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2019年11月19日 (火)

俺の道 ~中高生編~ (17) <最終回>

(17)自立への道

3学期に入ると、俺とM沢は学校のK三中出身の奴らを介して、K三中の中卒組の奴らと仲が良くなっていった。

中卒組の奴らは、既に働いている奴らが多く、ツッパリ方も気合が入っているのが多かった。

しかし、中卒だけあって頭が悪いのが多かった。


俺も16になって直ぐに教習所へ通い、中型二輪の免許は取っていたが、まだ中型バイクを買う金は無く、原チャリのままだった。

俺とM沢は、M沢のRD400で、『花小金井』の集会に出るようになったのだった。

この頃の俺はいつもM沢のケツだった。


花小金井は、『BLACK EMPEROR』だった。

俺とM沢は本来、『ROUTE20』なのだった。

俺たちは外様だったのだ。


この当時は、東京都下の三多摩地区は大別して、『BLACK EMPEROR』、『CRS連合』、『立川地獄』の3つに分かれて敵対していた。

俺の中学の地元の奴らは、ROUTE20で、『CRS連合』だった。

しかし俺は、『BLACK EMPEROR』を選んだのだった。


当時の俺は、中学時代の友だちには全く興味も未練も無かった。

では、『BLACK EMPEROR』の仲間が好きだったのかと聞かれると、別にそういう訳でもなかった。

気が合って一時期つるみはしたが、単なる成り行きだった。

とにかく俺は家を出て独立したかっただけだったのだ。


1年の3学期の期末テストを終えた日、俺は担任から呼び出された。

そして、担任から言われたのであった。


「お前は、赤点は無いけど出席日数が足りない」

「このままだと留年だ」

「やる気があるなら春休みに補習をして上げてやる」

「どうする?」


俺は即答したのだった。


「いいです」

「俺、辞めますから」

「もう、決めていたことだったので」


俺は、この日を待ちわびていたのだ。

俺は、親父との約束だからと、親には一切連絡も相談せず、その場で退学届を書いた。


退学届を出した日は、正確には憶えていないが2月下旬か3月上旬頃だったと思う。

しかし、先生から最後の温情みたいな形で、退学日は3月31日付になった。

1学年を修了したことにすれば、再度やりたくなった時は2年から出来るからと言うのが、その理由だった。

俺の退学日は、退学届の提出日ではなく、3月31日となったのだ。


俺は、K高校1年では、二人目の中退者となった。

退学届を出した日、俺は担任から一つだけ注意をされた。


「もう学校に来る必要はないけど、3月31日までは一応生徒だから、それまでは問題を起こさないように」


この日俺は、帰宅してお袋に言ったのだった。


「今日、学校辞めて来たから」


いつも怒ってばかりのお袋だったが、この日は泣いていた。


数日後、俺は早々にM沢を誘い、俺が本当は行きたかったM校に真昼間の授業中に襲撃したのだった。

襲撃と言っても、単にM沢のバイクでM校に行き、校門の前で爆音を轟かせただけなのだが・・・。


その翌日、もう来なくて良いと言われていた俺は、再び担任に呼び出された。

行くとM沢もいたのだった。

そして、俺たち二人は散々説教されたのであった。


学校を辞めた俺は、職探しを始めた。

見つからなければ、バイトの時間を増やせば良いと思っていた。


それから数日後、俺は花小金井で仲良くなっていたN村の紹介で、N村と同じ運送会社に4月1日から働くことを決めたのだった。

働き先を決めた俺は、バイトは3月一杯で辞めようと思っていた。

すると、その話しをバイト先ですると、急に辞められると困ると言われた。

逆に社員にしてやるからうちに来いと誘われたのだった。


俺は、そんな風に言って貰えるとは露ほども思っていなかった。

俺みたいな高校中退者が、ちゃんとした会社に勤められるとは考えていなかったのだ。

だから、うちに来いと言ってくれた店長の言葉は凄く嬉しかった。

しかし俺は、既に仲間の紹介で働き先を決めてしまっていたのだ。

それを裏切ることも出来なかった。

俺は、しばらくは掛け持ちで働くことにしたのだった。


3月中の俺は、バイトに明け暮れた。

そして、4月1日から運送会社へ働きに出たのだった。


働き始めると、仕事はハンパなくきつい仕事だった。

名目は、『運送助手』だったのだが、実際にやることは違った。

JR中央線、『東小金井』のJR貨物駅構内で、貨物で運ばれて来た物をフォークリフトでトラックに積むために、手作業でパレットに積み替える仕事だった。

パレットは、フォークリフトの先が入るように、大きなスノコを重ね合わせた様な幅2m位、長さ3m位の長方形の木の台だった。

そして、その運ばれて来る貨物は、主に米だった。


俺を紹介したN村以外は、みんな4~50代の大人ばかりだった。

そして、3月末までは、花小金井の頭だったI森も働いていたようだったのだが、身体が続かずに辞めたと聞かされたのだ。

体力には自信のあった俺だったが、米は60kg入りの麻袋と30Kg入りの紙袋入りの二種類で、持ち方のコツが掴めるようになるまでは、毎日足腰がガクガクになった。


それでも、17時に仕事を終えた俺は、その後にファミレスのバイトへ行ったのだった。

俺は家には帰らず、東小金井からバイト先へそのまま直行していた。

晩飯は、ファミレスの従食で、50円の卵かけごはんが俺の定番だった。

ライスは無料だったが、卵が50円だったのだ。

山盛りのライスに卵1個だ。

卵より醤油の方が多いような卵かけご飯だった。

当時の俺は、満腹になりさえすれば、それで良かったのだ。


毎日、18時頃から24時~ラストまで働いた。

ファミレスは、夕飯時の18~20時頃のピークの後、24時前後に深夜のピークがもう一度来るのだった。

夕飯時のピークは3~4人で回し、深夜のピークは、基本的に俺一人で回した。

あまりにも客数が多く、どうしようも無い時だけ社員が手伝ってくれる形になっていた。


今、振り返って見ても、よくあれだけ働けたものだと、自分でも不思議に思うほどだ。


そして、4月25日に俺は初めての給料を現金で貰ったのだった。

社長のN谷さんから、よく一ヶ月続いたと、俺は褒められた。

俺は、定休の日曜日以外は一日も休まなかった。

遅刻もしなかったのだ。

そして、ほとんどの奴が続かないと聞かされたのだった。


初給与は13万位だった。

バイト分と合わせると20万を超えたのだった。


俺は、初給料日の帰り道で、西武新宿線の『花小金井』駅から徒歩3分の所にある、6畳一間のアパートを借りた。

風呂は無く、小さなトイレとキッチンが付いた部屋で、家賃は2万9千円だった。


当時は今と違い、働いていれば、『大人』と見て貰えたのだった。

酒もタバコも何のお咎めも無かった。

アパートを借りたのでさえ、連帯保証人欄に勝手に親父の名前を書いて、お金を払って鍵を貰って終りだった。

連帯保証人の親父に電話での確認さえしなかった。

確認して、万一断られれば、契約自体が無しになるのだから、不動産屋にしても確認などしない方が都合が良いのだ。

要は、俺が毎月家賃をきちんと払いさえすれば何の問題もないことなのであった。


最近の若い人たちを見ていて俺は思うのだ。

多くの人が、先に未来に対する答えばかり求めて動こうとしない。

先の保証がないと不安になってばかりいる。

この先どうなるか分からないから楽しいのに。

ダメになった時のことは、ダメになってから考えても遅くないのに・・・。


未来は何が起こるか分からない。

だから、信じるのだ。

人の心なんて分からない。

だから、信じるのだ。

自分のことさえ100%わかることはあり得ないのだ。

わからないから信じるのだ。

それが、自分を信じると言うこと。

自分の未来を信じるということ。

『自信』を持つとは、そういうことだ。

と、俺は思う。


俺は帰宅して、親父とお袋に一言だけ言った。


「今日アパート借りて来たから、明日引っ越すから」


翌日の日曜日、俺は家を出た。

俺は、やっと念願だったこの日を迎えたのだ。

親の束縛から逃れ、自立への道を歩み始めたのだった。

自立への道は、俺にとっては、自由への道でもあったのであった。


若い頃の俺は、『人事を尽くして天命を待つ』だった。

今の俺は、『天命を信じて人事を尽くす』だ。

そう変わったのだった。


『俺の道』 ~中高生編~ (完)


(『俺の道』 ~自立編Ⅰ~ につづく)

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