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2019年11月25日 (月)

俺の道 ~アラカン編~ 三峯神社の巻 (6)

(6)祈りと願い

随身門を抜けた俺は、ゆっくりと拝殿に向った。

そして、拝殿に上って行く階段の前で、俺は自撮りをした。


拝殿へ向う階段を上った左側に手水舎があった。

俺は作法通り、手を洗い、口をすすいで清め、拝殿の列に並んだ。


拝殿の列は、過去2回に比べ、人は全然並んでいなかった。

『神木』も一緒だった。


『白い氣守』の有無で、こんなにも来訪者数に違いがあるのかと、人の気持ちとは何と自分本位なものなのかと思ったのだった。

参拝が目的であり、『白い氣守』はそれに付随するものでしかないはずなのに・・・。

しかし、並ぶこと自体が好きではない俺にとっては、大変ありがたいことではあった。


参拝の為の待ち時間は5分程度で、直ぐにお参りが出来た。

俺は、まず、この一年間のお礼としての感謝を述べ、自分と息子それぞれの良縁、そして家族の幸せと仲間の幸せを祈願した。

そして、最後に、『己の天命の全う』を願った。


田坂広志先生が唱えた『3つの真実』。


1.人は必ず死ね。

2.人生は一度しかない。

3.人はいつ死ぬか分からない。


そして、続けて問いかけられた言葉。


「一回しか無い人生」

「必ず終りがやって来る人生」

「いつ終わるか分からない人生」

「そのかけがえのない命、(あなたは)何に使われますか?」


俺は、この言葉を聴いてから、新たな考え方が生まれてきていたのだった。


『命』とは、『天から与えられたもの』なのではないか。

『両親』という肉体を通して、『自分』という肉体は生まれて来たが、『命』は天から与えられたものなのではないか。

そして、『命』とは『魂』のことなのではないかと、俺は思ったのだ。


肉体面から考えると、親子だとか、血のつながりだとかがあるが、『魂』として考えると、全ての魂にとって、『肉体』は単なる借物であり、それぞれの魂(人)に与えられた役割なのではないか。

その役割とは、『親』の魂は『子』の魂を育む役割、『子』の魂は、『子』であった魂を『親』(大人)に育てる役割。


そして、人として生きていく中で感じる、多くの苦しみや悲しみ、寂しさや無力感などの苦悩は、天から与えられた己の魂を磨く為の学びの機会なのではないのか。

それを乗り越えて行った時に、人は己の天命に気づくのではないのか。

そして、それに気づいた時、それに対応出来る自分に成っていることが出来ているのか。

それこそが大切なことなのではないのか。


最近の俺は、そんな風に考えるようになって来ていたのだった。


俺は6年前の11月1日に初めて三峯神社を参拝した。

その後、翌年から毎年、『白い氣守』を頂きたいと、11月以外でも、1日が週末になる時に何度も来ようとしていた。

しかし、天気が悪かったり、予定が入ってしまったりで、何故か来られなかったのだ。

そして昨年の夏頃、『白い氣守』の頒布休止を知ったのだった。

『白い氣守』の頒布日の交通渋滞がその原因だった。


それを知った俺は、それなら初めての参拝から丁度丸5年の11月の週末に、お礼の為の参拝に行こうと昨年の夏過ぎに決めたのだった。

そして、昨年の参拝から1ヶ月後の12月、俺は大きな気づきを得て、自分自身を許すことが出来た。

更には、自殺した親父を許すことも出来たのだ。

それからと言うもの、毎月のように俺は大きな気づきを得て、自分の内面の変化を確実に感じて来ていたのだ。

今年は、そのお礼と新たな願いの為に行かなければならないと思っての参拝なのであった。


(つづく)

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