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2019年11月21日 (木)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (2)

(2)不安と失望 VS 夢と希望

俺の忘れたマフラーを持って来てくれた家族と別れた後、俺は足早に改札口に向った。

もう一度トイレに行っておこうかと思ったのだ。

しかし、改札口の手前にあるトイレは、人で行列になっていた。

俺は、到着前に電車のトイレに行っておいて良かったと思い、トイレに寄るのは止めたのだった。


俺は改札を出て、バス停に向った。

バス停には一人も人がいなかった。

バス停の時刻表を見ると、貼り紙があった。


その貼り紙には、『お知らせ』として、『台風19号の影響により、道路に土砂が滞留し、通行止めのため、当面中津川線は川又バス停までの折り返し運転となります。』と書かれていた。

俺は、後から誰も来ないことで少し不安になった。


「もしかして行けないのか?」

「だから誰もいないのか?」


内心で、夕方から池袋で会う約束をしていたF先生との時間まで、どうやって時間を潰そうかと考え始めた時だった。

俺は、分からないことで悩んだり不安になってもしょうがないと気持ちを切り替えた。


俺は、良く言うと、普通の人より洞察力があると思っている。

1を聞いて10を知るタイプなのだ。


反面、人の気持ちに敏感過ぎる所や、ちょっとした出来事で先の先まで考えてしまうことがある。

そして、起こりもしない余計なことまで考えて不安になることも多いのだ。

更には、その不安を解消する為に、考えられるあらゆる不測の事態に備えた対応を考えて行動してしまうのだ。

若い頃の俺は特にそうだった。


俺は、そんな自分が嫌だった。

常に強がって平気な振りをしていても、本当は不安が一杯の小心者の自分が居ることを許せなかったのだ。


しかし、これまで自分が想定した最悪の場面への対応方法の9割以上は現実には起こらなかった。

要は、取り越し苦労ばかりだったのだ。


しかし、自分には起こらなかったことでも、似たようなことが他人に起きた場合、相談されれば直ぐにアドバイスが出来る対応力にはなっていた。

考えるだけではなく、実際に自分が行っていることから、行った場合の問題点なども良く把握していたから、人の助けにはなってきたのだ。

そういう意味では、俺の取り越し苦労自体が全く無駄という訳ではなかった。


しかし、若い頃の俺は、考えたら即行動だった為に、多くの時間とお金を無駄にしてきてしまったのだ。

50を過ぎてからの俺は、それを徐々に変えて来たのだ。


『不安に思うことは、起こってから考えよう』

『別に命を取られる訳じゃないし』

『もう、これ以上悪くなりようがないんだから』


そう考えるようにしたのだ。

これまでの俺は、死ぬことも何度となく考えた。

ホームレスになることも考えた。

大切な人を失うことも考えた。

息子が犯罪者になった場合のことも考えた。

考え付く最悪のことはほとんど考え尽くして来たのだ。


不測の事態は、考え付かないことだから、『不測』なのだ。

考え付かないことを考えてもしょうがないと悟ったのだ。


そして行き着いた答えは、『起こってから考えれば良いや』だったのだ。

人は、何かが起こる前に悪いことを考えるから不安になるのだ。

そして、その逆に、良いことも起こる前に考えて期待すると、喜びは小さくなってしまうのだ。

更には、期待し過ぎると、そう成らなかった時にガッカリしてしまうのだ。


期待の裏には、失望が潜んでいるのだ。

それが人間という生き物なのだと思ったのだ。


俺は、これまでの人生の中で、そういうことにも気づいて来た。

だから、未来に対して、なるべく不安や期待を持たない様にしている。


そして、特に気をつけなければいけないのが、『期待』だと思っている。

『期待』には、大きく分けて『善い期待』と『悪い期待』の2種類があると思っているのだ。


簡単に言うと、『善い期待』は、『与える期待』だ。

見返りを求めない期待。

その期待の先には、信じる気持ちがあり、更にその先には『愛』があると思っている。


逆に『悪い期待』は、『与えて貰う期待』だ。

人に何かを求める、見返りを求める期待だ。

その先にあるものは、失望や不信、疑念、そして裏切りであり、更にその先には『憎悪』があると思っている。


未来に対しての持つべき思いは、『不安や悪い期待』ではないのだ。

持つべき想いは、『善い期待』、そして『夢と希望』だ。

そして、それを信じて、『今を全力で生きる』こと。

俺は、これまでの経験体験の中で、そういう考えに至った。


そうして生きて行くと、俺は決めたのだ。


だから、今の俺の気持ちの切り替えは早かった。

俺は、目の前に停まっていた小型バスの運転手の人に聞いてみた。


「すいません、三峯神社には行けないんですか?」


すると運転手の人は教えてくれたのだった。


「大丈夫ですよ。中津川線は、三峯神社とは別ですから」


俺は、一安心したのだった。


すると、俺以外まだ誰も居なかったバス停に一人だけ来たのだった。

なんと、電車のトイレで俺と入れ違いになった豹柄のようなパーカーを着た女性だった。

そして、バス停の写真を撮ったかと思うと直ぐにバス停から2mほど離れて配置された3人掛けのベンチの右端に座ったのだった。

俺も続いて、並び順では先頭になるベンチの左端に座った。


どうやら、俺たちの乗った電車で三峯神社が目的の人は、たった二人だけのような感じだった。

次の三峯神社行きのバスの予定時刻は10:05だった。

S-TRAINの到着が9:15だったから、まだ30分以上の時間があったのだ。

俺は、ベンチに荷物の鞄を置いて、20mほど背後にある喫煙所にタバコを吸いに行った。


内心で、豹柄のようなパーカーを着た女性に「トイレは流れたから大丈夫ですよ」と教えてあげたくなった。

聞けば安心するのではないかと思ったのだ。

しかし、良く考えてみると、それを知っているのは俺と彼女だけで、彼女が流さなかったという証拠は何もないことに俺は気づいた。

そして、下手なことは言わない方が良いのだろうと思い直したのだった。


タバコを吸い終えた俺はベンチに戻って座った。

天気は快晴で、ぽかぽか陽気だった。

俺は、寒さに備えてユニクロの薄いダウンベストを鞄に入れて持ってきていたが、どうやら必要はなさそうだった。


横を見ると豹柄のようなパーカーの女性は、安っぽい黒に赤のラインが入ったジャージを穿き、パーカーのフードを目深に被り、俯き加減で一心不乱にスマホをいじっていた。

その姿はまるで引き籠りのようだった。

歳は30前後位に見えたが、全く化粧もしていない感じだった。


トイレを出て来た時に見た顔は、顔立ちは悪くないのに、口角が下がって凄く暗い感じだったのだ。

顔立ちは悪くないから、心を元気にして磨けば、きっと綺麗になるだろうにと思った。

そんなことを考えていると、また俺のお節介の虫が動き出してきた気がして、俺はそれ以上考えるのを止めた。


俺は、何度かベンチを離れてタバコを吸った。

こう言う時の為の読書だったのだが、何故か読書の気分にはならなかった。

ぽかぽか陽気のせいか、俺はベンチに座り空ばかり見上げていた。


9時45分を過ぎた頃、俺はトイレに行っておこうとベンチから立ち上がると、知らない内に俺たちの後ろは行列になっていた。

ベンチに座って空ばかり見上げていて気づかなかったのだ。


俺は、早目に着いてバスの座席を確保出来ることに安堵した。

三峯神社までのバスの時間は1時間以上掛かるのだった。

俺は、真っ直ぐ立っていると数分で足が痺れてしまい、そんな長い時間バスで立って行くのは無理だと思っていたのだ。


俺は、駅のトイレに行った。

流石にその時はトイレの混雑は全く無くなっていた。


俺がトイレの入口に入った時だった。

そこで、来る時に座席を替わり、俺が忘れたマフラーを持って来てくれたお父さんと女の子が一緒に男子トイレから出て来て遭遇したのだった。

俺は再びお礼を言った。


そして、お父さんと一緒に男子トイレから出て来た女の子のことを考えると、車内で見た時は7~8歳だと思っていた女の子は、もう少し小さいのかも知れないと思ったのだった。


トイレを済ませバス停に俺が戻ると、少ししてバスは来た。

俺はバスに一番乗りだった。

そして、いつもなら最後部座席の窓側に行くのだが、この日の俺は違った。


運転手の左側の一番前の座席にしたのだった。

そして、俺の次に乗車した豹柄のようなパーカーの女性は、俺の右側の運転手の真後ろの座席に座ったのだった。

そして、程なくバスは満員になった。


いつもの俺ならバスの中でも読書なのだ。

そのつもりで、2冊も持って来たのだった。

しかし、この日の俺は何か違った。


朝の電車でのハッピー&ラッキーな思いが俺を変えたのかも知れない。

俺は最前席で、紅葉を楽しもうと思っていたのだ。


こうして、西武秩父駅から、俺を乗せた三峯神社行きのバスは発車したのだった。


(つづく)

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