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2019年12月27日 (金)

俺の道 ~アラカン編~ 第60回AF研修の巻 (6)

(6)無敵の世界とは

俺が、『無敵』の意味を知ったのは、3年半ほど前だった。

そこには、無敵とは、『自分の周りに敵がいない状況』と書かれていたのだ。


それを知った時の俺は、『自分の周りに敵がいない状況』だけでは、敵でも無ければ味方でも無いのもありで、それだと何だか『孤独』のようなものを感じ、あまり良いイメージを持たなかったのだ。


しかし、それをじっくり考えた時、単に『敵がいない』ということではなく、『自分の周りが全て仲間』という状況こそが、本当の『無敵の世界』だと思ったのだ。


単に敵がいない状況だったら、敵を作らなければ良いだけで、それは、味方でも無いという意味にもなると思ったのだ。

でもそれを、より積極的に考え、全てが仲間、『自分の周りの人たち全てが仲間の状況』と考えた時、俺の腑に落ちたのだった。


そしてそれは、研修三日目の最終日、たった二日前に出会ったばかりの見ず知らずの人が、これまでに出会ったことが無い様な『仲間』になるのだ。


それは、研修項目の試験に挑む中で、共に苦しみ、悩み考え、共に励まし合いながら、喜怒哀楽を共有することで生まれて来る信頼感と絆を感じることで得ていくのだ。


そして、それは、研修生同士だけではなく、それまで何度も厳しいことを言われ続けた、試験官であるインストラクターやトレーナーたちのみんなが、研修生の為に壁になっていたことに気づき、自分の周りにいる人たちの全てが仲間であったことに気づくのだった。


それは正に、俺が言う、『無敵の世界』なのであった。


だが、以前の俺はその表現をあまり多用はして来なかったのだ。

しかし、1年位前からその表現を少しずつ使うようになって来て、9月頃からその頻度は急激に増えて来ていたのであった。


そして、俺は今回の研修中にあることを思い出したのだった。

それは、約30年程前に、T学校の研修で、座禅を組みながら聞かされた説法だった。

それは、『天国と地獄』という話だ。


ある時、修行中の僧侶の前に突然神様が現れ、『おまえは天国と地獄のどちらに行きたいか』と問われたのだ。

修業僧は当然天国へ行きたいと思ったのだが、実際に天国というところはどういうところなのか、地獄というところはどういうところなのかというのがわからなかったのだ。


聞いてきている相手は神様なので、間違ったことは言えない。

そこで、修業僧は答える前に神様に聞いたのだ。

『天国とは何ですか?地獄とは何ですか?』と。


それに対し、神様は修業僧の後ろを指さしたのだ。

すると、そこには『天国』、『地獄』と書かれた二つの扉があったのだ。

その扉は外から見た限りは全く同じで、その扉にはそれぞれ小さなのぞき窓が付いていたのだった。


修行僧はその覗き窓から中を見てみるよう、神様に言われたのだ。

修業僧が中を覗いてみると、『天国』の部屋も、『地獄』の部屋も、中は丸っきり同じ状態だった。


扉の中には、直径5m以上もあるような大きな円卓がいくつもあり、その円卓の真ん中にはご馳走が山ほど置かれていたのだ。

そして、その周りには多くの人が円になるように座らされ、全ての人が両手を隣の人と鎖で繋がれていたのだ。

更には、皆、手には自分の背丈ほどもあろうかという長い箸を持たされていたのだった。


中の状態は、『天国』も『地獄』も、丸っきり同じだったのだ。


修業僧は最初、違いがわからず、何が違うのかを神様に聞いたのだった。

神様はまた、扉を指さしたのだ。


修業僧はもう一度、今度はじっくりと中を覗き見たのだ。

すると今度は、大きな違いに気づいたのだった。

それは、中にいる人の状態と状況が違っていたのだ。


『天国』の部屋にいる人たちは、みんな笑顔で福よかだった。

しかし、『地獄』の部屋にいる人たちは、みんないがみ合いやせ細っていたのだ。


修業僧は同じ状態の部屋にいながら、なぜ『天国』と『地獄』で、中の人の状態や状況が違うのか不思議に思い、しばらく部屋の中を覗き続けて両方を比較したのだった。


そして、修行僧は大きな発見をしたのだ。


天国の部屋の人たちは、みんな長い箸を上手に使って、自分の数人先の隣の人に何が食べたいかを聞き、相手が希望するものを取って食べさせてあげていたのだ。


それに対し地獄の部屋の人たちは、みんな長い箸でなんとか自分で食べようとしていたのだ。


しかし、長い箸で食べ物を取っても、それを自分の口に入れることは出来ずに、皆が皆、食べ物を食べられないのは鎖で手を繋がれている隣の人が邪魔をするからだと文句を言い合い、いがみ合っていたのだ。


それを見た修業僧は、『天国』と『地獄』の違いがはっきりとわかったのだ。


周りの状態が同じであるのに、天国の人たちはみんな仲良く福よかなのに対し、地獄の人たちはいがみ合いやせ細っている違いは、天国の人たちは、相手のことを思いやり、相手の望むものを望む時に与えていることに対し、地獄の人たちは、自分のことばかりを考え、悪いことを全て他人のせいにしていることだったのだ。


そして、修業僧は思ったのだ。


「天国と地獄と言っても、自分の周りの状態は何も変わらない。違いは、相手のことを真に思いやり、それを行動に出せるのか、それとも自分のことばかり考え、悪いことを全て他人のせいにしてしまうのかの『心』の違いなんだ」と。


そして、修業僧は神様に答えたのだった。

「私は天国へ行きたいです」と。


その答えに対し神様は、「おまえは天国へ行ける心を持っているのか?」と聞いたのだ。


その問いに対し修業僧は、「今はまだまだ未熟ですが、今からその心を養い、天国に行ける人になれるよう、日々精進します」と答えたのだった。


俺はこの話しを、15年ほど前までの会社をやっていた頃は、社員に対して良く使っていたのだった。

しかし、社員を持たなくなってからは、すっかり忘れていたのだ。


俺は、今回の研修の最中に、この『天国と地獄』の話しを思い出したのだ。

そして、俺が言い続けている、『無敵の世界』とは、生きている内に自らで創ることが出来る、『天国』なのかも知れないと思ったのだった。


そして、俺が常に自分の中で唱えている、『私は無敵の世界の住人です』という言葉は、『私は天国の住人です』と言っているのと同じだと思い、不思議な感覚を覚えたのであった。


(つづく)

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