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2019年11月 9日 (土)

俺の道 ~中高生編~ (7)

(7)幻の合格発表

当時の俺は、何に対してなのかは分からなかったが、ツッパってはいた。

ただ、自分がグレているとか、不良だとは思っていなかった。


成績も決して悪くは無かった。

理数系なら学年でもトップクラスだと思っていた。


しかし、授業態度はめちゃくちゃ悪かったのだ。

そのため、内申はオール3.5位で4には届かなかった。


苦手なのは音楽と社会だった。

この二教科だけは、いつもアヒルの2だった。

そして、逆に技術・家庭と美術は3年間通して5だった。


残りが3と4。

理数系が授業態度の悪さで5を貰えなかったのだった。

特に数学が学年主任で担任のS澤の教科で、この人が男子と女子のバレーボール部の顧問だった。

そして、全校集会ではいつも俺を叱責し、俺との相性が悪かったのだ。


内申は左程高くない俺だったが、高校受験を前にした、模擬試験での俺の成績は悪くは無かった。

当時は、英・数・国の三教科が試験科目で、俺の偏差値は、62~63だった。


志望校を決める面談では、俺は偏差値を基準に考えて志望校を決めたのだった。

しかし、ことごとく担任のS澤に、『お前は内申がないからダメだ』と却下されたのだ。

そして、ギリギリで受かって下の方にいるより、ランクを落として上の方に居た方が良いと説得されたのだった。


今思えば、この人も、それに同調した俺の母親も、俺のことを何も分かっていなかったのだ。


結果的に、私立2校と都立の俺の希望は、全て1~2ランク落とさせられたのだった。


結局俺は、都立は新設のM校かH校の希望を76郡に変更させられ、それを第一志望としたのだ。

そして、私立はN大付属のN校希望をT校に変更させられ、それと地域では滑り止めで有名な男子校のK校の3校を受験することになったのだった。


受験日程は、最初にN大付属のT校、次に滑り止めのK校、最後に都立という順番だった。


N大付属T校の受験日の翌日、俺はいきなり職員室に呼び出されたのだった。

職員室に行くと、担任のS澤からいきなり問い詰められたのだ。


「お前、なにをしたんだ?!」


俺は、答えた。


「何もしていませんよ」


S澤は、更に言ったのだった。


「T高校から、ああいう子は、うちには入れられませんと直接電話があったんだよ!」


俺は、察しがついた。

N大付属T校では、筆記試験の後、5人のグループ面接があったのだった。

俺以外の4人は、みんな色々な質問をされ答えていた。

中には、身体が弱く、毎朝ランニングをして鍛えているとアピールしている奴もいた。


そして、5人の中の最後に俺の番になった。

その時、俺は試験官から言われたのだ。


「君、ちょっと横向いてみて」


俺は言われた通り横を向いたのであった。

すると試験官は言ったのだ。


「君、良い角度だねぇ~」


俺の面接試験の質疑応答はそれだけだった。


試験官は、俺の剃り込みの角度を嫌味で褒めただけだったのだ。

この面接で俺は全てを悟り、帰り際校門にツバを吐き捨て、在校生と睨みあって帰って来たのだった。


そして次は、受験者数が1万人位で、9千人が合格すると言われていた、三多摩地区では滑り止めで有名な偏差値40レベルのK校だった。

K校には面接が無かった。


しかし、俺はまたもや受験日の翌日、担任のS澤に呼び出されたのであった。

そして、N大付属校と同様に、直接学校にお断りの連絡が入ったことを告げられたのだ。


K校の受験は、受験が終わった後、在校生とガンの飛ばし合いとなり、あわや乱闘になりそうになったのだった。

そして俺は、「こんなバカ学校!頼まれたって来ねーよ!!」と、捨て台詞を吐いて帰って来たのだ。


俺は、私立には最初から行く気はなかったのだ。

都立一本でも良かったのだ。


私立に受かっても、俺んちには、そこに通える金が無いと思っていたのだ。

俺にとって高校は、何か行く目的があった訳では無かった。

ただみんなが行くからという理由しか無かったのだった。


慌てたのは担任のS澤だった。

前代未聞だと大騒ぎし、俺の母を呼び出したのだ。


そして、都立受験の前に私立の二次募集を受けろと言った。

しかし、俺はそれを断ったのだ。

面接の無い都立の76郡は楽勝だと思っていた。


S澤は、何度も俺に私立の二次募集を受けるようにと言った。

しかし俺は、一切受け入れなかった。

そしてS澤は、都立一本にする条件として、俺に坊主にするよう要求したのだった。


S澤の言い分は、『お前は、点数は取れるんだけど、髪型が良くない』というものだったのだ。

そして、それを母に言い、母に泣きながら俺に懇願させたのだった。


俺は、渋々その条件を飲み、その日の授業中に床屋に行かせられたのだった。

柴田恭平を目指していた俺は、元のスポーツ刈りに戻ってしまったのであった。


都立の受験後の自己採点での俺の点数は、三教科で250点だった。

数学100、英語と国語がそれぞれ75だった。


同じ76郡を受けた奴らの点数は、200点前後の奴らが多かったようだった。

結果、俺は合格した。


同じサッカー部で学年トップクラスの秀才で、三多摩地区の都立校東大コースだった72郡に受かったHの点数を聞くと、三教科で265点だった。

俺は内心、点数では大差が無いことに悔しさを覚えたのだった。

そして、俺はあの時思ったのだ。

受験をしていながら、合格発表さえも見させて貰えなかった俺は、一体何だったのかと。

俺の高校受験での私立校の合格発表は、幻となったのであった。


しかし俺は、後日冷静に考えて思ったのだった。

多分点数は、合格ラインに届いていたんだなと。

だから、わざわざ学校に電話をして断って来たんだなと。

単に試験の点数が悪くて合格ラインに届いていないのであれば、電話で断る必要も無いと思ったのだ。

その思いは、俺の中では確信に近かったのであった。


(つづく)

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