早く、きっと最近のアプリのバッテリー使用量が増えているのだろうと思った。

この日は、いつもは持っている予備の電池を持って来なかったことを俺は少し悔いた。


終点の『三峯神社』の一つ手前の『秩父湖』のバス停を過ぎ、秩父湖を渡って少し行った時だった。

車内の後方から、気分が悪い人が出て降りたいから停めて欲しいと声が上がった。

バスは左に寄って停まった。


後方から、車内が暑過ぎると声が上がった。

待っていると、満員の状況の中を後方から人が移動して来た。

運転手の所までやっとの思いで出て来たのは、ダウンの上着を脱いで左手に持った80歳は超えていると見えるおばあちゃんと、3~40代に見える女性だった。

おばあちゃんは運転手に言った。


「暑過ぎるわよぉ」


しかし、運転手は何も答えなかった。

そして、下りるおばあちゃんに運転手は言ったのだ。


「下りも行ったばかりだから、まだ1時間位掛かりますよ」

「良いんですか?」


おばあちゃんは具合が悪いと言うよりも、怒った感じで何も言わずにバスを降りたのだ。

そして、連れの女性も一緒に降りたのだった。


二人を降ろしたバスは直ぐに発車した。

その時だった、またもや後方から声が上がった。


「暑いから窓を開けて良いですかー!!」


俺は、あれだけ暑いと言っているのに、近くの人は何もしてくれないのかと思った。

俺は中腰になって窓を開けようとした。

俺の後ろの席の人も同じように窓を開けようとした。

しかし、固くて窓は開かなかった。

その時、運転手はやっとエアコンをつけ、冷気が流れた。


車内に安堵の雰囲気が流れた。

俺は座っていたからか、レザージャケットを着ていても、暖かくはあったが暑いとは感じていなかった。

きっと立っている人たちはみんな、かなり暑かったのだろうと思った。


そして、暑いのなら暑いと、エアコンをつけて欲しいならエアコンをつけて欲しいと、なぜハッキリと言わないのかと思った。

後方の周りの座席の人たちは、なぜ窓を開けてあげなかったのだろう?

あんなに大きな声で後方から運転手に聞く位なら、自分の近くの人に一声かけて窓を開けて貰えば良いだけなのに、なぜそうしなかったのだろう?

周りの人たちは、気分の悪くなったおばあちゃんに、なぜ席を譲ってあげなかったのだろう?

俺はそう考えていた。


その時、俺は急に思った。


「俺は、なぜ降りようとするおばあちゃんに席を譲ってあげて、もう少しだから頑張ろうと言ってあげられなかったのか?」


そう思った瞬間、俺は悔やんだ。

胸が張り裂けそうな思いに駆られた。

バスは、おばあちゃんたちを降ろしてから、既に5分位走っていた。

後戻りは出来なかった。


俺は考えた。

あそこから歩いて三峯神社まで行くのは無理だ。

手前の秩父湖のバス停まで戻るのにも、歩いたら20分位は掛かるだろう。

若い人ならともかく、80歳過ぎのおばあちゃんだ。

俺はめちゃくちゃ心配になった。


しかし、どうすることも出来なかった。

もう少し早く気づくべきだった。


おばあちゃんと一緒だった女性も、なぜ何も言わずに降りたのだろう?

もしかして、気分が悪くなっていたのは、おばあちゃんじゃなくて一緒にいた女性の方だったのか?

俺は、色々なことを考えた。

しかし、既に時遅しで、考えても仕方のないことだった。


俺が諦めかけたその時だった。

俺は、傍観者になってしまっていた自分に気づいた。

そして、恥じた。

そういう自分が悔しくて情けなかった。


俺は、次同じような場面に出くわした時は、絶対に傍観者にはならないと反省し決めた。

そう決めて、俺はおばあちゃんと一緒に降りた女性、二人への思いを振り切った。


それから少しして神社まで残り2.2Kmの看板が見えた。

6年前に初めて来た時も、去年もそうだったのだが、この辺りから渋滞がはじまり、神社に着く手前1Km位で降りて歩いて行ったのだ。

俺は、そろそろ渋滞になるだろうと思っていた。


しかし、全く渋滞の様子は無く、バスはそのまま三峯神社に到着したのだった。

俺は驚いた。

そして、今日は何てラッキーな日なんだろうと思ったのだった。


(つづく)

2019年11月21日 (木)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (2)

(2)不安と失望 VS 夢と希望

俺の忘れたマフラーを持って来てくれた家族と別れた後、俺は足早に改札口に向った。

もう一度トイレに行っておこうかと思ったのだ。

しかし、改札口の手前にあるトイレは、人で行列になっていた。

俺は、到着前に電車のトイレに行っておいて良かったと思い、トイレに寄るのは止めたのだった。


俺は改札を出て、バス停に向った。

バス停には一人も人がいなかった。

バス停の時刻表を見ると、貼り紙があった。


その貼り紙には、『お知らせ』として、『台風19号の影響により、道路に土砂が滞留し、通行止めのため、当面中津川線は川又バス停までの折り返し運転となります。』と書かれていた。

俺は、後から誰も来ないことで少し不安になった。


「もしかして行けないのか?」

「だから誰もいないのか?」


内心で、夕方から池袋で会う約束をしていたF先生との時間まで、どうやって時間を潰そうかと考え始めた時だった。

俺は、分からないことで悩んだり不安になってもしょうがないと気持ちを切り替えた。


俺は、良く言うと、普通の人より洞察力があると思っている。

1を聞いて10を知るタイプなのだ。


反面、人の気持ちに敏感過ぎる所や、ちょっとした出来事で先の先まで考えてしまうことがある。

そして、起こりもしない余計なことまで考えて不安になることも多いのだ。

更には、その不安を解消する為に、考えられるあらゆる不測の事態に備えた対応を考えて行動してしまうのだ。

若い頃の俺は特にそうだった。


俺は、そんな自分が嫌だった。

常に強がって平気な振りをしていても、本当は不安が一杯の小心者の自分が居ることを許せなかったのだ。


しかし、これまで自分が想定した最悪の場面への対応方法の9割以上は現実には起こらなかった。

要は、取り越し苦労ばかりだったのだ。


しかし、自分には起こらなかったことでも、似たようなことが他人に起きた場合、相談されれば直ぐにアドバイスが出来る対応力にはなっていた。

考えるだけではなく、実際に自分が行っていることから、行った場合の問題点なども良く把握していたから、人の助けにはなってきたのだ。

そういう意味では、俺の取り越し苦労自体が全く無駄という訳ではなかった。


しかし、若い頃の俺は、考えたら即行動だった為に、多くの時間とお金を無駄にしてきてしまったのだ。

50を過ぎてからの俺は、それを徐々に変えて来たのだ。


『不安に思うことは、起こってから考えよう』

『別に命を取られる訳じゃないし』

『もう、これ以上悪くなりようがないんだから』


そう考えるようにしたのだ。

これまでの俺は、死ぬことも何度となく考えた。

ホームレスになることも考えた。

大切な人を失うことも考えた。

息子が犯罪者になった場合のことも考えた。

考え付く最悪のことはほとんど考え尽くして来たのだ。


不測の事態は、考え付かないことだから、『不測』なのだ。

考え付かないことを考えてもしょうがないと悟ったのだ。


そして行き着いた答えは、『起こってから考えれば良いや』だったのだ。

人は、何かが起こる前に悪いことを考えるから不安になるのだ。

そして、その逆に、良いことも起こる前に考えて期待すると、喜びは小さくなってしまうのだ。

更には、期待し過ぎると、そう成らなかった時にガッカリしてしまうのだ。


期待の裏には、失望が潜んでいるのだ。

それが人間という生き物なのだと思ったのだ。


俺は、これまでの人生の中で、そういうことにも気づいて来た。

だから、未来に対して、なるべく不安や期待を持たない様にしている。


そして、特に気をつけなければいけないのが、『期待』だと思っている。

『期待』には、大きく分けて『善い期待』と『悪い期待』の2種類があると思っているのだ。


簡単に言うと、『善い期待』は、『与える期待』だ。

見返りを求めない期待。

その期待の先には、信じる気持ちがあり、更にその先には『愛』があると思っている。


逆に『悪い期待』は、『与えて貰う期待』だ。

人に何かを求める、見返りを求める期待だ。

その先にあるものは、失望や不信、疑念、そして裏切りであり、更にその先には『憎悪』があると思っている。


未来に対しての持つべき思いは、『不安や悪い期待』ではないのだ。

持つべき想いは、『善い期待』、そして『夢と希望』だ。

そして、それを信じて、『今を全力で生きる』こと。

俺は、これまでの経験体験の中で、そういう考えに至った。


そうして生きて行くと、俺は決めたのだ。


だから、今の俺の気持ちの切り替えは早かった。

俺は、目の前に停まっていた小型バスの運転手の人に聞いてみた。


「すいません、三峯神社には行けないんですか?」


すると運転手の人は教えてくれたのだった。


「大丈夫ですよ。中津川線は、三峯神社とは別ですから」


俺は、一安心したのだった。


すると、俺以外まだ誰も居なかったバス停に一人だけ来たのだった。

なんと、電車のトイレで俺と入れ違いになった豹柄のようなパーカーを着た女性だった。

そして、バス停の写真を撮ったかと思うと直ぐにバス停から2mほど離れて配置された3人掛けのベンチの右端に座ったのだった。

俺も続いて、並び順では先頭になるベンチの左端に座った。


どうやら、俺たちの乗った電車で三峯神社が目的の人は、たった二人だけのような感じだった。

次の三峯神社行きのバスの予定時刻は10:05だった。

S-TRAINの到着が9:15だったから、まだ30分以上の時間があったのだ。

俺は、ベンチに荷物の鞄を置いて、20mほど背後にある喫煙所にタバコを吸いに行った。


内心で、豹柄のようなパーカーを着た女性に「トイレは流れたから大丈夫ですよ」と教えてあげたくなった。

聞けば安心するのではないかと思ったのだ。

しかし、良く考えてみると、それを知っているのは俺と彼女だけで、彼女が流さなかったという証拠は何もないことに俺は気づいた。

そして、下手なことは言わない方が良いのだろうと思い直したのだった。


タバコを吸い終えた俺はベンチに戻って座った。

天気は快晴で、ぽかぽか陽気だった。

俺は、寒さに備えてユニクロの薄いダウンベストを鞄に入れて持ってきていたが、どうやら必要はなさそうだった。


横を見ると豹柄のようなパーカーの女性は、安っぽい黒に赤のラインが入ったジャージを穿き、パーカーのフードを目深に被り、俯き加減で一心不乱にスマホをいじっていた。

その姿はまるで引き籠りのようだった。

歳は30前後位に見えたが、全く化粧もしていない感じだった。


トイレを出て来た時に見た顔は、顔立ちは悪くないのに、口角が下がって凄く暗い感じだったのだ。

顔立ちは悪くないから、心を元気にして磨けば、きっと綺麗になるだろうにと思った。

そんなことを考えていると、また俺のお節介の虫が動き出してきた気がして、俺はそれ以上考えるのを止めた。


俺は、何度かベンチを離れてタバコを吸った。

こう言う時の為の読書だったのだが、何故か読書の気分にはならなかった。

ぽかぽか陽気のせいか、俺はベンチに座り空ばかり見上げていた。


9時45分を過ぎた頃、俺はトイレに行っておこうとベンチから立ち上がると、知らない内に俺たちの後ろは行列になっていた。

ベンチに座って空ばかり見上げていて気づかなかったのだ。


俺は、早目に着いてバスの座席を確保出来ることに安堵した。

三峯神社までのバスの時間は1時間以上掛かるのだった。

俺は、真っ直ぐ立っていると数分で足が痺れてしまい、そんな長い時間バスで立って行くのは無理だと思っていたのだ。


俺は、駅のトイレに行った。

流石にその時はトイレの混雑は全く無くなっていた。


俺がトイレの入口に入った時だった。

そこで、来る時に座席を替わり、俺が忘れたマフラーを持って来てくれたお父さんと女の子が一緒に男子トイレから出て来て遭遇したのだった。

俺は再びお礼を言った。


そして、お父さんと一緒に男子トイレから出て来た女の子のことを考えると、車内で見た時は7~8歳だと思っていた女の子は、もう少し小さいのかも知れないと思ったのだった。


トイレを済ませバス停に俺が戻ると、少ししてバスは来た。

俺はバスに一番乗りだった。

そして、いつもなら最後部座席の窓側に行くのだが、この日の俺は違った。


運転手の左側の一番前の座席にしたのだった。

そして、俺の次に乗車した豹柄のようなパーカーの女性は、俺の右側の運転手の真後ろの座席に座ったのだった。

そして、程なくバスは満員になった。


いつもの俺ならバスの中でも読書なのだ。

そのつもりで、2冊も持って来たのだった。

しかし、この日の俺は何か違った。


朝の電車でのハッピー&ラッキーな思いが俺を変えたのかも知れない。

俺は最前席で、紅葉を楽しもうと思っていたのだ。


こうして、西武秩父駅から、俺を乗せた三峯神社行きのバスは発車したのだった。


(つづく)

2019年11月20日 (水)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (1)

(1)ハッピー&ラッキー

11月16日、午前3時30分、俺は目を覚ました。

トイレに入った後、1時間ほどゆっくりと入浴し身支度を整えた俺は、6時15分の始発バスに乗り、その約15分後、最寄駅のホームに立った。

土曜日だというのに、思ったより人が多いのに俺は驚いた。


俺は29歳で独立した以降、通勤というものはほとんどしたことがない。

自分で会社を経営し、数人の社員を抱えて会社と自宅を別にしていた時も自宅は徒歩10分以内だった。

独立前から歩合給だった俺にとっては、通勤時間ほど無駄と思える時間は無かったのだ。

常に職住接近が俺の考え方なのだ。

だから、朝の通勤ラッシュとかはほとんど知らず、この日の朝の人の多さに驚いたのだ。

それも、レジャーではなく、通勤と通学の人の多さに。


俺は横浜駅で、東急線のS-TRAIN1号に乗り換えた。

この日の俺の目的地は、秩父の『三峯神社』だった。


俺は6年前、2回目の離婚直後の11月1日に、当時TVで知った『白い氣守』を頂く為に、初めて三峯神社に行った。

その時は、まだ横浜から西武秩父までの直通など無く、池袋に前泊して、池袋から秩父へ向ったのだ。

それが今では、横浜から西武秩父までの直通があるのだ。

便利な時代だ。


そのS-TRAINの車中でのことだった。

S-TRAINは全席指定席。

俺は横浜で、周囲に乗客が少ない席を駅員に選んで貰った。


俺の席は、5号車の6A席だった。

座席は通路を挟んで左右に2席ずつ進行方向に向って座る座席だった。

俺の席は、乗車口を背後にした左側の窓側の席だった。


横浜で乗った時は、俺の右側の3席と前列には、一人も乗客はいなかった。

どこの駅だったのかは覚えていないが、都内に入ってから、30代の夫婦と7~8歳位の女の子の3人家族が俺の前の列の座席に並んで座った。


俺の前の窓側に女の子が座り、その右隣にお父さん、そして通路を挟んだ並びの席にお母さんが座った。

俺は、時々車窓から外を眺めながら、好きな読書に耽っていた。


この日は三峯神社まで片道約5時間の旅だ。

俺は、新書を2冊持参して来た。

1冊では多分、足りなくなると思ったのだ。


途中、俺の右斜め前に座っていた女の子のお母さんが立ち上がり、進行方向左側の乗車口まで行って何やら写真を撮り始めた。

それに気づいた俺も車窓から外を見ると、綺麗な富士山が目に入り、俺も何枚かの写真を撮った。

場所を確認すると、石神井公園駅を過ぎた所だった。

石神井公園駅を過ぎると、急に田園風景が多くなって来た。

丁度俺が小中学生時代を過ごした場所で、相変わらずの田舎だと思った。


富士山が見えなくなり、俺はまた読書に耽った。

気づくと電車は飯能に到着し、次は終点の秩父だった。

その時、気づかない内に通路を挟んだ右側の2席には若い男性二人がいて、その男性二人と、その前に座る女の子のお母さんが立ち上がり、座席を反転させたのだった。


俺は、どうしたのかと思いながらも読書を続けていると、俺の前の席の女の子のお父さんが、「向きを変えませんか?」と言って来たのだ。

俺が聞くと、電車はここで反転し、進行方向が変わるとのことだった。


俺はやっと合点して、一緒に座席の向きを反転させ、座り直したのだった。

そして電車が再び動き出し、少しして俺は、あることに気づいたのだった。


「あれ?」

「もしかして、俺が女の子のお母さんと席を変わってあげれば、家族3人で向き合って座れるんじゃない?」


俺は、思ったのだった。

しかし、内心では、もう次は終点だしなぁという思いもあった。

そこで俺は時計を見た。

終点の秩父までは、まだ30分の時間があった。


俺は女の子のお母さんに声を掛けた。


「良かったら、席、替わりましょうか?」

「替われば、ご家族で向き合って座れるでしょ?!」


お母さんは最初遠慮した。

しかし、俺は言った。


「お嬢さんもその方が嬉しいでしょ」


「良いんですか?」


「良いですよ、逆に今まで気づかずにごめんなさいね」


俺は、そう言って立ち上がり、再度座席を反転させたのだった。

そして、旦那さんと女の子からもお礼を言われて席を替わったのだった。


その後、その家族が向き合って楽しそうにおしゃべりしている姿を見て、俺は無性に嬉しくなった。

声を掛けて席を替わってあげて良かったなと思った。

そして、今日は朝からなんてハッピーなんだろうと思ったのだ。


西武秩父に到着する前、俺は車内のトイレに行った。

トイレは隣の4号車だった。

トイレは使用中だった。

俺は、待つことにした。

しかし、全然出て来る気配が無かった。


俺は、随分長いトイレだと思った。

時計を見ると、あと5分位で到着だった。

トイレは、秩父の駅に着いてからにするかと思いかけた時だった。

突然音がして、扉が開いた。


中から、豹柄ではないのだが、似たようなパーカーを着て、フードを被り、大きめの黒ぶち眼鏡を掛けた暗い感じの若い女性が出て来た。

俺は入れ替わりで直ぐにトイレに入った。

そして、便器のふたと便座を上げると驚いた。

便器の中には、トイレットペーパーがふんわりと被せるように一杯入っているのが目に飛び込んで来たのだった。


俺は内心で、きっと水が流れずに、それを隠すのに時間が掛かったのだろうと思ったのだ。

そして、女性だからきっと恥ずかしくて困ったんだろうなと、少し可愛そうな気がしたのだった。


俺は、トイレが流れないものだと思い、そのペーパーの上から小用を済ませた。

そして、女性と同じようにペーパーを被せようかと思ってペーパーホルダーに目をやると、その上に非常に分かり難い、『流す』のボタンがあったのだった。

俺は一応ボタンを押してみた。

すると、便器の中に一杯だったペーパーは一気に流れたのだった。


俺は思った。

きっとあの子は、『流す』のボタンを見つけられなかったんだろうなと。


俺がトイレを出て席に戻ると、右側の3人家族は、相変わらず楽しそうに話していた。


直ぐに電車は終点の『西武秩父』駅に到着した。

3人の家族を見ると、身支度に時間が掛かっている感じだった。

俺は3人を残して、先に電車を降りた。


そして、人の流れのまま改札口に向う階段を上った。

階段を上り切ったところで、俺は首筋が妙に涼しいと感じた。

そして、マフラーが無いことに気づいたのだった。


俺は慌てて、Uターンして電車に戻ろうとした。

しかし、人の流れはみんな上がって来る人たちばかりだった。

ホームに向う下りる階段は、階段の左側に一人分の狭い幅しかなかった。

そして、俺の前を老夫婦がゆっくり下りていた。

老夫婦を抜かすことも出来ず、俺はやきもきした。


俺は思った。


「これじゃあ、間に合わないなぁ・・・」

「しょうがないかぁ・・・」


俺が諦めようとしたその時だった。


上って来る人ごみの中で、女の子のお父さんが右手に俺のマフラーを持って俺とすれ違いそうになり、声を掛けてくれたのだ。


「マフラー忘れたのに気づいたんですけど、直ぐに行ってしまったので・・・」


俺は言った。


「ありがとうございます!」

「助かりました!」


俺はマフラーを受け取り、数段下りかけた階段をまた上ったのだった。

俺は、階段を上ってから、再度お礼を言って、その家族と別れた。

内心、俺は思った。


「さっきやったばかりの親切が、こんな形で直ぐに返って来たんだなぁ」

「今日は、なんてツイてる日なんだ!」


俺は、この先が楽しみになった。


(つづく)

2019年11月19日 (火)

俺の道 ~中高生編~ (17) <最終回>

(17)自立への道

3学期に入ると、俺とM沢は学校のK三中出身の奴らを介して、K三中の中卒組の奴らと仲が良くなっていった。

中卒組の奴らは、既に働いている奴らが多く、ツッパリ方も気合が入っているのが多かった。

しかし、中卒だけあって頭が悪いのが多かった。


俺も16になって直ぐに教習所へ通い、中型二輪の免許は取っていたが、まだ中型バイクを買う金は無く、原チャリのままだった。

俺とM沢は、M沢のRD400で、『花小金井』の集会に出るようになったのだった。

この頃の俺はいつもM沢のケツだった。


花小金井は、『BLACK EMPEROR』だった。

俺とM沢は本来、『ROUTE20』なのだった。

俺たちは外様だったのだ。


この当時は、東京都下の三多摩地区は大別して、『BLACK EMPEROR』、『CRS連合』、『立川地獄』の3つに分かれて敵対していた。

俺の中学の地元の奴らは、ROUTE20で、『CRS連合』だった。

しかし俺は、『BLACK EMPEROR』を選んだのだった。


当時の俺は、中学時代の友だちには全く興味も未練も無かった。

では、『BLACK EMPEROR』の仲間が好きだったのかと聞かれると、別にそういう訳でもなかった。

気が合って一時期つるみはしたが、単なる成り行きだった。

とにかく俺は家を出て独立したかっただけだったのだ。


1年の3学期の期末テストを終えた日、俺は担任から呼び出された。

そして、担任から言われたのであった。


「お前は、赤点は無いけど出席日数が足りない」

「このままだと留年だ」

「やる気があるなら春休みに補習をして上げてやる」

「どうする?」


俺は即答したのだった。


「いいです」

「俺、辞めますから」

「もう、決めていたことだったので」


俺は、この日を待ちわびていたのだ。

俺は、親父との約束だからと、親には一切連絡も相談せず、その場で退学届を書いた。


退学届を出した日は、正確には憶えていないが2月下旬か3月上旬頃だったと思う。

しかし、先生から最後の温情みたいな形で、退学日は3月31日付になった。

1学年を修了したことにすれば、再度やりたくなった時は2年から出来るからと言うのが、その理由だった。

俺の退学日は、退学届の提出日ではなく、3月31日となったのだ。


俺は、K高校1年では、二人目の中退者となった。

退学届を出した日、俺は担任から一つだけ注意をされた。


「もう学校に来る必要はないけど、3月31日までは一応生徒だから、それまでは問題を起こさないように」


この日俺は、帰宅してお袋に言ったのだった。


「今日、学校辞めて来たから」


いつも怒ってばかりのお袋だったが、この日は泣いていた。


数日後、俺は早々にM沢を誘い、俺が本当は行きたかったM校に真昼間の授業中に襲撃したのだった。

襲撃と言っても、単にM沢のバイクでM校に行き、校門の前で爆音を轟かせただけなのだが・・・。


その翌日、もう来なくて良いと言われていた俺は、再び担任に呼び出された。

行くとM沢もいたのだった。

そして、俺たち二人は散々説教されたのであった。


学校を辞めた俺は、職探しを始めた。

見つからなければ、バイトの時間を増やせば良いと思っていた。


それから数日後、俺は花小金井で仲良くなっていたN村の紹介で、N村と同じ運送会社に4月1日から働くことを決めたのだった。

働き先を決めた俺は、バイトは3月一杯で辞めようと思っていた。

すると、その話しをバイト先ですると、急に辞められると困ると言われた。

逆に社員にしてやるからうちに来いと誘われたのだった。


俺は、そんな風に言って貰えるとは露ほども思っていなかった。

俺みたいな高校中退者が、ちゃんとした会社に勤められるとは考えていなかったのだ。

だから、うちに来いと言ってくれた店長の言葉は凄く嬉しかった。

しかし俺は、既に仲間の紹介で働き先を決めてしまっていたのだ。

それを裏切ることも出来なかった。

俺は、しばらくは掛け持ちで働くことにしたのだった。


3月中の俺は、バイトに明け暮れた。

そして、4月1日から運送会社へ働きに出たのだった。


働き始めると、仕事はハンパなくきつい仕事だった。

名目は、『運送助手』だったのだが、実際にやることは違った。

JR中央線、『東小金井』のJR貨物駅構内で、貨物で運ばれて来た物をフォークリフトでトラックに積むために、手作業でパレットに積み替える仕事だった。

パレットは、フォークリフトの先が入るように、大きなスノコを重ね合わせた様な幅2m位、長さ3m位の長方形の木の台だった。

そして、その運ばれて来る貨物は、主に米だった。


俺を紹介したN村以外は、みんな4~50代の大人ばかりだった。

そして、3月末までは、花小金井の頭だったI森も働いていたようだったのだが、身体が続かずに辞めたと聞かされたのだ。

体力には自信のあった俺だったが、米は60kg入りの麻袋と30Kg入りの紙袋入りの二種類で、持ち方のコツが掴めるようになるまでは、毎日足腰がガクガクになった。


それでも、17時に仕事を終えた俺は、その後にファミレスのバイトへ行ったのだった。

俺は家には帰らず、東小金井からバイト先へそのまま直行していた。

晩飯は、ファミレスの従食で、50円の卵かけごはんが俺の定番だった。

ライスは無料だったが、卵が50円だったのだ。

山盛りのライスに卵1個だ。

卵より醤油の方が多いような卵かけご飯だった。

当時の俺は、満腹になりさえすれば、それで良かったのだ。


毎日、18時頃から24時~ラストまで働いた。

ファミレスは、夕飯時の18~20時頃のピークの後、24時前後に深夜のピークがもう一度来るのだった。

夕飯時のピークは3~4人で回し、深夜のピークは、基本的に俺一人で回した。

あまりにも客数が多く、どうしようも無い時だけ社員が手伝ってくれる形になっていた。


今、振り返って見ても、よくあれだけ働けたものだと、自分でも不思議に思うほどだ。


そして、4月25日に俺は初めての給料を現金で貰ったのだった。

社長のN谷さんから、よく一ヶ月続いたと、俺は褒められた。

俺は、定休の日曜日以外は一日も休まなかった。

遅刻もしなかったのだ。

そして、ほとんどの奴が続かないと聞かされたのだった。


初給与は13万位だった。

バイト分と合わせると20万を超えたのだった。


俺は、初給料日の帰り道で、西武新宿線の『花小金井』駅から徒歩3分の所にある、6畳一間のアパートを借りた。

風呂は無く、小さなトイレとキッチンが付いた部屋で、家賃は2万9千円だった。


当時は今と違い、働いていれば、『大人』と見て貰えたのだった。

酒もタバコも何のお咎めも無かった。

アパートを借りたのでさえ、連帯保証人欄に勝手に親父の名前を書いて、お金を払って鍵を貰って終りだった。

連帯保証人の親父に電話での確認さえしなかった。

確認して、万一断られれば、契約自体が無しになるのだから、不動産屋にしても確認などしない方が都合が良いのだ。

要は、俺が毎月家賃をきちんと払いさえすれば何の問題もないことなのであった。


最近の若い人たちを見ていて俺は思うのだ。

多くの人が、先に未来に対する答えばかり求めて動こうとしない。

先の保証がないと不安になってばかりいる。

この先どうなるか分からないから楽しいのに。

ダメになった時のことは、ダメになってから考えても遅くないのに・・・。


未来は何が起こるか分からない。

だから、信じるのだ。

人の心なんて分からない。

だから、信じるのだ。

自分のことさえ100%わかることはあり得ないのだ。

わからないから信じるのだ。

それが、自分を信じると言うこと。

自分の未来を信じるということ。

『自信』を持つとは、そういうことだ。

と、俺は思う。


俺は帰宅して、親父とお袋に一言だけ言った。


「今日アパート借りて来たから、明日引っ越すから」


翌日の日曜日、俺は家を出た。

俺は、やっと念願だったこの日を迎えたのだ。

親の束縛から逃れ、自立への道を歩み始めたのだった。

自立への道は、俺にとっては、自由への道でもあったのであった。


若い頃の俺は、『人事を尽くして天命を待つ』だった。

今の俺は、『天命を信じて人事を尽くす』だ。

そう変わったのだった。


『俺の道』 ~中高生編~ (完)


(『俺の道』 ~自立編Ⅰ~ につづく)

2019年11月18日 (月)

俺の道 ~中高生編~ (16)

(16)魚市場の代償

冬休みを前にし、俺は小学校の頃から仲の良かったK川からアルバイトの相談をされたのだった。

この頃の俺は、K川とのつきあいはほとんど無くなっていた。

K川は俺と違って真面目だった。

K川は、俺が辞めた後も真面目にサッカー部を続けていたのだった。


そんなK川が、冬休みの間だけバイトをしたくて、俺に一緒にやってくれと頼んできたのだった。

その頃の俺は、夕方から深夜までは、ほぼ毎日ファミレスのバイトに入っていたのだ。

俺は、それ以外の時間だったら良いよと了解した。


冬休み中にK川と一緒にバイトをすることにした俺は、仲の良かったM沢にも声を掛けたのだ。

M沢は、金には困っていなかったが、面白そうだと一緒にやることになった。

俺たちは三人で働ける場所を探した。


そして、俺たちは東久留米にある魚市場でのバイトを見つけたのだった。


早朝4時から10時頃までのバイトだった。

時給はいくらだったかは覚えていないが、確か800円位だったと思う。

普通のバイトよりはかなり良かった。

俺たちは三人そろって面接に行った。


面接に行った先は、魚市場の中にある小さな魚屋だった。

三人まとめて雇ってくれることになった。

俺たちが働けるのは、26日~30日までの5日間だけだった。

年明けは出来る日が無く、俺たちは年末の5日間だけ働くことにしたのだ。


俺たちは、12月26日の朝4時に来るように言われたのだ。

冬休みは26日からだった。

26日の朝3時過ぎにK川は俺んちまでチャリンコで来た。

K川はまだ原チャリに乗っていなかったのだ。


俺はK川を後ろに乗せ、原チャリの2ケツでM沢のアパートに行った。

そして、K川はM沢のRDの後ろに乗り替え、2台で魚市場に行ったのだった。


俺たちはまず、長靴を履かされ、ビニールのエプロンを貸し与えられた。

俺たちを雇ってくれた店は、主にマグロを解体して売る店だった。


でっかいマグロは、最初は日本刀よりも長い刀のような包丁で切られていった。

そして、どんどん解体され、部位ごとに色んな大きさの塊になっていった。

この店は、マグロを塊で売る店だったのだ。


俺たちの仕事は、解体前のマグロをターレという運搬車で運んで来ることと、マグロを買ったお客さんの車まで商品を運ぶことだった。

ターレの運転は簡単だった。

遊園地の乗り物に乗っている気分だった。


6時前に朝食の賄いを食べさせてくれた。

賄いは、マグロ丼だった。

そして、賄いを食べ終わる頃には、徐々にお客さんが増えて来たのだった。


6時を過ぎてからの人の増え方は半端じゃなかった。

あっという間に市場は人で一杯になった。


楽勝だと思っていたターレの運転は、全然楽では無かった。

人ごみの中を縫って走るのはことのほか難しかった。

俺たち三人は交代でターレを運転した。

ターレが出ていて、荷物が手で持てる量の時は、手で持ってお客さんの車まで運んだ。


8時を過ぎると徐々に人は減って行った。

9時を過ぎると人はまばらになって行った。

10時前に俺たちの仕事は終わった。


ピークは6時~8時の2時間だった。

帰りは、M沢にK川を俺んちまで送って貰い、俺んちでの解散となったのだった。

魚市場の仕事はそれほどきついものではなかった。

しかし、普通より時給が良かったことの代償を俺たちは初日から払うことになったのだった。


その代償は、足のしもやけだった。

冬場の魚市場の床は、常時水が流され、めちゃくちゃ足が冷えて痛かったのだ。

俺たち三人は、みんな同じだった。

翌日から俺たちは、靴下を2枚重ねにして行くことにしたのだった。


(つづく)

2019年11月17日 (日)

俺の道 ~中高生編~ (15)

(15)幻の有馬記念

停学が解けた俺たちには面白い出来事が待っていたのだった。

それは、年末の有馬記念だった。

チーフコックのA見さんは、大の競馬ファンだったのだ。

A見さんの部屋は、競馬馬のポスターが一杯貼られた部屋だった。

俺は良く飲みながら、A見さんから訳の分からない馬の話しを熱く語られ聞かされていたのだ。


1980年12月、バイト先の大人たちに代わって、俺が後楽園の場外馬券売場に馬券を買いに行くことになったのだ。

人生で初の体験だった。

俺はA見さんからめちゃくちゃ勧められ、仕方なしに千円だけ付き合うことにしたのだった。


俺がみなんから預かった金額は約20万だった。

俺はM沢を誘い、電車で後楽園まで行ったのだ。


初めての馬券購入は結構緊張した。

周りは大人ばかりだった。

俺はA見さんから預けられた数字が書かれた紙を片手に、教えられた通りに窓口で約20万円分の馬券を購入したのだった。


すると、後ろから覗いていたグレーの作業服姿のおっちゃんが驚きの声を上げたのだ。


「すっげーなー兄ちゃん!」

「その若さで度胸あんな~!」


俺は、何か急に大人になったような気がした。

俺とM沢は、笑いながら場外馬券売場を後にし、急いで帰路についたのだった。


この時、俺たちはなるべくレースが始まる前までに帰って来るようにと、A見さんたちに言われていたのだった。

しかし、西武新宿線の『柳沢駅』に着き、バイク置き場に向おうと電気屋の前を通り過ぎようとした時だった。

電気屋のTVは、丁度有馬記念がスタートした場面を映していたのだ。

俺とM沢は間に合わなかったのだ。


俺たちは、電気屋のTVに釘付けになった。

そして、なんと!!


結果は、誰一人として当たらなかったのだった!!


俺とM沢は大爆笑した。

20万が一瞬にして紙くずになったのだった。

そして、俺たちは言いあった。


「俺たち何しに行ったんだよ~」

「20万がゼロかよ~」

「買った振りして使っちゃえば良かったな~!!」


この時の俺たちは、まだノミ行為というものを知らなかったのだ。

そして俺は、この後二度と馬券は自分では買わないようにしたのだった。


俺は、今でもそうだが、競馬やパチンコには一切興味がないのだ。

もしかしたら、初めての経験が俺にとっての戒めになったのかも知れない。

この時の結果が、もし逆だったとしたら・・・。

俺の人生、また違ったものになっていたのかも知れないと思うのであった・・・。


(つづく)

2019年11月16日 (土)

俺の道 ~中高生編~ (14)

(14)貧しさの代償

時期は正確に覚えていないが、2学期の後半、確か11月か12月頃だった。

俺とM沢に突然予想外の事件が起きたのであった。


学校へT警察から連絡が入った。

そして、俺とM沢は、訳もわからず突然T警察に呼び出されたのであった。

俺たちは最初、警察から呼び出された理由が全く見当がつかなかった。

特に何かやらかした記憶は全く無かったのだ。


俺とM沢は、T警察に出向いた。

すると、少年係が対応し、俺とM沢はそれぞれ別の部屋へ入れられた。

そして、そこで尋問をされたのだった。


俺は、自分が捕まる様なことは何もしていないことを主張した。

すると、担当官から意外なことを聞かれた。


「I盛のことは知っているな」


俺は答えた。


「はい」


そして、更に聞かれた。


「最近は、会っているか?」


俺は少し考えた。

そして、最近はあまり学校にも来て無く、しばらく会って無いと思った。

俺も毎日行ってはいても、ほとんど授業を受けていなかったから気づかなかったのだった。

俺はそう答えた。


すると担当官は言ったのだった。


「I盛は、万引きで捕まったんだよ」


俺は驚いた。

そして、I盛は、家電品を万引きし、更にはそれを転売して捕まったとを聞かされたのだった。


俺は聞いたのだった。


「それで、何で俺とM沢が呼び出されたんですか?」


すると、担当官は驚がく的なことを言ったのだった。


「I盛が、万引きを教わったのは、お前とM沢から教えられたと言ったんだよ」


俺は、内心思った。


「あいつ、チクリやがった・・・」


俺は、M沢に教えて貰ったのだったが、それは言わなかった。

そして、俺は言ったのだ。


「確かに最初に教えたのは、俺たちかも知れない」

「でも、俺たちが実際にやったのは、2~3ヶ月位前に2~3回やっただけですよ」

「それ以降は、1回もやっていませんよ」

「今は、毎日バイトして、金には困ってませんから」


しばらくして、俺とM沢は注意だけされて解放されたのだった。


T警察を出た俺とM沢は、最初二人で笑ったのだった。


「あいつチクリやがったよ!」

「しっかし、家電品なんてデカイものをやったら、捕まるに決まってんじゃんなぁ!」

「しかも、転売までして、あいつバカじゃねーのか!」


俺たちは、そう言って笑いあった。

しかし、俺たちの笑いは直ぐに消えたのだった。


「でもよぉ、あいつんちも貧乏だからなぁ・・・」

「兄弟も多いしなぁ・・・」

「あいつ長男だしなぁ・・・」

「金に困っていたのかもしんねぇなぁ・・・」

「しょうがねぇよなぁ・・・」


俺たちは、I盛のことを責めないことにしたのだった。


I盛は、高校入学当時は、ツッパリでもグレてもいない普通のサッカー小僧だったのだ。

どちらかと言うと、俺たち二人と付き合うようになってから、少しずつ悪くなって来たのだ。

こっちの世界に引きずり込んだのは、どちらかと言うと俺とM沢なのだった。


数日後、I盛は登校して来た。

そして、俺たち3人は1週間の停学になったのだった。

しかし、3人一緒だと何をするか分からないと、停学なのに毎日登校させられたのだ。


俺たち3人は授業を受けず、毎日体育教官室に缶詰めにされたのだった。

そして、この頃の俺は髪を染め、パーマ頭が伸びて、茶髪のアフロに近い形になっていたのだった。


(つづく)

2019年11月15日 (金)

俺の道 ~中高生編~ (13)

(13)酒酔い運転の始まり

バイトの方は、最初は皿洗いをしながら時々キッチンを教えてくれる感じだった。

夕飯のピーク時のキッチンは、チーフのA見さんとS司先輩、それに俺が補助で入り、それでも足りない時は、フロアー主任のI泉さんか店長がフォローする形だった。

S司先輩が大学受験のため、10月一杯でバイトを辞めてしまうとのことで、それまでに俺を仕込んでくれることになったのだった。

そのお陰で、俺は一ヶ月も経たずに、ほぼ一人でキッチンを回せるようにまでなっていたのだ。


このファミレスの売りは、パンケーキとクレープだった。

ここのキッチンは、大きく分けて4つのスペースから成っていた。

サーロインステーキ、ハンバーグステーキなどの肉類に網目を入れて焼くグリル。

パンケーキやクレープ、スパゲティなどを焼く鉄板。

フリッターやポテト、唐揚げなどの揚げ物類。

サラダなどの野菜類の4つのスペースだ。


俺の中学時代の技術・家庭の成績は3年間通して5だった。

手先は器用な方だった。

物覚えも悪くは無かった。

コックは俺の性分に合っていたのだ。


俺は10月分の給料で、初めてのパーマをかけたのだった。

そして、11月に16歳になり、俺は誕生日の日に原付の免許を取った。

免許の取得と同時に、それまでのバイト代で、俺は当時流行っていた『パッソル』を中古で買ったのだった。

値段は、確か3~4万だったと思う。


原チャリを取得したことで俺の行動範囲は広がった。

それからは、毎日のように夕方から閉店の深夜2時すぎまで働いた。

月末には棚卸まで手伝うようになった。

棚卸を手伝うようになったことで、商売というものを少し理解しはじめた。

そして、数が合わなくなる食材は、つまみ食いが出来ないことを知ったのだ。

逆に、つまみ食い出来るものも知ったのだった。


俺は、多い時は、月に200時間以上働いた。

バイト代も軽く10万を超えたのだった。


月に数千円しか小遣いを貰っていなかった俺にとっては大金だった。

俺は、それまで抑えていた自分の欲求を満たすためにバイト代は全て自分のために使った。

貯金なんかはしなかった。


その頃から、チーフのA見さんが遅番の時は、店を閉めた後、A見さんに連れられ、明け方まで近くのスナックかA見さんのアパートで酒を飲むようになったのだ。

俺はいつも明け方に、原チャリの酒酔い運転で帰宅していた。

時には、自分ちの前でゲロッたりしたこともあった。


今思えば、なんちゅう高一かと思う。

俺の息子じゃなくて良かったとさえ思う・・・。


この頃の俺は、朝方に帰宅してから寝て、昼近くに起きるような生活だった。

俺が起きた頃には、既に両親ともに働きに出ていて台所には弁当が置いてあった。

俺は昼近くになってから弁当だけ持って原チャリで学校へ行くのだ。

原チャリは、校門の直ぐ目の前にある雑貨屋に預かって貰っていたのだ。

俺は、雑貨屋のおばちゃんと仲良しになっていたのだった。


俺は、午後の授業だけ受けたり、酷い時は弁当だけ食って仲間を誘い、午後の授業もサボって遊びに行ったりしていた。

そして、また夕方からバイトに入るという生活だった。

この頃からの俺は、一応毎日学校には行くのだが、弁当を食べに行くだけで、ほとんど授業は受けていなかった。

バイトが本業になっていたのだ。

そして、急激に出席日数は減少していったのであった。


(つづく)

2019年11月14日 (木)

俺の道 ~中高生編~ (12)

(12)初めての補導

9月下旬、俺は念願のアルバイトを始めた。

初めてのバイト先は、既に倒産して無くなったが、昔あった長崎屋という百貨店系列の『I‐HOP』というファミレスでのキッチンのバイトだった。

カッコ良く言えば、コックだ。

キッチンで入ったのだが、最初は皿洗いだった。


皿洗いは、下げられてきた食器を一度熱湯に浸けてからそれを取り出し、大型の食器洗い機に入れて洗うのだ。

皿洗いは、熱湯に浸けた食器を取り出すのが大変だった。

ゴム手袋をして取り出すのだが、浸けているのが熱湯だから、それでもかなり熱いのだった。


当時の時給は550円だった。

そして、22時以降は2割増しになった。


バイトを始めると、このファミレスには同じ高校の3年生の先輩が一人いた。

名前をS司さんといった。

そして、チーフコックは社員で、元ヤンキーで19歳のA見さんだった。

この二人が俺を可愛がってくれ、徐々に俺は大人の世界(悪さ)を憶えていったのだった。


バイトを始めて直ぐ、俺はS司先輩にファミレスの駐車場で原チャリの乗り方を教わったのだった。

ある日、バイトに入るまでには時間的余裕があり、俺はA見さんの原チャリを借りて、S司先輩と二台で駐車場の中で追っかけっこをして遊んでいたのだ。

すると、S司先輩が公道に出て逃げた拍子に、俺もうっかり公道に出てしまったのだった。


ちょうどその時、運悪くスーパーカブに乗った警官が通りかかったのだ。

S司先輩から、「逃げろ!」と言われたのだが、俺は直ぐに意味を理解出来なかったのだ。

俺は警官に言われるまま素直に停まってしまったのだ。

そして、免許証の提示を求められたのだが、そんなもの持っている訳がなかったのだ。

いきなりの無免許だった。

俺は、敢え無く御用となった。


今考えても、なぜあの時逃げなかったのか不思議だ。

きっと、あの頃の俺には、まだ素直な俺が残っていたのかも知れないと思うのであった。


この時が俺の人生初めて補導だった。


この頃の俺は、まだ外見的には特に悪くはなっていなかった。

髪型もスポーツ刈りが少し伸びた感じだった。

服装は、制服だった。

K校の制服は、グレーのジャケットにグレーのズボンだった。

特に太いズボンをはいていた訳でもなく、俺の制服はノーマルだった。


俺はK平警察に連行された。

この時の俺は、警察で聞かれたことには素直に答えた。

そして、数時間後、親父が呼び出された。


俺は初めての補導だったことで、無免許のキップも切られず、厳重注意で済んだのだった。


捕まった時は、まだ明るかったのだが、警察署を出た時は、既に日が暮れていた。

俺は親父から怒られるのを覚悟した。


俺は親父の少し後ろを歩いていた。

すると親父は、振り返らずに前を向いたまま一言だけ言ったのだった。


「お前くらいの歳が一番狙われるんだから、気をつけろよ」


俺は答えた。


「うん、わかった・・・」


怒られると思っていた俺は、なんか拍子抜けした。

しかし、初めて親父に対し、男らしさみたいなものを感じたのだった。


俺は親父とは途中で別れ、バイト先に戻った。

バイト先に戻った俺をA見さんとS司先輩は心配してくれていた。

S司先輩は俺にひたすら謝ってくれたのだった。

S司先輩を恨む気持ちは、俺には全然無かった。

調子に乗って公道に出てしまった俺が悪かったのだ。

そしてこの日、俺は皿洗いのバイトに入ったのだった。


この無免許事件は、親父がどうやって警察と話を着けたのかは知らないが、学校に知られる事は無かったのであった。


しかし、今更ながら良く考えてみると、この時無免許のキップを切られなかったのは本当にラッキーだった。

もし切られて1年間免許が取れなくなっていたら、この後の俺の人生は全く別のものになっていたのかも知れないと思うのだ。

もしかしたら、そっちの方も何らかの形で親父が話をつけてくれたのかも知れないと思うのであった。


(つづく)

2019年11月13日 (水)

俺の道 ~中高生編~ (11)

(11)脱出作戦

高校に行ってからの俺は、小学校から仲の良かったK川や、同じ中学出身の友人との付き合いは日に日に少なくなっていった。

それより、サッカー部で出会った新たな二人と特に仲が良くなっていた。

そして、しょっちゅうつるむようになっていたのだった。


Y中サッカー部主将だったI盛と、T二中サッカー部主将だったM沢だ。

I盛は同じクラス、M沢は隣のクラスだった。


二学期になり、最初理由は分からなかったのだが、M沢が親の負担でアパートでの一人暮らしを始めたのだった。

そして、M沢は中型二輪の免許を取り、バイクも持っていた。

YAMAHAのRD400だった。

俺は良く後ろに乗せて貰っていた。

教習所代もバイク代も親に出して貰っていた。

俺は、そんなM沢が羨ましかった。


M沢が一人暮らしを始めたことを聞いた俺は、ある作戦を思いついた。

そして、直ぐにM沢に相談した。

家出だ。


M沢は直ぐに応じてくれた。

そして、この時の俺には、家出の裏に、ある計画があったのだった。


俺の計画を実行するに当たっては、ある程度の生活用品が必要だった。

俺には生活して行くだけの金がなかったのだ。


俺がM沢に相談すると、M沢は万引きを提案した。

M沢は、以前万引きをしたことがあると言ったのだった。

俺はM沢から万引きを教わった。

そして、二人で実行したのだ。


主にパクっていた物は、ヘアケア商品とかTシャツ、下着とかの日用品と衣類、そして簡単な食料品だった。

俺たちは、一店舗でまとめてはやらず、色々な店で少しずつ貯め込んだ。


途中からI盛も加わり、俺たち3人はゲーム感覚で万引きをした。

そして、俺とM沢は、取りあえずの生活用品が揃った所で万引きから手を引いたのだった。


そして俺は、家出を決行した。


二人の共同生活は、めちゃくちゃ楽しかった。

ある夜、寝る前に俺はM沢に聞いた。

なんで、一人暮らしになったのかと。

俺はバイクも買って貰い、一人暮らしまでさせて貰っているM沢が羨ましかった。


M沢は、言い難そうに少しだけ打明けた。

M沢の親父が再婚したと。

それまでは親父と二人暮らしだったらしい。

新しい家庭の中には、M沢の居場所が無かったらしい。

それで一人暮らしになったと。


俺はそれ以上聞かなかった。

ジャニーズ系のイケメンで、明るいM沢だったが、こいつにも色々あるんだなと思ったのだ。


そして、予想通り、家出をしてから1週間ほど経ったある日の夜、M沢のアパートに親父は現れたのだった。


俺にとっては、ここからが本番だった。

帰ることを強制する親父に対し、見つかったからといって素直に帰る俺ではなかった。

俺には、明確な目的があったのだ。

俺は親父とある交渉をしたのだった。


交渉内容は、俺がアルバイトをすることに同意させることだった。

この時の俺の本当の目的は、家出ではなく、アルバイトだったのだ。

親父に見つかることは、計画の中に入っていたのだ。


なぜなら、家出をした俺は、M沢と一緒に毎日学校に行っていたのだ。

家出が目的なら学校には行かない。

しかし、俺は毎日M沢とともに学校に行ったのだった。


この時の俺は、とにかく自分の自由になる金が欲しかったのだ。

そして俺は、親父との交渉でアルバイトをすることへの同意を得たのだった。


この時点で俺の目的は達成した。

俺はこの日を最後に自宅に戻ったのだった。

そして間もなく俺は、念願だったアルバイトを始めることになったのであった。


(つづく)

2019年11月12日 (火)

俺の道 ~中高生編~ (10)

(10)正夢による呪縛

夏休みが終わり2学期初日の9月1日のことだった。

俺の身に、突然親の力を見せつけられるような出来事が起こったのだ。


その日の朝、俺は学校に行こうと玄関に下りた。

すると、母親が俺を呼びとめ、一言言ったのだ。


「昨夜、お前が事故にあう夢を見たから気をつけなさい」


俺は空返事をして、チャリンコにまたがり、数m先の道路に出たのだった。

その瞬間だった。

俺は車に跳ねられた。

家を出てから、ほんの数秒後のことだった。


その時の俺は、全ての動きがスローモーションのよう見えたのだ。

自転車に乗っていた俺の右真横から車が当たった。

足をすくわれる様な形になり、俺は車の屋根の上を横向きで転がった。

その時の俺は、シッカリと目を見開いていた。

そして、そのまま自分の足で着地したのだった。


俺は、一瞬驚きはしたのだが、それよりもスタントマンのように着地した自分にビックリしたのだった。

そして、自分で身体を確認すると、多少左肘を打った程度で何処にも痛みは無かった。


チャリンコも確認すると、多少ハンドルが曲り、カゴが潰れているだけだった。

俺は前輪を股に挟んでハンドルの曲りを直した。

カゴも引っ張って直した。

何も問題は無かった。


運転していた人が慌てて降りて来て心配したのだが、俺は笑って済ませたのだった。

飛び出した俺が悪いと思ったのだ。

そして俺は、運転していた人の免許証も何も確認せず、そのまま学校に向ったのだった。


車を運転していた人を責める気は全く無かった。

それよりも、内心では別のことを考えていたのだ。


「なんだよ、お袋が言っていたことが当たっちゃったなぁ・・・」


そして、帰宅してからその話をすると、俺は母親に怒られたのだ。


「あれだけ言ったのに何で気をつけないの!」


俺は、いつ頃からなのかは憶えていないが、無事だったことを喜ばず、こうして何かある度に激怒する母親のことが大嫌いになっていた。

そして親父は帰宅するなり言ったのだ。


「そんなことは全て神様が教えてくれているから分かっていたことだ」


今思えば、俺は千座行をやらされていた頃から、親父には全てを見通されていて、嘘や誤魔化しは出来ないものだと思い込んでいたのだった。


この頃の俺は、独りを好んではいても、人が嫌いな訳ではなかったのだ。

正義感や仲間に対する思いが人一倍強く、平等を好み、嘘や誤魔化しが大嫌いなだけだったのだ。


そして、それは知らない内に俺の価値観となり、それが正しいものだと思い込んだのだ。

大人になってもその考え方は変わらなかった。


しかし、俺の意識は、この頃から両親の押しつけを完全に拒絶し始めたのだった。

この時俺は、何としても学校を辞め、家を出ることを改めて決意したのだった。


(つづく)

2019年11月11日 (月)

俺の道 ~中高生編~ (9)

(9)殴り込み

1年が終わったら絶対辞めてやると決心した俺は、取りあえずはサッカーを頑張ることにしたのだった。

サッカー部は、2コ上の3年はかなり強く、上手い先輩も多かった。

日本選抜クラスが数人いた。


しかし、1コ上の2年は大したことがなかった。

それなのに1年は2年にめちゃくちゃしごかれたのだ。


練習前には、担当の先輩のシューズとボールを廊下や床に塗るワックスを盗んで来て、ワックスでピカピカになるまで磨かされた。

練習が終わると、1年だけが2年にダッシュを何本もやらされた。

ゲロを吐くまで走らされた。


俺は、自分がやらされて嫌だったことは人にはしないタイプだった。

しかし、代が替わり、これまで自分たちがやらされて嫌だったことを、ここぞとばかりにやって来るタイプは大嫌いだった。

俺は、いつしか、『こいつら全員締めてやる!』と思っていた。


そして、夏休み中の学校内での合宿の時、事件は起きたのだった。


1年は1階の教室で寝泊まりし、2~3年生は上の階の教室で寝泊まりしていたのだった。

ある晩、1年のW井が一人、上級生に呼び出され、上級生の教室に行ったのだった。

そして、しばらくするとW井は泣きながら帰って来たのだ。


俺は、理由を聞いた。

するとW井が言ったのだった。


「2年に押さえつけられ、裸にされ、○んぽにサロメチールを塗られ、カブトムシを這わされた・・・」


それを聞いた俺はブチ切れたのだった。


俺は、野球部の金属バットを持って単身で上級生の教室に殴り込んだのだった。

俺はこの時、全員締めてやるつもりだった。

全員半殺しにしてやると思っていた。


しかし、俺のあまりの剣幕に驚いたのか、誰一人として逆らう奴はいなかったのだ。

2年生全員が平謝りだった。

そして、3年が俺をなだめる状況で、俺は肩透かしを食らったのだ。


誰か一人でも掛かって来てくれれば、俺も手を出せるのだが、平謝りで無抵抗な奴には手を出せなかったのだ。

俺は仕方なく、2年全員にW井に謝罪させ、その夜は終わらせたのだった。


しかし、その翌日から、先輩の俺に対する態度が急変したのだった。

それまで、毎日やらされていた先輩のシューズやボール磨きを俺はやらなくて良くなったのだ。

そして、合宿が終わった後、俺は一人呼び出されたのだった。

相手はサッカー部で3年のパンチパーマを掛けた半グレな感じの先輩Tだった。


先輩のTは俺よりガタイが一回りデカかった。

しかし、俺より根性があるとは思えなかった。

俺はやる気満々で独りで出向いた。


しかし、そこで言われた一言で、俺は一気に冷めたのだった。

Tは言ったのだった。


「次はお前が頭張れ!」


俺は言ったのだった。


「はぁ?!」

「何言ってんですか?」

「俺がいつまでも、こんなダッセー学校に居ると思ってんですか?!」

「笑わせないで下さいよ!」


俺は、自分より強い奴を倒すことにしか興味が無かった。

頭を張るとか、お山の大将になるようなことには全く興味が無かったのだ。


俺はその時思ったのだ。


「こんな奴らと一緒にいたくねぇ!!」


俺は、その後直ぐにサッカー部を辞めたのだった。


(つづく)

2019年11月10日 (日)

俺の道 ~中高生編~ (8)

(8)志村けんの母校

面接が無いのに髪を切らされた俺は、無事都立には合格したのだった。

そして、行き先は76郡の中の都立K高校だった。


K高校は、男も女も、同じ中学では結構仲の良かった奴が一緒だった。

小学校から仲の良かったK川、K川の元カノだったN沢、そして俺と同じクラスで、キャロライン洋子似のハーフの様な可愛い顔立ちだったI川が一緒だった。


K高校サッカー部の顧問は、当時全日本の関係者だったらしく、K高校は都立の中ではサッカーが強い学校だった。


俺とK川は、迷い無くサッカー部に入部した。

K高校のサッカー部には、H中サッカー部の先輩は一人もいなかった。

そして、入部してから先輩から教えられたことがあった。

それは、K高校は、『志村けん』の母校だったということだ。

そして、同じサッカー部だったということだった。


俺たちは、図書室に行き、過去の卒業アルバムを探した。

そして、教えられた3期生の卒業アルバムの中に『志村けん』を発見し、爆笑したのだった。


それから少しして、俺はK川からあることを聞いたのだった。

K川は、入試の三教科の合計得点が220~230点だったのだが、担任からベスト7に入っていると言われたと俺に言って来たのだった。

そして、俺は多分、ベスト3に入っているはずだと。


それを聞いた俺は、自分より上が大して居ないことを知り、一気につまらなくなってしまったのだ。

そして、入学から1ヶ月ほどしたGWに俺は親父に言ったのだった。


「学校を辞めたい」


この当時の俺は、とにかく金を稼いで家を出たかったのだ。


その理由が、俺より上がいない。

そんな所に行っても意味が無い。

そう思っていたのだった。


しかし、親父は簡単には許してくれなかった。


「お前が行きたいと言って行った学校なんだから1年間は行け」

「一年経っても気が変わらなかったらお前の好きにしろ」


そう言われたのだった。

そして俺は、1年が終わったら絶対に辞めてやると、この時決心したのだった。


(つづく)

2019年11月 9日 (土)

俺の道 ~中高生編~ (7)

(7)幻の合格発表

当時の俺は、何に対してなのかは分からなかったが、ツッパってはいた。

ただ、自分がグレているとか、不良だとは思っていなかった。


成績も決して悪くは無かった。

理数系なら学年でもトップクラスだと思っていた。


しかし、授業態度はめちゃくちゃ悪かったのだ。

そのため、内申はオール3.5位で4には届かなかった。


苦手なのは音楽と社会だった。

この二教科だけは、いつもアヒルの2だった。

そして、逆に技術・家庭と美術は3年間通して5だった。


残りが3と4。

理数系が授業態度の悪さで5を貰えなかったのだった。

特に数学が学年主任で担任のS澤の教科で、この人が男子と女子のバレーボール部の顧問だった。

そして、全校集会ではいつも俺を叱責し、俺との相性が悪かったのだ。


内申は左程高くない俺だったが、高校受験を前にした、模擬試験での俺の成績は悪くは無かった。

当時は、英・数・国の三教科が試験科目で、俺の偏差値は、62~63だった。


志望校を決める面談では、俺は偏差値を基準に考えて志望校を決めたのだった。

しかし、ことごとく担任のS澤に、『お前は内申がないからダメだ』と却下されたのだ。

そして、ギリギリで受かって下の方にいるより、ランクを落として上の方に居た方が良いと説得されたのだった。


今思えば、この人も、それに同調した俺の母親も、俺のことを何も分かっていなかったのだ。


結果的に、私立2校と都立の俺の希望は、全て1~2ランク落とさせられたのだった。


結局俺は、都立は新設のM校かH校の希望を76郡に変更させられ、それを第一志望としたのだ。

そして、私立はN大付属のN校希望をT校に変更させられ、それと地域では滑り止めで有名な男子校のK校の3校を受験することになったのだった。


受験日程は、最初にN大付属のT校、次に滑り止めのK校、最後に都立という順番だった。


N大付属T校の受験日の翌日、俺はいきなり職員室に呼び出されたのだった。

職員室に行くと、担任のS澤からいきなり問い詰められたのだ。


「お前、なにをしたんだ?!」


俺は、答えた。


「何もしていませんよ」


S澤は、更に言ったのだった。


「T高校から、ああいう子は、うちには入れられませんと直接電話があったんだよ!」


俺は、察しがついた。

N大付属T校では、筆記試験の後、5人のグループ面接があったのだった。

俺以外の4人は、みんな色々な質問をされ答えていた。

中には、身体が弱く、毎朝ランニングをして鍛えているとアピールしている奴もいた。


そして、5人の中の最後に俺の番になった。

その時、俺は試験官から言われたのだ。


「君、ちょっと横向いてみて」


俺は言われた通り横を向いたのであった。

すると試験官は言ったのだ。


「君、良い角度だねぇ~」


俺の面接試験の質疑応答はそれだけだった。


試験官は、俺の剃り込みの角度を嫌味で褒めただけだったのだ。

この面接で俺は全てを悟り、帰り際校門にツバを吐き捨て、在校生と睨みあって帰って来たのだった。


そして次は、受験者数が1万人位で、9千人が合格すると言われていた、三多摩地区では滑り止めで有名な偏差値40レベルのK校だった。

K校には面接が無かった。


しかし、俺はまたもや受験日の翌日、担任のS澤に呼び出されたのであった。

そして、N大付属校と同様に、直接学校にお断りの連絡が入ったことを告げられたのだ。


K校の受験は、受験が終わった後、在校生とガンの飛ばし合いとなり、あわや乱闘になりそうになったのだった。

そして俺は、「こんなバカ学校!頼まれたって来ねーよ!!」と、捨て台詞を吐いて帰って来たのだ。


俺は、私立には最初から行く気はなかったのだ。

都立一本でも良かったのだ。


私立に受かっても、俺んちには、そこに通える金が無いと思っていたのだ。

俺にとって高校は、何か行く目的があった訳では無かった。

ただみんなが行くからという理由しか無かったのだった。


慌てたのは担任のS澤だった。

前代未聞だと大騒ぎし、俺の母を呼び出したのだ。


そして、都立受験の前に私立の二次募集を受けろと言った。

しかし、俺はそれを断ったのだ。

面接の無い都立の76郡は楽勝だと思っていた。


S澤は、何度も俺に私立の二次募集を受けるようにと言った。

しかし俺は、一切受け入れなかった。

そしてS澤は、都立一本にする条件として、俺に坊主にするよう要求したのだった。


S澤の言い分は、『お前は、点数は取れるんだけど、髪型が良くない』というものだったのだ。

そして、それを母に言い、母に泣きながら俺に懇願させたのだった。


俺は、渋々その条件を飲み、その日の授業中に床屋に行かせられたのだった。

柴田恭平を目指していた俺は、元のスポーツ刈りに戻ってしまったのであった。


都立の受験後の自己採点での俺の点数は、三教科で250点だった。

数学100、英語と国語がそれぞれ75だった。


同じ76郡を受けた奴らの点数は、200点前後の奴らが多かったようだった。

結果、俺は合格した。


同じサッカー部で学年トップクラスの秀才で、三多摩地区の都立校東大コースだった72郡に受かったHの点数を聞くと、三教科で265点だった。

俺は内心、点数では大差が無いことに悔しさを覚えたのだった。

そして、俺はあの時思ったのだ。

受験をしていながら、合格発表さえも見させて貰えなかった俺は、一体何だったのかと。

俺の高校受験での私立校の合格発表は、幻となったのであった。


しかし俺は、後日冷静に考えて思ったのだった。

多分点数は、合格ラインに届いていたんだなと。

だから、わざわざ学校に電話をして断って来たんだなと。

単に試験の点数が悪くて合格ラインに届いていないのであれば、電話で断る必要も無いと思ったのだ。

その思いは、俺の中では確信に近かったのであった。


(つづく)

2019年11月 8日 (金)

俺の道 ~中高生編~ (6)

(6)俺たちは○○だ!

俺の記憶は、本当に自分が好きだった仲の良かった奴との記憶しかほとんど残っていない。

なぜなのかは分からないが・・・。

先輩もそうだ。

カッコイイ憧れの様な先輩のことしか覚えていない。


10代後半の頃から俺は、明確に『100人の飲み友達より、1人の親友が居ればそれでいい』という考え方で生きて来た。

しかし、こうして振り返って見ると、その考え方は、中2の引っ越し以降に作られて来たように思う。


俺は4~5年前までは、学生時代の友達とは一人も繋がっていなかった。

しかし4~5年前、偶然ミクシーで同級生のK子からメールが送られて来たのだった。


K子とは、特に仲が良かった記憶はなかったが、中1か中2の時に同じクラスで、名前が変わった読み方だったことから、名前だけはシッカリ憶えていたのだ。

K子は誰とでも仲良く出来るタイプらしく、結婚して地元を離れていても、中学時代の友だちとも仲良くやっているようだった。

そして、地元の女友だちたちに声を掛けてくれ、少ししてからプチ同窓会をやってくれたのだ。

男は、俺とY中の二人だけで、あとは女が7~8人だった。

当たり前だが、みんなおじさんとおばさんだった。


そして、俺たちの代は、東京オリンピックの年の生まれだったことから、卒業後は4年に一度オリンピックの年に学年での同窓会をやってきているのを教えられたのだった。


俺は、そんなことは全く知らなかった。

俺は、16で一人暮らしを始めてから、6年前に離婚するまで、一度も保谷には帰っていなかった。

もちろん成人式も出ていない。


そして3年前、俺は36年振りに中学の同窓会に参加したのだ。


実際に参加してみて思ったのは、知らない奴の多さだった。

中3の時に同じクラスだった奴らと、サッカー部の奴ら、そして多少つきあいのあった仲の良かった奴らのことしか知らなかった。

向こうは知っていても、俺は知らなかったのだ。

どちらかというと、男より女の方が知っている顔は多かった。


そして可笑しかったのは、俺と仲の良かった女たちは、何故かみんな俺に母親のような口ぶりで俺に話し掛けてくることだった。

「もう、なにしてたのよ~」

「急に居なくなったから心配してたんだよ~!」

「今まで何してたの?」

「どうしてたの?」

「もう、死んじゃったんじゃないかと思って心配したんだから~」

などなど。

4~5人の女たちから次々に聞かれたのだった。


俺は小さくなるしかなかった。

そして、俺は内心で思った。


「こいつらは俺の母親か?!」

「俺はそんなに子どもっぽかったのか??」


確かに、男よりも女の方が、仲が良かった奴は多かったのだが・・・。


「女は、みんな俺を子ども扱いしていたのか??」

「俺は自分の知らない所で、子ども扱いされていたのか??」


この時の俺は、自分が抱いていた自分自身のイメージとのギャップで、自分が分からなくなりかけたのだった。


そして何より驚いたのは、男がみんな思ったより老けていることだった。

若い頃は老けて見られていたはずの俺の方が、知らない内に若く見える感じになっていたのだ。

逆に女は、俺の知る同世代の女性より若く見える奴らが多かった。

俺が気づかなかっただけで、俺の同級生は案外綺麗な奴が多かったのかも知れないと思ったのだった。


俺は、中2の引っ越し以降、学区域からの登下校はいつも一人だった。

途中で誰かと合流したり、途中まで一緒に帰ったりというのがほとんどなかった。


友だちが居なかった訳ではなかった。

ただ、仲が良い奴は限られていて、俺はそれ以外と付き合うのが面倒臭かったのだ。

普段はサッカーばかりで、休みの日に誰かの家に遊びに行くというようなことは一度もなかった。

俺んちに来る奴も一人もいなかった。

俺は、自分が熱中していること以外、全く興味が無い奴だったのだ。


それは、中3になってから顕著に現れた。

人間関係もさることながら、授業もそうだった。

興味の無い学科の授業は、ほとんど寝ていた。

特に保健体育は、授業を受けた記憶が全く無かった。


そのため俺は、どうしたら子どもが出来るのかは、中3になるまで知らなかったのだ。

それも、中3になった頃、K川から聞かされて初めて知ったのだった。

当時の俺は、うぶだったのだ。


しかし、中3の夏、それまで熱中していた俺のサッカー生活が終わってから、俺は変わり始めたのだった。

それまでスポーツ刈りだった俺は、髪を伸ばし始めた。

同時に揉み上げも伸ばした。


当時、舘ひろし率いるクールスが流行っていた。

俺は、『俺たちは天使だ!』の『柴田恭兵』が好きで憧れた。


髪の毛を伸ばした俺は、柴田恭兵の真似をしてサイドバック風のリーゼントにした。

当時、整髪料を買うことが出来なかった俺は、親父のポマードとチックを盗んで使っていた。


いつしか、校庭で行われる全校集会の朝礼の場で、『そこの頭光ってるの!』と、学年主任でもあった俺の担任のS澤から、毎週のように叱責されるようになっていったのだ。


俺の学校では、俺の目から見た不良は一人も居なかった。

ただ、男子バレーボール部の奴らを中心に、何人かが中ランを着て、多少のツッパリ系が群れをなしてはいた。

しかし、俺より強いと思える奴は一人もいなかった。


そのグループの中心的存在の奴は俺と同じクラスのS藤だった。

S藤は口は達者だったが、俺の興味を引くレベルでは無かった。

同じクラスで知ってはいても、全く興味が無かったのだ。


俺は、そいつらとは一切つるまなかった。

そして、俺からは一切手を出す事もなかったのだ。


しかし、サッカー部の補欠だった奴が一人、何を思ったのか、ある日俺を呼び出したのだ。

そいつは、サッカー部のくせに男子バレーボール部の奴らとつるんでいたのだ。

今思えば、多分、そいつのクラスは男子バレーボール部の奴らが比較的多くいたからかも知れない。

冷静に考えれば、そいつらにそそのかされたのかも知れないとも思える。


そいつは、運動神経も大して良くなかった。

根性があった訳でもなかった。

特に何かに優れていると感じさせるものは何もなかった奴なのだ。

部活以外で付き合ったことは一度もなかった。


しかし、当時の俺は、そんなことには全く気づけなかったのだ。


逆に、当時の俺は楽しみだったのだ。

堂々と喧嘩が出来ると。


俺はやる気満々で独りで呼び出された場所に行った。

しかし、そいつはそこに現れなかったのだ。


人を呼び出しておいて現れないとは何事かと、俺は思った。

俺は楽しみを奪われた気分だった。

俺の腸は煮えくり返った。


そいつはE組のI藤、あだ名をH子と言った。

腸が煮えくり返った俺は、E組まで出向いた。

俺はそいつの襟首を掴んで、そいつを締め上げた。

そして、俺はH子に言ったのだ。


「てめぇ、人のこと呼び出しておいて、なんで来ねぇんだよ!」


すると、H子は言ったのだった。


「S藤に、あいつにだけは手を出すなって言われたんだよ・・・」

「殺されるぞって・・・」


俺は、なるほどなと思った。

S藤の言いそうなことだと思ったのだ。


S藤は俺からすると、喧嘩が強いとか、根性があるとか、リーダーシップがある訳ではなかった。

ただ、口が達者で、単にズル賢しこい奴だったのだ。


俺は、H子に詫びを入れさせ、それで終わりにしたのだった。

そして、いつしか俺の周りでは、『あいつにだけは手を出すな』という風潮になっていったのであった。


しかし、人間と言うものは、根本的には子どもの頃から左程変わらないものだと、3年前の初めての同窓会に出た時に俺はつくづく思ったのだった。


偶然にも俺は、3年前に初めて参加した同窓会でH子と会ったのだった。

同窓会の会場では見掛けなかったのだが、喫煙所に行くとH子がいたのだ。

そして、偉そうに一人長イスの中央に腰掛け、何人かに向って話していたのだった。


俺はH子に声を掛けた。

そして、今何をやっているのかを聞いたのだ。

すると、H子は偉そうに言ったのだった。


板前をやっていて、日本料理の3会派の内の一つのS会の理事になったと。

そして、料理学校で教えていると。

鼻高々に言ったのだ。


それを聞いた俺は言ったのだった。


「へぇ~、そりゃあ凄いなぁ!」

「料理学校の先生なんだ~」


そして、俺は悪気も何も無く、ただ普通に何気なく言ったのだった。


「お前、S会なのか?!」

「S会なら俺も多少知ってるよ~」

「昔、若い頃にS会のS藤さんに世話になったことがあるんだよ~」

「もう、30年位前だけどな」


H子は、その名前を聞いた瞬間に愕然としたのだった。

S会のS藤さんは、俺が世話になった当時、日本料理界のドンと言われた人だったのだ。

そして、その後、俺はH子と多少話をしたのだ。

そして、H子は最後に一言だけつぶやき、すごすごとその場を後にしたのだった。


「もう、H子って呼ばないでくれよぉ・・・」


俺はその時、その一言でピーンと来たのだった。

こいつは、俺に付けられたあだ名が気にくわなかったのかと。

それで、俺をあの時呼び出したのかと。


俺としては、愛着を込めて付けてやったつもりだったのだが・・・。

あいつはそれが嫌だったんだなと。

俺は自分で気づかない内に、あいつを傷付けていたことに気づかされたのであった。


「悪かったな、H子!」


奴を傷付けたことには気づいた俺だが、だからと言って今更あだ名は変えられない。

H子は、いくつになっても、どんなに偉くなろうとも、H子だと思う俺なのであった。


(つづく)

2019年11月 7日 (木)

俺の道 ~中高生編~ (5)

(5)反目の親善試合

確か俺が中3になった頃だったと思う。

俺たちサッカー部が東京都の代表に選ばれ、朝鮮代表とサッカーの親善試合を行うことになったのだった。

場所は、俺たちH中のグラウンドだった。


試合の日、朝鮮チームは100人以上の応援団を引き連れて来たのだった。

俺たちの時代は公式戦でも、学校の応援団が着いて来るというようなことは一度もなかったから驚きだった。

朝鮮の女子は、みんな胸まである袴のような制服だった。

変な服だと俺たちは笑いあった。


その試合で、俺はやらかしたのだ。


その時の俺のポジションは、右のサイドバックだった。

朝鮮チームは、みんな俺たちより一回り身体がデカイ感じだった。


試合が始まると俺たちのチームの方が優勢でワンサイドゲームに近い感じになっていた。

そして、前半の中盤になりかけた頃、俺はあることに気づいたのだった。


俺の逆サイドの左バックスのK子が、相手の右ウィングの選手にちょこちょこと蹴りを入れられ反則をされていたのだ。

K子は足は速かったが、身体が小さかった。


それに気づいた俺は、審判に何度かアピールした。

しかし、相手選手は審判が見ている時は平静を装い、審判の目が離れると反則を繰り返した。


ワンサイドゲームに近かったせいで、バックスの仕事があまりなく、俺はK子の心配ばかりしていた。

そして、いつしか俺は我慢の限界を超えた。

俺は、逆サイドまで走って行き、気づいたら相手の選手に飛び蹴りを喰らわしていたのだった。


ブチ切れた俺は、それ以降はあまり記憶に無いのだが、乱闘になりかけ試合は中止となったのだった。

俺たちH中側は、全員校舎に入れられた。

そして、朝鮮チームも帰らされたのだ。


しかし、朝鮮チームは校外には出たのだが、校門の前で全員が待ち構えていたのだ。

そして、校舎の中からと、校門の外から学校同士の罵り合いになったのだった。


俺は、俺が一人出て行けば済むことだと直ぐに分かった。

しかし、出させてはくれなかった。

部室として使っていた教室に閉じ込められたのだ。


そして、いつしか知らない内に、朝鮮チームは引き揚げて居なくなっていた。

友好のはずの親善試合は、俺のせいで台無しになったのだった。


(つづく)

2019年11月 6日 (水)

俺の道 ~中高生編~ (4)

(4)あゝ無情

正確にいつだったのかは憶えていないが、俺は中2の途中で生まれてから三度目の引っ越しをした。

同じ市内の本町という町だった。

隣のT市の境界に近い所だった。

学区域は隣のHB中の学区域だった。


この時の引っ越しは、両親からは何も聞かされてなく、いきなりの引っ越しだった。

サッカーに燃えていた俺は、転校を拒否し、それまでのH中に学区域外から通った。


この家は、それまでの借家とは違い、親父が購入したものだった。

しかし、小学生の時、毎週末の建売住宅の折り込み広告を見ながら、俺が夢見ていた様な家では無かった。


1階は6畳の和室と3~4畳位の台所にトイレと風呂。

2階が6畳の和室と3畳の和室という小さな家だった。


俺には2階の6畳間が与えられた。

とは言え、ベランダに出るには俺の部屋を通らなければならなかった。

妹の3畳の部屋に行くのにも俺の部屋を通らなければならなかった。

俺の部屋は、通り道にしか過ぎなかったのだ。


自分の部屋が出来たとは言え、俺は全然嬉しくなかった。

それよりも、それまで毎日学校までの行き帰りを一緒にしていたK川と離れたことの方が辛かった。

この家に引っ越してからは、行きも帰りもいつも俺は一人だった。


当時の俺は、気性が激しくて喧嘩っ早く、目つきが鋭かったが、特に自分がグレていたり、不良だという認識は無かった。


ただ、不良が着ていた中ランや長ラン、ボンタンとかの制服はカッコ良いと思っていた。

俺は長ランに憧れた。

しかし、そんな小遣いなど貰っていない俺には手の届かないものだった。


俺の中学で長ランを着ている奴はいなかった。

数人が中ランを着ている程度だった。

ボンタンのような太いズボンをはいている奴もいなかった。

俺の学校には、特に目立った不良はいなかったのだ。


俺にとっては、外観のカッコをつけている金銭的余裕は全く無かった。

サッカーのスパイクを買って貰うのがやっとだった。

それもアディダスやプーマといった、当時のブランドものではなく、日本のYASUDAだった。

当時は、同じような物でもYASUDAが一番安かったのだ。


俺は小さい時から、靴はいつもぎゅうぎゅうのものを履かされていた。

足が大きくなっても、ギリギリまで新しいものを買って貰えなかったのだ。

かと言って、俺は靴のカカトを踏むようなこともしなかった。

そのせいか、足の指は自分の意思で開け閉めが出来ない。

足の指でグッパーが出来る人を見ると羨ましくなるのだった。


その反動からか、息子には常に大きめの靴を履かせた。

息子は小学校6年生の時には26サイズの俺を超え、靴のサイズは28まででかくなった。

もちろん足の指でグッパーが出来る。


俺は引っ越して直ぐに、隣の中学の奴らと喧嘩になりそうになった。

自宅から100m程度の所に駄菓子屋の様な雑貨屋があった。

そこが隣の中学の不良の溜まり場だったのだ。


そこは俺の通学路だった。

俺は毎日の行き帰りにその前を通るのだ。

そして、いつも部活が終わった後の帰り道で、不良どもと遭遇するのだった。


最初の数日は、互いにガンの飛ばし合いだった。

しかし、何日目かの時、長ランを着た頭らしき奴が一人歩み寄って来たのだった。

背は大して高くなく、小柄だった。

俺は臨戦態勢に入った。


すると、歩み寄って来たそいつは、いきなり俺のあだ名を呼んだのだ。

声に聞き覚えがあった。

しかし、見覚えはなかった。


するとそいつは笑顔でいったのだった。

「俺だよ俺、K一だよ」


俺はビックリした。

K一は、小学校5~6年の時に同じクラスの奴だった。

小学生の頃は、気が弱く、デブでよくみんなにからかわれていたのだ。

俺とは仲が良くて、いつも俺が守ってやっていたのだ。


良く見ると、目は優しいK一の目だった。

しかし、顔と身体は以前のデブから一転し、細くひょろひょろで別人だったのだ。

俺は、あのK一か?!と、大爆笑した。


K一はどうやら2年でHB中の先輩から頭を引き継いだようだった。

K一がHB中の連中に何を言ったのかは知らないが、いつしか俺が通ると、みんな俺に挨拶をするようになっていた。


しかし、俺はサッカーに夢中だったから、そいつらとつるむことはなかった。

K一とは社会人になってからも、時々連絡を取っていたのだが、いつしか音信不通になった。

K一はフィンガー5で有名になった、隣のT市のテキヤ系の組に入ったようだった。

一時期は屋台を何台か任され羽振りの良い話しを聞いていたのだが・・・。

風の噂では、シャブ中になって死んだようだった。


今でも思う。

あんな気の弱い優しい奴が何でと・・・。

もし、生きていたら、K一も会いたい同級生の一人だった。

無情さを感じずにはいられない俺なのだった。


(つづく)

2019年11月 5日 (火)

俺の道 ~中高生編~ (3)

(3)誇りだった二人

2年のクラス替えで、俺はA組になった。

担任が誰だったのかは憶えていない。

同じクラスには、サッカー部のナンバーワンプレーヤーのK田がいた。

そして、後に俺の初恋の相手となるOがいた。

2年の時の同じクラスだった人間は、この2人の他は、あまり覚えていない。


俺はK田とは仲が良かった。

K田は1年の時から2年のレギュラーになっていた。

それもセンターフォワードで点取り屋だった。


とにかく個人技がずば抜けていた。

俺たちの試合でも、K田にボールを回せば何とかなると、絶対的な信頼があった。


俺たちは2年の時に隣のT市のT二中との練習試合で、『23対0』という、当時東京都での最高得点差のゲームがあった。

この時K田は、一人で半分以上の得点を取っていた。

ハットトリックどころの話ではなかった。

そして、この時の対戦相手チームのキャプテンは、後に俺と同じ高校になり、一時期つるむようになるのだが、この時の俺は、そんなことは知る由も無かった。


俺は、サッカーに関しては、K田から色々と教えて貰った。

K田は、運動では俺より遥に優れていた。

とにかくセンスが良かった。

しかし、勉強はイマイチだった。

俺は理数系が得意だったことから、そっち方面は俺が教える側だった。


2年の夏休み、俺はK田と、小学校からずっと仲の良かったK川の3人で、泊りで千葉に遊びに行ったことがあった。

行った先は、俺の親父の親戚だという、千葉の『ほろほろ鳥』の料理屋をやっている所だった。


当時の俺は、その親戚の名字が違うことから、何で親戚なのかは分からなかった。

しかし、うちの親戚の中では一番金持ちの家だったらしい。

当時は、『食いしん坊万歳』のような5分間の料理番組にも良く出ていたらしく、千葉ではかなり有名な店らしかった。


その時、3人で何をして遊んだのかとかは全く憶えていない。

唯一つだけ、深夜寝ずに3人でサッカーのワールドカップの決勝戦を見たのだけは良く憶えているのだ。

そして、3人で深夜に大騒ぎし、怒られたことも。

この時は、アルゼンチンが優勝し、『ケンペス』が得点王となったのだった。


俺たち2年の秋から始まる公式戦(確か新人戦)に、1年から一人だけレギュラーになった奴がいた。

K田と同じHZ小から来たO橋だった。


O橋はK田と組む形でのミッドフィールダーになった。

俺たちのチームは4・3・3の攻撃型のチームになった。


そして、2年の途中、野球部から足の速さでスカウトされて移籍して来たH原が右ウィングだった。

H原の足の速さはずば抜けていた。


陸上用スパイクではなく、サッカーシューズで、100m11秒フラットだった。

上級生や陸上部でもH原に勝てる奴は一人もいなかった。

都内のサッカー部で、H原より早い奴は一人もいなかった。


俺たちが攻撃され押しこまれた時に大きく前線に出せば、H原が全員をごぼう抜きで走り込んでシュートをするカウンターの攻撃パターンが出来た。


しかし、H原は頭が悪かった。

体育だけが4で、あとは全て1だった。

後にも先にも、そんな通知表を見たのは初めてだった。


H原は、ドリブルがあまり上手く無かった。

フェイントを掛けられなかった。

ただ真っ直ぐ走るのだけが速かったのだ。

だから、実際にはゴールの確率はかなり低かった。


俺はH原と同じ右サイドバックだったから、相手のパスをカットしては、良くH原に大きめの縦パスを出したのだが、それが決まった記憶はほとんど無いのだ。

今思えば、陸上に行った方が、H原の人生は開けたのではないかと思うのだが・・・。


俺は、O橋とK田を見た時、圧倒的にK田の方がテクニシャンで上手いと思っていた。

O橋も確かに上手いのだが、O橋はどちらかと言うとヨーロッパスタイルでパス回しの上手い奴だった。

K田の個人技に比べると地味で見劣りした。


しかし、それから4年後、俺たちが高校3年の正月、高校サッカー全国大会決勝で俺の目が間違っていたことを思い知らされたのだ。


K田とO橋は、共に当時サッカーで有名だった帝京に行ったのだった。

全国大会の決勝戦で、O橋は2年生でセンターフォワードのレギュラーメンバーだった。

しかし、3年のK田は控えで、後半から左ウィングでの出場だった。

この年、帝京は全国優勝した。

高校では、O橋の方が上だったのだ。


しかし、この時の帝京の全国大会優勝は、本当に誇らしかった。

俺たちH中の共に汗を流した2トップが、帝京11人の中に2人入って優勝したのだ。


俺たちH中は、いつも都大会の優勝候補には上げられていたが、一度も優勝して全国大会に出ることは出来なかった。

都大会ベスト4止まりだった。

俺たちのライバル校は、H二中とF五中だった。

練習試合では勝てるのに、公式戦では勝てなかったのだ。


俺たちの時代にJリーグは、まだなかった。

もしあったとしたら、彼ら二人はプロになれたのではないかと、今でも思う。


中学卒業以降、K田には一度も会っていないが、もし会えるものなら会いたいと思う、同級生の一人なのであった。


(つづく)

2019年11月 4日 (月)

俺の道 ~中高生編~ (2)

(2)伝統のラガーシャツ

中学1~2年の頃の俺は、サッカー浸けの日々だった。

H中サッカー部の公式戦用のユニフォームは、代々受け継がれて来ていたものだった。

そして、それは何故かサッカー用のユニフォームではなく、ラガーシャツだった。


当時は気づかなかったが、顧問のS田先生はサッカーをやったことがない人だった。

やっていたのは、ラグビーだと聞いたことがあるから、もしかしたらそのせいかも知れない。


そのシャツは、地元東伏見駅前にあるW大ラグビー部から譲り受けたものだった。

元々は赤と黒の横縞だったものだ。

しかし、俺たちが譲り受けた時には、すすけた薄いピンクとグレーになっていた。


そして、そのユニフォームは至る所に破れや穴が開いていた。

袖口はビロビロだった。

ラガーシャツだから生地は厚い綿で、汗をかくとめちゃくちゃ重くなっていた。

まるで、マイケル・ジャクソンのスリラーに出て来る、ゾンビが着ているようなものに近かった。


そんなボロ雑巾のような、すすけた横縞の分厚いユニフォームを着ているような学校は、都内ではどこにもなかった。

よそのサッカー部は、どこもサッカー用の新しい綺麗なユニフォームだった。


そんなボロボロのユニフォームを着ているのは、俺たちのH中だけだった。

しかし、俺たちは、みんなそのユニフォームに憧れたのだ。


ボロボロのユニフォームでも都大会を勝ち進んで行く先輩たちがカッコ良かったのだ。

そのユニフォームは、3年生が引退する時に後輩に譲られた。

譲られるのは、レギュラーと補欠の15人だった。

1年で2年のレギュラーに入ったのはK田だけだった。


俺は、足は特に速く無かった。

テクニックも無かった。

ただ、ガッツだけは誰よりもあった。

そして、スペースを読んだり、ゲームの流れとかの先を読むようなカンは良かったのだ。


1年の終わり頃から先輩の練習試合に、途中交代で時々出るようになった。

ポジションはバックスだった。

テクニックは無かったが、カンを働かせて先に動き、ガッツでボールに喰らいついて行くタイプだった。


相手のセンタリングを阻止する為に、右足の内ももはいつも痣だらけだった。

何度も股間に当てられ、もがき苦しんだこともあった。

流石に股間は鍛えられなかった。

しかし、ビビることは無かった。


2年になるとレギュラーになれた。

2年の夏、俺はT田先輩の4番を引き継いだ。

1コ上の先輩は、背が高いイケメンが多かった。


ミッドフィールダーのM先輩、キャプテンでセンターバックのS水先輩、左バックのI瀬先輩、そして右バックのT田先輩だ。

T田先輩は、寡黙で優しい人だった。

今振り返っても、先輩の中では一番好きな人だったと思う。


俺の最初のポジションは右のサイドバックだった。

そして、2年の終わり頃から、左ハーフになった。


そして、中2秋の公式戦(確か新人戦?)で、俺たちは初の公式戦のユニフォームを着たのだった。

しかし、その公式戦で俺たちの伝統のユニフォームは突然終わりを告げたのだ。


対戦相手がどこであったのかは憶えていないが、何回戦目かのハーフタイムで、相手チームからクレームが出たのだ。

やぶれた袖が競り合っている時にからみつくと。


俺たちは、後半開始前に全員肩から袖を切り離し、ノースリーブ状態で試合を戦ったのだった。

そして、この試合を最後に、何年続いていたのかは知らないが、H中サッカー部の伝統だったラガーシャツは終わりを告げたのであった。


その後、俺たちの公式戦用ユニフォームは、ブラジルと同じカナリヤイエローにしたのだ。

当時の俺たちは、ヨーロッパスタイルのサッカーより、南米スタイルのサッカーの方が好きだったのだ。

パス回しより、個人技を競っていた。


部活の練習開始前や部活以外の練習では、派手な技ばかり練習していた。

オーバーヘッドやジャンピングボレー、ジャンピングヘッド、コーナーキックからの直接のゴール、トリッキーなフェイントなどだ。

当時の俺は、今では考えられないことだが、完璧ではないが、股割が出来た。

ジャンプしてのハイキックの高さは一番だった。


そして後に、『チョーパンからのハイキック』は、俺の喧嘩の時の連続技になるのであった。

当時の俺たちは、競って個人技の習得に励んでいたのであった。


(つづく)

2019年11月 3日 (日)

俺の道 ~中高生編~ (1)

(1)俺の武器

1977年4月、俺は地元のH中学に入学した。

H中学は、女子バスケットボール部が全国レベルで強く、それに続きサッカー部が強い学校だった。

また、『ワル』でも結構有名な学校だった。


しかし、入学してみると、特別不良っぽい先輩はいなかった。

ただ、俺たち新入生と3年生とは、身体のでかさがかなり違うと思った。

でかい人は大人のようだった。


俺が入学して最初に配属されたクラスは、1年F組だった。

1学年のクラスは、A~Fの6クラスだった。

1クラスは約40人だった。


担任は、技術科担当のH間先生で、ブッチャーの様な太ったガマガエルのような先生だった。

結果的には、俺は1年の1学期から3年の3学期まで、技術はずっと5だった。

1年の時の同じクラスに誰がいたのかは、全く憶えていない。


入学して最初にやらされたのは、まず部活を何にするかだった。

小学生の時にやっていた剣道は、全くやる気がなかった。

俺はドッチボールのやり過ぎで肘を痛め、遠投が出来なくなっていたから野球は論外だった。

他は、特にやったことがないものばかりだった。


俺は、小学校から一番仲の良かったK川と相談した。

そして、何故か二人で『科学部』に入った。


今、振り返ってみても、なんでこの時科学部を選んだのかは不明だ。

そして、俺とK川は、一ヶ月も経たずに科学部を辞めた。


そして、これも理由は憶えていないが、俺とK川はサッカー部に入った。

多分、やっている先輩たちがカッコ良く見えたのかも知れない。


俺の時代は、まだサッカーはマイナーなスポーツだった。

小学生の時は、ほとんど野球かドッチボールだったから、サッカー自体はやったこともなかった。


その為か、俺が卒業したH小からサッカー部に入った奴は、知っている奴では俺とK川しかいなかった。

逆に、俺が小3までいたHZ小卒の奴らが多かった。

HZ小はサッカーチームがあったようだった。


サッカー部に入ってまずやらされたのは、走ることだった。

1年は、練習前に学校の周りに設定された、1周1.5Kmのマラソンコースを10周してからでないと練習に参加出来なかった。


これで退部していった奴も結構多かった。

俺とK川は、元々のスタートが他の奴らより約1ヶ月遅かった。

しかし、負けん気だけは強かった俺と、ずっと少年野球をやっていたK川は何とか生き残った。

練習前に10周走り切れるようになるのには、一ヶ月以上かかったと思う。


そして、練習に入っても、やるのはゴール裏での球拾いと声出しで、ボールを蹴る練習は全くやらせて貰えなかった。

ボールの蹴り方を教えて貰えたのは、3年生が引退した夏休みに入ってからだった。

サッカー初心者の俺と、小学校からサッカーをやって来ていた奴等とは、最初は圧倒的な差があった。

サッカーのルールも用語も、俺は全く何も知らなかった。

インサイドキック、アウトサイドキックも知らなかった。

オフサイドなんて聞いたこともなかった。

俺は、リフティングなんて言葉も知らなかったし、全然出来もしなかった。


しかし、HZ小で既にサッカーをやっていた奴等は、みんなリフティングも平気で100回以上やっていた。

HZ小卒の奴らの中で、K田はずば抜けて上手かった。

リフティングを何百回もやって見せたのだった。

全然落とさないその技術に俺は驚かされたのだった。


俺はめちゃくちゃ悔しくて、一人で隠れて練習した。

家に帰ってからは、小学校の卒業式後の春休みからずっとやっていた、家の前の空き地でのタイヤ蹴りを続けていた。

俺はいつ頃からなのかは覚えていないが、悔しくて努力する時は、必ず一人で隠れてやっていた。

勉強もスポーツも。

頑張っている風を装うのが嫌いだった。

何をやっても全く褒めてくれなかった親父に対しては、結果が全てだと思っていたのだ。


ボールの蹴り方のコツが分かって来ると、キック力だけは他の奴らよりあった。

やり始めた動機は、ケンカで負けないためだったが、家の前の空き地の松の木に縛ったタイヤを蹴り続けていたことが、結果的にはサッカーに役立ったのだった。


この頃一番嬉しかったのは、1年の夏休みにヘディングの練習をした時のことだった。

1年生は全員ゴールエリアの外に一列に並び、ゴールポストの横に立った顧問のS田先生から、一人ずつゴールに向って走って来るように言われたのだった。

一人がゴールに向ってダッシュすると、ゴールポストの横に立ったS田先生は、走って来る奴の顔面に向って思いっきりボールを投げたのだ。


最初の奴は、思わず避けて怒鳴られたのだった。

そこで初めてヘディングでゴールに打込むように教えられたのだ。

みんな最初はビビって上手く出来なかった。


そんな中、1年の中でもずば抜けて上手かったK田は難なくやって見せた。

そして、俺の番になった。


俺は全然怖くなかった。

剣道に比べたら、全然遅いと思った。

目さえつぶらなければ良いのだと思った。

俺は、初めてのヘディング練習で上手く出来た。


そして、S田先生から、「お前、怖くないのか?」と聞かれた。

俺は、「怖くないです!」と答えた。

俺はS田先生から、「大したもんだ!」と褒められた。


俺はめちゃくちゃ嬉しかった。

俺は、普段褒められ慣れてないせいか、少し褒められただけで、凄く嬉しくなってしまうのだ。


そして、丁度その時、俺より3学年上で、当時中学の全国大会で3位になり、サッカーで帝京に行ったOBの先輩が遊びに来ていて、教えられたのだった。


帝京のヘディング練習は、地面に腹ばいになって顔を上げ、1m先にボールを置いて、それを先輩にお願いして思いっ切り蹴って貰うんだと。

そして、その練習で多くの人が辞めて行くと言っていたのだ。


俺は、その話しを聞いて身震いした。

そして、思ったのだった。


「高校生ってすげーなー!」


それからの俺は、ヘディング練習をめちゃくちゃやった。

そして、ヘディングは俺の一つの武器になったのだった。


更には、当時はそんなことは露ほども考えていなかったのだが、後に俺の喧嘩の際の『チョーパン』という、最強の武器になるのであった。


(つづく)

2019年11月 2日 (土)

俺の道 ~ 恋愛編 ❤ 第一部 ~ <番外編> (2) 『完』

(2)卒業

駅に向って歩きながら、主演の樋口麻美さんの演技に驚かされたことを俺は遥ちゃんに話した。

そして、駅前の信号に差し掛かった時、俺はつぶやいた。


「タバコ吸いてぇ~」


「そうですよねぇ~」


遥ちゃんも同じだった。

俺は喫煙所を探した。

周囲には見当たらなかった。


俺は、遥ちゃんに声を掛け、駅の近くに居た係員のような人の所へ小走りで聞きに行った。

すると、この駅に喫煙所はないとのことだった。

俺がしばらく東京に来ていない内に、東京は喫煙にかなり厳しくなっている感じがした。


遥ちゃんの所に戻り、喫煙所が無いことを話すと、遥ちゃんは言ったのだった。


「何処か喫茶店にでも入りましょうか」

「ミュージカルのことも話したいし」


俺たちは駅の反対側まで歩き喫茶店を探した。

しかし、今度は喫茶店が見つからなかった。

目に入って来たのは居酒屋だった。


そして、居酒屋を通り過ぎた後、遥ちゃんが言ったのだった。


「一杯だけ飲みましょうか?!」


「俺はコーヒーよりそっちの方が良いけど、仕事の方は大丈夫なの?」


「少しなら大丈夫です!」


「じゃあ、一杯だけね」


俺たちはUターンし、さっき通り過ぎた居酒屋に入った。


俺は生ビール、遥ちゃんはサワー、それとちょっとしたつまみを頼んだ。

昼間だと言うのに店は結構一杯だった。

食べ物も飲み物も、全て3~400円で、俺は随分安い店だと思った。


俺と遥ちゃんは、直ぐにタバコに火を着けたのだった。

一服して、俺はやっと落ち着いた。


直ぐに飲みものが運ばれて来た。

俺たちは乾杯をした。

二人とも一杯目は直ぐに空いてしまい、2杯目を注文した。

俺は、生からハイボールに変えた。


遥ちゃんは、俺にチケット代を払おうとした。

俺は、良いよと拒んだのだが、遥ちゃんは引かなかった。

そこで俺は言った。


「じゃあ、ここの飲み代ご馳走して」


遥ちゃんは笑顔で納得してくれた。


俺たちはミュージカルの話しはそこそこに、話題は研修に関することになった。

遥ちゃんがトイレに立ち、時間を見ると既に16時を過ぎていた。

俺は席に戻った遥ちゃんに時間は大丈夫か聞いた。

遥ちゃんは、もう少しならと答え、俺たちの杯は進んだ。

俺はTとの約束が気になっていた。


俺は、9月の研修で、自分の中に大きな変化があったことを話した。

そして、そのきっかけが遥ちゃんであり、そのことを小説風に書いたことも話した。

すると、彼女から思いがけない言葉が出て来た。


「じゃあ、その小説が売れたら、印税の1%を私に下さいね」


俺は内心、そういうのじゃないんだけどなぁと思いながらも了解した。

そして、俺は思ったのだ。


「あ、ブログに出しても大丈夫だな」

「ま、見つかりはしないだろうしな」

「バレたらバレたで、なんとかなんだろ」

「しかし遥ちゃん、印税の1%って、案外そういうところはしっかりしてんだなぁ・・・」


俺はこの時、『恋愛編』を最終的にブログにアップすることを決めたのだった。

そして、遥ちゃんが2度目のトイレに立ち、時間を見ると既に17時近かった。

トイレから戻った遥ちゃんに俺は再度時間の方は大丈夫なのかを聞いた。

するとまたもや遥ちゃんは、もう少しならと答えたのだった。


俺はTとの約束が気になっていた。

もうそろそろ終わるだろうと思い、俺もトイレに立った。

そして、俺はTにLINEで状況を連絡した。


トイレから戻ると、遥ちゃんは更につまみを頼んでいたのだった。

既に互いに4~5杯ずつ飲んでいて、俺はほろ酔いだった。

そこから互いにエンジンが掛かった感じになってしまったのだった。

遥ちゃんは、「絶対に言わないで下さいよ!」を連発しながら、会社や研修に対する自分の思いを話してくれた。

俺も、「絶対に内緒だよ」と言いながら本音を話した。


また、遥ちゃんは、以前自分が出演したミュージックビデオを見せてくれた。

そこに映っている遥ちゃんは別人のようだった。


気づくと19時近くになっていた。

俺は、Tとの約束は無理だと判断した。

俺はトイレに立ち、LINEでTに連絡したのだった。


トイレから戻った俺に遥ちゃんは言ったのだった。


「こんなんなら、麻布十番のお蕎麦屋さん行けば良かったですねぇ~」


「そうだねぇ・・・」


俺はそうとしか答えられなかった・・・。

内心では、それは俺の台詞でしょうと思いながら・・・。


その後、会話の中で、俺が遥ちゃんと付き合っているだろうと思っていたKのことを、遥ちゃんが良く言わないことが何度かあった。

そして途中、Sちゃんから遥ちゃんにLINEが来た。

俺がどうしたのか聞くと、どうやらKたち数人がWさんの店で飲んでいて、KがSちゃんから遥ちゃんを誘って一緒に来て欲しいと連絡が来たという内容だと遥ちゃんは言ったのだった。


それを聞いた俺は少しおかしいと思った。

「Kが遥ちゃんと付き合っているなら、直接連絡すれば良いのに・・・?」

「もしかして、二人はまだ付き合っていないのか??」


そう思った。

しかし、直ぐにそんなことはどっちでも良いと思った。

『恋愛編』を書き上げた俺の遥ちゃんに対する想いと対応は既に決まっていたのだ。


俺は遥ちゃんが誰と付き合おうと、遥ちゃんが幸せならそれでいいと思っていた。

そして、俺のその想いは、もう『恋』ではなく、『愛』に近いものなのではないかと思っていたのだ。

人間としての愛に・・・。


結局俺たちは22時までその居酒屋で飲んだのであった。

お会計は俺がトイレに行っている間に遥ちゃんが払っていた。

店に入ったのが15時過ぎだったから、なんと7時間近くも飲んでいたのであった。


俺たちは一緒に帰路についた。

そして、俺たちは東西線に乗った。

俺は日本橋での乗り換えだった。


電車の中で何を話したのかは覚えていないが、俺が降り際に遥ちゃんは加藤茶を引き合いに出し、何やら俺は励まされたのであった。

そして、降りる際に握手をして、俺は電車を降りたのだった。


電車を降りた俺は彼女に向って小さく手を振っていた。

彼女も手を振り返してくれた。

そして、直ぐに発車すると思っていた電車は直ぐに発車しなかったのだ。

俺は、降りた人たち全てが居なくなった後も小さく手を振り続けた。

彼女もそれに応えて手を振り続けてくれた。

30秒か、1分か・・・。


何故か、その時間が妙に長く感じた。

その時、俺はある光景を思い出した。

18歳になる少し前から同棲した彼女のことを。

その彼女は、茨城の日立の子だった。


同棲する前の彼女は、毎週末俺に会いに来た。

そして、1~2泊して日曜の夜、俺は上野駅まで彼女を送って行った。

時にはハグをし、時にはキスをして発車のベルで車内と車外に別れ、電車が発車し、彼女の顔が見えなくなるまで俺は手を振っていた。

その時の光景を俺は思い出したのだった。


その彼女との別れは良いものではなかった。

ある日、彼女は突然姿を消したのだ。

俺に内緒で、俺の名前で組んだ化粧品のローンを沢山残して・・・。


彼女と別れた後の俺は、遠距離恋愛時代のことを一度も思い出したことは無かった。

しかし、何故か思い出したのだ。


遥ちゃんに手を振っている自分が、まるで遠距離恋愛をしているような錯覚に襲われた。

そして、遥ちゃんが乗った電車が発車した後、俺は彼女にLINEを送った。


「なんか昔の遠距離恋愛みたい」


きっと彼女には何の意味か分からなかっただろうと思った。

でも、それでも良かった。


昔の自分を思い出し、俺にもそういう時代があったんだなぁと思えただけで、何やら自分が若返ったような気になったのだった。


そして、俺は浅草線に乗り換えるべく、歩き出した。

途中にトイレがあり立ち寄った。

そして、俺は浅草線に向ったのだった。

しかし、着いたホームは、さっき遥ちゃんに手を振っていたホームだった。


俺は一瞬、狐につままれたような気持ちになった。

そして、自分が酔っていることに気づいた。

すると何やら自分が可笑しくなり、俺は声を上げて笑った。

結局、その日俺が帰宅したのは、午前1時近くになったのであった。


その後の俺は、1週間程はそれまでと変わらない感じで遥ちゃんにLINEを送った。

そして、徐々に距離を取るようにしたのだった。


こうして俺は、無事、遥コーチから卒業したのであった。


しかし、ここでもまた、俺は気づかせて貰った。

10代で初めての同棲相手に対する俺の捉え方が変化したことに。

別れた後は、どうしても出会った頃の記憶より、別れた頃の記憶の方が強く残っている。

それは、決して良いものではない。

しかし、こうして記憶が呼び起こされ、良かった時のことを思い起こされると、全てがあれで良かったんだと思えて来る。

そして、未熟だった自分を反省する気持ちも生まれて来る。

すると、これからの未来に対する新たな希望が湧いて来るのだった。


バツ2になってから2年位経った頃だった。

ある日、車を運転している時にラジオから突然聞こえてきた言葉だった。

俺は、その言葉に衝撃を受け、思わず車を停めて、その言葉をメモした。


   男は

   判断力の欠如によって結婚し

      忍耐力の欠如によって離婚し

         記憶力の欠如によって再婚する


俺は思うのだった。

俺の人生、『二度あることは、三度ある』の人生となるのか?

それとも、『三度目の正直』となるのか?


人生、何があるか分からない!

だから、面白い!

俺の人生、まだまだこれからだ!!


俺の道 ~恋愛編❤第一部~ <番外編> 『完』

2019年11月 1日 (金)

ドラマ『同期のサクラ』 ~第3話を見て~

◆ じいちゃんの言葉 ◆

前夜に続き、晩酌をしながら第3話を見ました。

今回は、入社3年目、同期の月村百合との絆を深める話しでした。


絆を深めるとは言え、それは女同志のタイマン勝負でした。

サクラの男前さと百合のヤンキーっぷりが見ものでした。


ストーリーは、百合が震災を機に寿退社を決めたのに対し、サクラが引きとめるものです。


人事部長が突然サクラに告げました。


彼女、結婚して会社を辞めるらしいよ


サクラは百合の元に走って行きます。

そして、百合が一人屋上で休んでいる所へ、サクラが駆け付けるのです。


百合さん!


ビックリしたぁ・・・なに?


屋上の縁側の植え込み際に立つ百合の手前4~5mの所でサクラは立ち止まり言うのです。


広報の方からここにいるんじゃないかって聞いたので・・・。


どうでもいいけど、なんでそんな中途半端な所に居るわけ?


それは・・・

あのぉ・・・


もしかして、高所恐怖症?


そ、それより、結婚するって本当ですか?


あぁ、うん。


どうしてですか?


彼氏にプロポーズされたから。

震災があって私との絆を大切だと思ったから結婚して欲しいって。


でも、会社を辞めなくても良いんじゃないでしょうか?


言ったでしょ?!

この会社は、所詮私の居場所じゃないって。

ここにいたって、いい仕事が出来たとか、自分が役に立っている実感みたいなものが得られないし、もう良い子のフリして営業用の笑いするのに疲れたの。


でも、結婚したら幸せになれるんですか?


そりゃぁ、彼は医者だから生活には困らないし・・・

子供が出来たらステキな家族も作れるし・・・


それは百合さんの夢ですか?

そうじゃないなら、私は百合さんに会社を辞めて欲しくないです。

もっと一緒に働きたいです。


私には夢があります。

故郷の島に橋を架けることです!

私には夢があります。

一生信じあえる仲間をつくることです!

私には夢があります。

その仲間と・・・


あぁーーー!

辞めてくれる、バカのひとつ覚えみたいに!!


言ったでしょ!

私はあんたの仲間なんかじゃないから!

夢夢夢夢うるさいのよ!

青年の主張か?って言うのよ気持ち悪い!!


(はぁ・・・)


結局あんたは自分が正しいと思い込んでるだけなのよ!

だから、空気も読まずに誰にでも好きなことが言えんの!

でもあんた、間違ってるから!

おかしいから!!


可愛い小鳥のフリして、人の頭にフンを落として回ってるだけだから!

全く、あんたのじいちゃんもどういう育て方したのよ!

このままじゃ、あんたが負け組になるってわかってんのかなぁ?

いつまでも夢ばっか見てないで、そろそろ目を覚まして現実を見たら?


あんたが今やってることは全部無駄だから!

あんたの島の橋だって、どうせかかりゃぁしないから!

あんたこそ、ここは自分の居場所じゃないから荷物まとめてとっとと島に帰ったら?!


百合は、捨て台詞を吐いて、サクラの前から去ろうとします。

そして、サクラを一人残し、立ち去ろうとする百合の背中に向ってサクラが言うのです。


ブス!!


その言葉に百合は振り返ってしまうのです。


はぁ?


ブス!

ブス!

ブス!ブス!ブス!ブス!


サクラの逆襲が始まったのです。


さっきから偉そうに人の批判ばかりしてっども

結局あんたは、ここは自分の場所じゃねぇとか言って現実から逃げてるだけじゃねえっけ?


ちょっと、なに言ってんの?


言っとくけど、今のあんたならどこ行ったって今の繰り返しらっけ。

結婚したって、良い奥さんのフリしながら、やっぱここも自分の居場所じゃねぇとかグチグチ言いだすに決まってんだがね。


良い加減なこと言わないでよ!

しかも方言だし!


じいちゃんが言ってたもの。

種を蒔かねば一生花なんか咲かねぇんがね!

あんたみたいに幸せの種も蒔かねぇで、花咲そうなんて無理に決まってんねっけ!


仕事のことだってそうらよ。

女らっけ責任ある仕事を任せてもらえねぇって言ってっども、あんたがその努力してねぇだけらっけ!

辛いんだったら、あんたがこの会社で女性が働きやすい環境を作れば良いんらっけ!


もう、無理して笑うのやめれ。

このまんまのあんたでいたら良いやん。

もし、誰にも言えねえような毒吐きたくなったら、全部あたしが聞いてやっからよー!!!


あんたそのままだと、どんどんブスになるだけだ!


その言葉に逆上した百合は、サクラの襟首を掴んで植え込み際まで押して行くのです。


ちょちょちょちょちょちょ・・・

な、なにすんだべぇ~


言っとくけど、あたしとあんたは住む世界が違うの!

あんたみたいな田舎もんと同じ空気吸うのも嫌なの!

だから、二度とあたしの前に現れないでくれる!


(ドスン)


サクラは高所恐怖症が祟り、植え込み際でビビって尻もちをついてしまいます。

そして、百合はサクラを一人残して立ち去るのです。


サクラは帰宅し、じいちゃんにFAXを送信します。


じいちゃん

同期の仲間と初めて大げんかしてしまったれぇ

あんたのやっことは全部無駄ら

島に橋もかからねぇとかいわれ

腹が立って腹が立って、仕方ねかったて

仲直りしてぇけど

同じ空気も吸いたくねぇって言われたがねぇ

じいちゃんのコロッケが食べてぇ


直ぐにじいちゃんから返信が来ました。


いい人と出会ったな

本気で叱ってくれるのが

本当の友だ

彼女と別れるな


その言葉に励まされたサクラは、百合が退職の日に広報部で別れの挨拶をしている所に再び現れ言うのです。


みなさんは、こんな優秀な人材が辞めてしまっても良いのでしょうか?

この人は安全な道を行って、今までと変わらない毎日を生きようとしているんです。


百合は、そういうサクラを振り切り退社しようとします。

サクラは百合を追い掛け、更に言うのです。


すいません、もう一つ言い忘れたことが・・・。

最後に二人で写真を撮りませんか?


嫌に決まってんでしょ!

友達でもないのに!


そう言って百合は、サクラを振り切り会社のビルの出口に向うのです。

その百合の背中に向って、サクラは最後の言葉を掛けるのです。


だったらせめて・・・

これから良い友達を作って下さい!

良い仲間とも出会って下さい!

私も頑張って百合さんみたいな友達探しますから!!

お願いします!!!!


百合は、会社の出口の際で足が止まります。


なんで・・・

なんで足が前に進まないの?

なんで涙が出てくるの?


百合は、振り返り、サクラに言い返しに行くのです。


良い加減にしてよ!!

良い友達って何よ!!

良い仲間って何よ!!


あんたのせいで結婚相手に謝らなきゃいけないし!

会社にはもう一度働かせて下さいって頭下げなきゃいけないじゃない!!


そういう百合に、サクラは胸元から百合の『退職願い』を出すのです。


なんであんたが持ってんの?!


人事部ですから、今日まで預からせて貰いました。


最後は、サクラの勝利でした。

粘り勝ちです。

それも単に粘ったのではなく、信じ続けた結果だと思います。


そして、サクラが挫けそうになった時に支えたじいちゃんの言葉。


サクラを見ていると、自分の若い頃を思い出します。

だから好きなのかも知れません。

サクラのことが・・・。


『じいちゃんの言葉』 (了)

俺の道 ~ 恋愛編 ❤ 第一部 ~ <番外編> (1)

(1)ミュージカル『鏡の法則』

俺は、最終的に9月14日に本編の『恋愛編』を書き上げたのだった。

そして、21日に遥ちゃんと観に行く約束をしていた、ミュージカル『鏡の法則』まで、残り一週間となったのだった。


俺は、恋愛編を書いて行く中で、この小説を彼女に渡さないと決めた。

しかし、心の片隅では、読んで欲しいという想いは完全には消せていなかったのだ。

俺はこの日、書き上げた『恋愛編』をPDFにした。

そして、表紙と目次も作り、それもPDFにしたのだった。

A4用紙で100ページを超えた。


俺にしたら初めての大作だった。

そして、俺に『ゆるし』の次のステップである、『自己受容』の必要性と大切さに気づかせてくれた。

そして、俺の自己受容を短期間で急速に進展させてくれたのだ。


読者はまだいない。

しかし、思い入れはひとしおなのだった。


小説を完成させた俺には、最後の難関があった。

それは、遥ちゃんへの確認だった。

そう、遥ちゃんとのミュージカルを観に行く約束は、あくまで『仮』だったのだ。


俺は以前、不動産の売買を生業としていた。

中古のマンションや戸建住宅を買い取り、リフォームをして販売をするのだ。

買主になり、そして売主になった。

両方の立場になるということは、両方の気持ちがわかるということだ。

買う時は安く買いたい、売る時は高く売りたい、それが人情なのだった。


不動産は、申し込みを貰おうが、契約をしようが、所有権が移転する最後の最後まで何があるか分からない商売だった。

だから、不動産もある意味では『水商売』なのだ。

契約をしたからといっても喜んではいられない商売だった。

契約段階で喜び過ぎると、後で『ぬか喜び』となることが多いのだ。


今回の遥ちゃんとのミュージカルの約束は、あくまで『仮契約』みたいなものだったのだ。

仕事が入って行けなくなる可能性もあるのだ。

それなのに俺は、この1ヶ月、大喜びしてきたのだった。


脳裏には、最悪の場合、親友Tを誘って、おっさん二人で行くミュージカルが何度となく思い浮かびながらも、それを打ち消し続けて来たのだ。

いよいよその最終確認をしないといけない時期になってしまったのだった。


俺は、9月10日の研修で会ったのを最後に、遥ちゃんには連絡をしていなかった。

16日の昼頃、俺は意を決して遥ちゃんに確認のLINEを送った。


「21日は大丈夫そう?」


直ぐに彼女から返事が来た。


「そうです!お伝えせねばと思っていたのに忘れちゃってました(泣マーク)」


その言葉を見た瞬間、俺は思った。


「やっぱ、ダメかぁ・・・」


そして、Tの顔が頭をよぎった。

しかし、その後に続いた言葉に目を見張った。


「行けます!!」


俺は天にも昇る気持ちになった。

そして、俺は思ったのだった。


「なんであそこで泣きマークなんだよぉぉぉ・・・」

「はぁ~、ビックリしたぁ・・・」

「でも、良かったぁ~」


そして、俺は彼女と、21日12:15に西葛西駅で待ち合せることにしたのであった。


翌日にミュージカルを控えた前夜、俺にとっては予想外の事が起こったのだった。

それは、俺から、「明日はよろしくね~」と送ったLINEの返信だった。


俺は、ミュージカルを観た後、西葛西から麻布十番に移動して、昔行き付けだった蕎麦屋で遥ちゃんと一杯やる約束をしていたのだった。

俺は、自分が気に行った人は、男も女も、必ずこの蕎麦屋に連れていくのだ。

そして、この蕎麦屋に行った人とは必ず良い関係になっていたのだ。


遥ちゃんから送られて来たLINEには、やらなければいけない仕事が終わらず、ミュージカルの後の時間が取れなくなった。

そして、飲みはまた後日お願いしますとのことだったのだ。


俺は、何事も無い風を装ってLINEに返信した。

しかし、内心はそうではなかった。

大ショックだったのだ。


俺にとっては、ミュージカルも凄い楽しみだったが、それ以上に飲みの方が楽しみだったのだ。

普段研修の時には話せない様な話をしたいと思っていたのだったのだが・・・。

俺の夢は脆くも崩れ去ったのであった・・・。


21日の朝、俺はTにLINEを送った。


「今日の夕方時間ある?」

「飲みたいんだよね」


俺としては、ヤケ酒の気分だったのだ。

TはO.Kしてくれた。

Tの住まいは横浜駅から徒歩圏内だった。

ミュージカルは、13~15時だから、16~17時には横浜に着けると連絡した。

Tには、ミュージカルが終わって、横浜駅着の時間が分かったら連絡することにしたのだった。


俺は12時ちょっと前に西葛西駅に到着した。

タバコを吸いたかったが、近くに喫煙所が見当たらず、俺は遥ちゃんを待つことにしたのだ。

彼女は、12:15よりほんの少し遅れて到着した。


彼女は黒のニットにエルメスのスカーフのようなロングスカートにショートブーツという出で立ちだった。

スカートの裾がピーターパンのように縦にカットされていて、何か凄くカッコ良く見えた。

髪型はポニーテールではなかった。

何と言うのか分からないが、サイドからトップの方だけをまとめ、肩口はふわっとした感じの髪型だった。

俺は、こっちの方が可愛いと思った。


彼女は妙に大きめのトートバッグを肩から下げていた。

俺は内心で思った。


「昨夜は彼氏のところにでもお泊りだったのかなぁ・・・?」


俺の経験からすると、女性が大きめのバッグを持っている時は、大概はお泊りだと思っていたのだ。


遥ちゃんは、そのバッグをコインロッカーに入れたいとコインローカーを探した。

改札から少し離れた場所にコインローカーはあった。

遥ちゃんがコインローカーにバッグを入れようとした時だった、中には大きめのノートPCが見えたのだった。

そして、俺は思ったのだ。


「なんだぁ、お泊りじゃなかったのかなぁ・・・」


そんなことは俺には関係がないはずなのに、そんな勘繰りをしている自分が俺は嫌だった。


俺たちは、途中のコンビニで飲み物を買って、目的地へと向った。

目的地は、『東京映画・俳優&放送芸術専門学校』という所だった。

コンビニを過ぎると直ぐだった。

駅から5分と離れていなかった。


俺は入場券を渡し、俺たちは会場に入ろうとした。

その直前に俺はパンフレットに気づき買おうとした。

金額は2,000円だった。

金額を聞いた瞬間、ちょっと高いと思ったが、まぁ良いかと2冊頼んだ。

俺が2冊分払おうとしたのだったが、遥ちゃんは慌てて自分の分を出したのだった。


その姿を見て、俺は思ったのだった。


「遥ちゃんは、最初から買う気無かったのかなぁ・・・」

「なんか悪かったかなぁ・・・」


会場に入ると、会場は意外に狭く、客席まで行くのに一度舞台に上がってから行くようになっていた。

長方形の空間の真ん中に4~5m幅の舞台が斜めに配置され、残された三角スペースが客席だった。

客席は舞台の両サイドを挟む形で配置され、向いの観客の顔が見える状況だった。

前2列が指定席で、3列目から後ろが自由席になっていた。

一番舞台から遠い席でも5列目だった。

俺たちは3列目の真ん中の通路側の2席にした。

見易さを考えて、俺は遥ちゃんを通路側にしたのだった。


客席は、ざっと見て200席程度だと思った。

席に着くと、遥ちゃんはトイレに行くと言って席を立ったのだった。

少ししてから、遥ちゃんが帰ってきたら、俺もトイレに行っておこうと思った。

しかし、遥ちゃんは直ぐに帰って来なかったのだ。


俺は女性だからトイレが混んでいるのかと思った。

しばらくして遥ちゃんが帰って来て聞いたのだった。


「遅かったねぇ、トイレ混んでた?」


すると予想外の言葉が帰って来たのだ。


「混んではいたんですけど、外でタバコ吸って来ました」


俺は思った。


「なんだよぉ・・・」

「それなら俺にも一声掛けてくれれば良いのにぃ・・・」


俺は家を出てから1本も吸っていなかったのだった。

それに気づいた俺は、無性に吸いたくなった。

俺もトイレに行った。

するとトイレは一人用の個室で、男子トイレも並んでいたのだった。

開演時間はもう直ぐだった。

俺はタバコを諦め、トイレだけ済ませて席に戻った。


俺が席に戻ると直ぐに開演になった。

ミュージカル自体は、主演の樋口麻美さんの演技に俺は驚かされた。

涙を流し、鼻水まで垂らしながらも歌声には一切のブレがないのだ。

プロだと思った。

その姿に俺は涙した。

俺もそう在りたいと思った。


ストーリーは原作に沿ったものだったが、原作と大きく違っていたのは、主演の妻『栄子』に気づきを与えるコンサルタントの『矢口』だった。

ミュージカルの『矢口』はぶっ飛びだった。

ある意味、『壊れている』とさえ思えるほどだった。

親父ギャグの連発だった。

しかし、それが笑いとなり、泣きだけの湿っぽいものにはならないアクセントになっていた。


俺は原作を読んだ時は号泣だった。

何度も涙で読み進めなくなった。

だから、ミュージカルには、BOXティッシュとハンドタオルを持って行っていた。


俺は何度か主演の樋口麻美さんの演技に涙した。

そして、隣の遥ちゃんを見ると、彼女は涙している様には見えなかった。


ミュージカルが終わると、指定席の最前列の人たちだけが舞台上に上り、出演者の方々との集合写真の撮影が行われた。

俺は、指定席と自由席に左程違いがないのに、値段の違いは何なのかと思っていたのだが、その時その理由が初めてわかったのだった。


ミュージカルが終わり、俺たちは直ぐに外に出た。

そして、駅に向って歩き出した。

俺は思ったのだった。

これで、遥ちゃんとのことは全て終わりだなと・・・。


(つづく)

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