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2019年11月 5日 (火)

俺の道 ~中高生編~ (3)

(3)誇りだった二人

2年のクラス替えで、俺はA組になった。

担任が誰だったのかは憶えていない。

同じクラスには、サッカー部のナンバーワンプレーヤーのK田がいた。

そして、後に俺の初恋の相手となるOがいた。

2年の時の同じクラスだった人間は、この2人の他は、あまり覚えていない。


俺はK田とは仲が良かった。

K田は1年の時から2年のレギュラーになっていた。

それもセンターフォワードで点取り屋だった。


とにかく個人技がずば抜けていた。

俺たちの試合でも、K田にボールを回せば何とかなると、絶対的な信頼があった。


俺たちは2年の時に隣のT市のT二中との練習試合で、『23対0』という、当時東京都での最高得点差のゲームがあった。

この時K田は、一人で半分以上の得点を取っていた。

ハットトリックどころの話ではなかった。

そして、この時の対戦相手チームのキャプテンは、後に俺と同じ高校になり、一時期つるむようになるのだが、この時の俺は、そんなことは知る由も無かった。


俺は、サッカーに関しては、K田から色々と教えて貰った。

K田は、運動では俺より遥に優れていた。

とにかくセンスが良かった。

しかし、勉強はイマイチだった。

俺は理数系が得意だったことから、そっち方面は俺が教える側だった。


2年の夏休み、俺はK田と、小学校からずっと仲の良かったK川の3人で、泊りで千葉に遊びに行ったことがあった。

行った先は、俺の親父の親戚だという、千葉の『ほろほろ鳥』の料理屋をやっている所だった。


当時の俺は、その親戚の名字が違うことから、何で親戚なのかは分からなかった。

しかし、うちの親戚の中では一番金持ちの家だったらしい。

当時は、『食いしん坊万歳』のような5分間の料理番組にも良く出ていたらしく、千葉ではかなり有名な店らしかった。


その時、3人で何をして遊んだのかとかは全く憶えていない。

唯一つだけ、深夜寝ずに3人でサッカーのワールドカップの決勝戦を見たのだけは良く憶えているのだ。

そして、3人で深夜に大騒ぎし、怒られたことも。

この時は、アルゼンチンが優勝し、『ケンペス』が得点王となったのだった。


俺たち2年の秋から始まる公式戦(確か新人戦)に、1年から一人だけレギュラーになった奴がいた。

K田と同じHZ小から来たO橋だった。


O橋はK田と組む形でのミッドフィールダーになった。

俺たちのチームは4・3・3の攻撃型のチームになった。


そして、2年の途中、野球部から足の速さでスカウトされて移籍して来たH原が右ウィングだった。

H原の足の速さはずば抜けていた。


陸上用スパイクではなく、サッカーシューズで、100m11秒フラットだった。

上級生や陸上部でもH原に勝てる奴は一人もいなかった。

都内のサッカー部で、H原より早い奴は一人もいなかった。


俺たちが攻撃され押しこまれた時に大きく前線に出せば、H原が全員をごぼう抜きで走り込んでシュートをするカウンターの攻撃パターンが出来た。


しかし、H原は頭が悪かった。

体育だけが4で、あとは全て1だった。

後にも先にも、そんな通知表を見たのは初めてだった。


H原は、ドリブルがあまり上手く無かった。

フェイントを掛けられなかった。

ただ真っ直ぐ走るのだけが速かったのだ。

だから、実際にはゴールの確率はかなり低かった。


俺はH原と同じ右サイドバックだったから、相手のパスをカットしては、良くH原に大きめの縦パスを出したのだが、それが決まった記憶はほとんど無いのだ。

今思えば、陸上に行った方が、H原の人生は開けたのではないかと思うのだが・・・。


俺は、O橋とK田を見た時、圧倒的にK田の方がテクニシャンで上手いと思っていた。

O橋も確かに上手いのだが、O橋はどちらかと言うとヨーロッパスタイルでパス回しの上手い奴だった。

K田の個人技に比べると地味で見劣りした。


しかし、それから4年後、俺たちが高校3年の正月、高校サッカー全国大会決勝で俺の目が間違っていたことを思い知らされたのだ。


K田とO橋は、共に当時サッカーで有名だった帝京に行ったのだった。

全国大会の決勝戦で、O橋は2年生でセンターフォワードのレギュラーメンバーだった。

しかし、3年のK田は控えで、後半から左ウィングでの出場だった。

この年、帝京は全国優勝した。

高校では、O橋の方が上だったのだ。


しかし、この時の帝京の全国大会優勝は、本当に誇らしかった。

俺たちH中の共に汗を流した2トップが、帝京11人の中に2人入って優勝したのだ。


俺たちH中は、いつも都大会の優勝候補には上げられていたが、一度も優勝して全国大会に出ることは出来なかった。

都大会ベスト4止まりだった。

俺たちのライバル校は、H二中とF五中だった。

練習試合では勝てるのに、公式戦では勝てなかったのだ。


俺たちの時代にJリーグは、まだなかった。

もしあったとしたら、彼ら二人はプロになれたのではないかと、今でも思う。


中学卒業以降、K田には一度も会っていないが、もし会えるものなら会いたいと思う、同級生の一人なのであった。


(つづく)

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