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2019年12月 3日 (火)

自己実現塾 1 ~11月期~

◆ アクティングアウト

自己実現塾1ヶ月目のテーマは、『心の安全基地を強化する』というものでした。

まず、自己実現のためには、『自我の確立』が必要。

そして、『自我の確立』とは、『自分づくり』であり、それは、自分という人間の基礎を固めること。


建物に例えると、『自我の確立』とは、建物の『基礎』であり、『自己実現』は、その上に建つ『建物』だそうです。


しかし、人の心は、建物のように基礎と建物がハッキリと区別出来るものとは違い、『自我の確立』は、ここまで行けば完了というラインは無く、一生掛けて取り組んで行くテーマだとのことです。

私の中のイメージとしては、『自我の確立』に取り組み続けることで、より大きくしっかりした基礎が出来れば、その上に建つ建物も、より大きく立派なものが建てられる、というものです。


その『自我の確立』の為のキーとなるものが、『自己受容』とのことです。

そして、『自己受容』の為に大切なのが、自分の心の中に安全な領域を確保すること。

安全領域を確保し、安心感を育むこと。


それは、『心の安全基地』を確立すること。

そして、心の安全基地を強化していくことが大切で、それは、『守り』を強化していくということ。


なぜ、守りを強化する必要があるのか?


人間には、『防衛機制』という、生まれながらにしての守りの機能が備わっていて、人は無意識に自分の心を守っているのだそうです。


そして、その『無意識の守り』が、『自分を傷つける守り方』だったり、『相手を傷つける守り方』の健康的ではない守り方と、建設的で健康的な守り方があるとのことです。

そして、健康的ではない守り方の場合は、他の健康的な守り方を身につけていくことが必要だとのことなのです。


その健康的ではない、本能的な守り方のことを、『アクティングアウト』と言うのだそうです。


私は、この言葉を知りませんでした。

そして、野口先生の話を聞けば聞くほど、納得させられたのです。


アクティングアウトとは、『自分では抱えきれない感情や葛藤を行動や態度にして表すこと』。

それは、行動や態度で表すことで、自分の気持ちをまぎらわしているのだそうです。


その最もたるものが、『怒り』の感情。

『怒り』とは、『第二感情』といい、怒りの前に本来の『第一感情』があるのだそうです。


その第一感情は、惨めさ、悲しさ、虚しさ、寂しさ、劣等感、不安感、無力感などだそうです。

それらの感情を真正面から受け容れることは、よほど心が強くないと出来ないとのこと。


自分の心を守るために『仮想敵』をつくり、本来の第一感情を、『怒り』という第二感情にすり替えているのだそうです。

『怒り』を相手にぶつけることで、本来の自分の感情に直面せずに済んでいるのだそうです。


『怒り』の感情自体が『守り』であり、本来直面しなければならない耐えられない気持ちから、気持ちを逸らしてくれる守りの機能なのだそうです。


『怒り』を相手に向けて何らかの行動や態度で出すとしたら、それはアクティングアウトであり、自分の心を守っているのだそうです。


相手に向けたアクティングアウトとは、相手に向けて怒りの言葉をぶつけたり、批判したり、責めたり、無視したり(態度)など。更には、人ではなく物に当たるのも同じです。


自分に向けたアクティングアウトとは、ヤケ食い、過食、飲み過ぎ、浪費、買物依存、ギャンブル依存、リストカット、自傷行為など。


これらは、全てアクティングアウトなのだそうです。


そして、アクティングアウトの中でも、特に不健康な守り方が、『躁的防衛』といわれるものです。

躁的防衛とは、高揚感によって、本来自分が持っている感情を紛らわす心の守り方で、依存傾向が強くなる守り方だそうです。

アルコール過多、買物依存、ギャンブル依存などが該当し、躁状態を無理して保とうとすると、極度の落ち込み、行きすぎた自己嫌悪、依存症など、その反動があるとのことです。

それと、11月下旬に見た別の動画では、ワーカーホリック、不倫なども躁的防衛だと話されていました。


野口先生は、それらの内容をいくつもの例え話で分かり易く教えてくれました。

そして、『自分に当てはまる』と思っても、それが良くないという話ではなく、『今の自分には守りが必要なんだ』、『自分はそうやって守っているんだ』ということを、しっかり受容することが大切だと話されたのです。


人間は、誰もが皆不完全な人間であり、直面出来ない感情が色々ある。

直面出来ない感情から、自分はちゃんと自分を守るために、何らかの方法を取ってきたんだなと、自分が自分の心を守っていると言うことを受け容れること。


そして、アクティングアウト、躁的防衛をしている人を見掛けたら、この人はこうして自分の心を守っているんだな、必死で自分の心を守っている姿なんだなと、そうゆう目で理解してあげると良いと話されました。


その上で、今の自分の守り方があまり健康的ではないのであれば、いきなりそれを全部止めようとしてもなかなか難しい場合が多い。

他の健康的な守り方をドンドン取り入れることによって、今までの不健康な守り方に依存しなくてもいい状況を作れば良いと教えられたのです。


そして、守り方のバリエーションとして、人と心理的な距離を取ることの大切さとその方法。

また、『オープンマインド』が良いものと思われているが、そうとばかりは言えないことも話されたのです。


いきなりのオープンマインドは、自分の守りを取っ払うことにもなりかねなく、次第に気心が知れて来て信頼感を得て自然に心を開いて行くことや、長い付き合いの中で自然に互いにオープンマインドになることの大切さを教えてくれました。


そして、健康的な『守り』の方法を多数教えてくれました。


例えば、対人恐怖症の人にとっては、伊達眼鏡やマスクとか、女性にとっては化粧自体が安心感を生む守りの一つだと。

その他、健康的な守りとして、ブランド品、資格や肩書、実績や業績、スキルや知識、歌や音楽、心の支えになる言葉や考え方、本など。

信仰心では、土光敏夫氏や稲盛和夫氏が有名であること。

スピリチュアルなものを信じる気持ち、お守りやパワーストーン、縁起をかつぐことなど。

尊敬する人の存在やロールモデル(理想な人、こういう人になりたい)を持つこと。

貯金、プライベートな空間、一人になれる空間を持つこと。

生活の中での変わらないリズム、秩序、ルーチン(決まった手順)など。

これらの全てが、心の『守り』であると教えられたのです。


そして、何かを持つ行為も、その方法が最初は何かに頼る外側の守りだったものが、次第に内在化(内面化)され、内面化されるとその物自体が無くても大丈夫になる。

そして、内面化される事でかさぶたのように自然にはがれていく。

だから、どんどん守りを取り入れていって良いと話されたのです。


更には、『守り』は、弱さに見えるが、強くしていくために必要なことで、段階を追って次第に強い心が出来あがって行く。


『守り』を知ることで、それをしている人を否定する必要がなくなる。

なぜそんなことをするのか?そんなことに頼るのか?の疑問が解ける。

みんな心を守っているんだなと、許す気持ちが生まれてくると、話されたのです。


私は、『アクティングアウト』、『躁的防衛』という言葉を知りませんでした。

動画を見た直後、私は特に10代から20代の頃、最終的にはつい1~2年前まで、『怒り』によるアクティングアウトと『飲酒』による躁的防衛をかなりしていたと思ったのです。

そして、守りのバリエーションを知ることによって、これまで自分が他者に対し、「なぜ、そんなことをするのだろう?」、「なぜ、そんなことに拘るのだろう?」と理解できなかったことに対しての意味を知ることが出来たのです。

そして、自分から見て好ましくないことでも、不思議と許せる気持ちが生まれて来て、何か人に対して少し優しくなれそうな気持ちになったのです。


更に、動画を見た受講生からの様々なコメントを読み、多くの方々が其々の悩みを抱えながら生きていることを痛感したのです。

そして、多くの受講生の方がアクティングアウトしてしまっていることを知りました。

特に多いと思ったのは子どもに対するアクティングアウトでした。


分かっていながら、怒鳴ってしまう、怒ってしまう、イライラして当たってしまうなど。

それに悩むおとうさんやお母さんが多いのには驚きでした。

みんな同じだと思いました。


私も別れる前の息子には、正に巨人の星の『星一徹』みたいな親父だったのです。

暴力こそ振るいませんでしたが、超スパルタで多くのことを強要して来たのです。

その時の私の気持ちは、『いつ俺が死んでも、一人でも生きていけるような人間に育てなければ』との傲慢な思いだったのです。


私は離婚したことで息子と別れ、その後自分の過ちに気づき修正することが出来ました。

しかし、本来であれば、別れてから、失ってから気づいても遅いのかも知れません。

受講生の中で同じような悩みを持っている方には、そうなる前に気づいてくれることを願わずにはいられませんでした。


また、『オープンマインド』に関しては、特に私が若い頃は、凄く人見知りで自分からは絶対に声を掛けないのに、何かの拍子で知り合った人には直ぐにオープンマインドになるという両極端だったことを思い出したのです。


そして、私がオープンなのに相手がオープンになってくれないと、信じて貰えていないと感じて、一気に切り捨てて来ていたのです。


更には、好きでも嫌いでもないどっちでも良い人との付き合いは面倒臭く、嫌いな人の部類に入れてしまい、好きな人としか付き合って来なかったのです。


人の好き嫌いがハッキリしていて、分からない人には分からなくて良い、分かる人だけが分かってくれれば良いという考え方で生きて来たのです。


その辺の所をよくよく考えてみると、「信じて貰えていない」と感じた時の、悲しさや寂しさや虚しさに自ら目を向けていなかったことに気づいたのです。


だから私は、息子と別れるまで、寂しさという感情を知らなかったのかと思ったのです。


私は考えました。


人間関係を切り捨てることで、そういう感情から逃げていたのか。

自分が傷つくことから逃げていたのか。

そうして自分を守っていたのかとの思いに至ったのです。


そして、「逃げる」という表現だと、何か悪いことをしているように感じるのですが、「守る」という表現にすると良いことのようにも感じることにも気づいたのです。


更には、若い頃の私は、『人間関係を断ち切ること』が、一番のアクティングアウトだったのかも知れないと思ったのです


きっと自分の弱さを隠す為に強がっていたんだろうなと思ったのです。

以前の私は、単に自分が優しくない人間、愛の無い人間と考えていた時期がありました。

しかし、その原因が、オープンマインド過ぎたのかも知れないとの思いに至ったのです。


オープンマインドが悪いことだとは思わないのですが、それも『中庸』があってのことなんだろうなと気づいたのです。


この時私は、『オープンマインド』と言葉にすると、何かカッコ良く聞こえますが、日本語にすると『心を開くこと』だと思ったのです。

そして、『いきなりのオープンマインド』は『いきなり心を開くこと』。

『いきなり心を開くこと』と言うことは、『いきなり心を裸にすること』と同じだと思ったのです。

そして、これが『心』を表現する『言葉』だから良い様なものの、もしこれが肉体だとしたらと考えたのです。


会って間もないのにいきなり素っ裸になったとしたら・・・。

私は、『単なる変態』じゃないかと思ったのです。

『オープンマインド』とは、悪く言うと、『心の裸族』なんじゃないかと思ったのです。


そして、想像したのです。

会っていきなり素っ裸になって、相手も裸になってくれないから怒るという姿を。

そう考えると、普通は絶対に裸にはならないと思ったのです。

逆に普通だったら悲鳴を上げて逃げる、あるいは殴られると思ったのです。


そして、もし素っ裸になるとしたら、それは同じ裸族じゃないとありえないと。

それこそ、ヌーディスト村に一緒に暮らす様な人じゃないとありえないことだと。


その時の私は、自分はそういうことをしていたのかと、そういうことを求めていたのかと、自分で自分が可笑しくなったのでした。

そして、『オープンマインド』も、段階を追って徐々に行わないと、変な誤解を与えてしまうことになることを知ったのでした。


その後、アクティングアウトについて、私は色々考えました。

そして、最初に気づいた、『人間関係を断ち切る』以上の最大のアクティングアウトに私は気づいたのです。

『人間関係を断ち切る』アクティングアウトは、私の気づきの入口にしか過ぎなかったのです。


私にとっての最大のアクティングアウト。


それは、『死を恐れない行為』だと思ったのです。


それに気づいたのは、野口先生が動画の中で話していた、自らを傷つけるアクティングアウトの代表的なものが、自傷行為であり、少女に多いリストカットだとの話しを思い出してのことでした。


私自身は、リストカットのような自傷行為を行ったことはありません。

ですが、若い頃は常に、『いつでも死んでやる!』という気持ちで暴れていたのです。


特攻隊に憧れました。

三島由紀夫の様な死に方に憧れていました。

『死』に対する美学みたいなものを持っていたのです。


16~18の頃は、単車で死ねたら本望、車で死ねたら本望と思っていました。


10代の頃はヤンキーの暴走族で、バイクでは中央分離帯があり、横には逃げられない道路を全開で逆走したり、フルチューンした車で高速道路を200km以上で暴走したり、ヤクザ相手に平気で喧嘩を売ったり、スピード狂で、全て暴力で解決しようとしていました。


成人してからは、暴力こそ振るいませんでしたが、時々言葉による暴力、恫喝をしていました。

そして、23で不動産業界に入ってからは、ワーカーホリックになりました。


29で独立し、31で二社目を立ち上げ、1000億円企業を目指して上場を夢見始めてからは、完全なワーカーホリックでした。

休み方を全く知りませんでした。

ある意味、休むことが怖かったのです。

そして、仕事が上手く行き始めると、誰もがやらない危険な仕事に手を出したり、高利の金に手を出したり、自らの生命保険を担保に大金を調達したり、自分の仕事は上手く行っているのに敢えて全財産を別なものに投入したり・・・。


白黒がハッキリしていなければイヤで、常にゼロか100かの考え方をしていたのです。

そして、沢山失敗して来ました。

何度も死を考えました。

しかし、その度に手を差し延べてくれる人が現れ、今の私があるのです。


既に亡くなった大好きで大切だった人に言われ、これまで答えの無いまま、ずっと深く心に残っている言葉があるのです。


「何で貴方は、自ら好き好んで火中の栗を拾いに行くの?!」


当時、山手線の大久保だったか新大久保だったかで、線路に落ちた人を助けに自ら線路に降りて、電車に轢かれて亡くなった韓国人大学生の事故があったのです。

その人は、私にそれと同じようなことばかりしていると言ったのです。

その時の私は、それが何故なのかは、自分でも分かりませんでした。


唯一つ言えたことは、『そうしなかったら、俺は俺でなくなる』というものだったのです。


私の捨て身の行動の裏には、常に、『俺が俺であるために』というものがあったのです。


私は、40代の中頃、『このまま歳を取って行き、自分が自分の意思で死ねなくなったら』と考えた時、とてつもない恐怖に襲われたのです。

普通だったら、『死を怖れる恐怖』なはずなのに、私は『死ねない恐怖』、『生きてしまう恐怖』に怯えたのです。

その頃までの私は、『いつでも死んでやる』、『いつでも自決出来る』という自分が、自分を支えていたのかも知れないと思ったのです。

それこそが、当時の私のアイデンティティだったのかも知れないと思ったのです。


私は、過去の自分を振り返り、『死を恐れない行為』、所謂、周りから見たら自殺行為としか思えない行為こそが、少女のリストカットと同じだったのだ、それは自傷行為によるアクティングアウトと同じだったのだと気づいたのです。


私は、高校を中退し、16で家を出て、両親の束縛から逃れ、一生懸命生きて来たつもりでした。

しかし、自分では無意識に35年もの間、自傷行為を繰り返していたのかと気づいたのです。


私がそれに気づいたのは11月11日でした。


そのことに気づいたことで、私はこれまでの自分が歩んで来た道に対し、合点がいったのです。

腑に落ちたのです。

なるほど・・・と。

そういうことだったのか・・・と。


私はこれまでの経験体験からの気づきで、少しずつそういうものを乗り越えては来ました。

しかし、それが何故なのか、理由がずっと分からないままだったのです。


単に自分はそういう人間なんだと、特殊な人間なんだと思っていたのです。

生まれ持ったものだからしょうがないと思っていたのです。


しかし、アクティングアウトを知ったことで、過去の自分の行動が論理的に理解出来たのです。

全ては『自分の心を守るため』だったのかと。


そして、更にその先にあるものも、朧気ながら見えて来た感じなのです。


『なぜ俺は、健康的ではない、アクティングアウトという方法しか取れない人間だったのか?』

『なぜ俺は、健康的な心の守り方が出来ない人間だったのか?』


アクティングアウトを知った私は、この『なぜ?』こそが、人間としての根源的なものなのではないかと感じ始めているのです。

なぜならそれは、自分で考えてやっていた訳ではなく、『無意識』にやっていたということに気づいたからです。


そして、それは、きっと親子関係にあるのだろう・・・。

それも、特に母親との関係に・・・。


そんな風に感じ始めているのです。


しかし、慌てる必要はないと思っています。

時期が来れば、必ずその答えも見つかるだろうと思っているからです。

そして、この自己実現塾を学んでいく中で、きっとその答えが見つかるのではないかと感じ始めているのです。


私のアクティングアウトが徐々に減って行ったのは、二度目の離婚が機だったと、今では思います。

考えてみると、離婚前の私には、『守り』というものが全く無かったのです。

しかし、離婚を機に、その後の私の『守り』は、自分では気づかない内に増えていたのです。


最初は、生き方や考え方、心理や哲学に関する読書。

そして、剣道。

離婚前は全く見なかったTVドラマの視聴。

研修に参加してからは、『善い言葉集め』。

毎月研修に参加し、インストラクターとしての研修生との対話。

自分の心に響いて来る歌詞の曲を繰り返し聞くこと。

朝晩の歯磨きの時にやっている、『笑顔はみがき』。

買物をした時に必ずレジの人に『ありがとう』と笑顔で言うこと。

息子が戻って来てからは、息子の為に毎晩作る料理。

そして、息子と一緒に過ごす晩酌の時間。

今年から始めた、自分の人生の目的や生き方についてのアファーメーション。

今年の2月頃から始めた、『幸福日記』。

自分が目指す、『大きな樹のような人間になる』を意識し続ける為に、スマホやPCの待ち受け画面などを全て『日立の樹』にしていること。

7月から始めた気づきのブログ。

そして、自分の過去を小説風に書いてブログにアップすること。

8月頃から毎日行っている池江選手への応援クリック。

年に一度の三峯神社への参拝や小学生時代の恩師に会うこと。

1~2ヶ月に一度、友に会って飲むこと。


これらは全て、私にとっての『守り』になっていたんだなと思ったのです。


そして、新たに始めた、『自己実現塾』での学び。

この学び自体も『守り』であると思ったのです。


そして、これらの守りが徐々に増えて来たことで、私は知らない内にアクティングアウトをしなくて済むようになって来たのだと思ったのです。


今の私は、気持ちの中でたまにムッとすることはあっても、それを怒りとして表に出す事はほとんどなくなってきています。(まだ、年に何度かやってしまう時はありますが・・・)

それよりも、些細なことで喜びや幸せを感じられる自分に変わって来ているのです。

そして、『死ぬこと』よりも、どう生きるのか、どう人や社会に貢献して行くのかという、『生き方』こそが、私にとって最も大切なことになっているのです。


私は、色々な気づきを得て、変わって行く自分を実感してはいても、それが何故なのか論理的に知ることが出来なかったのです。


しかし、今、こうして自己実現塾で学ばせて頂き、『なぜ?』を知ることで、更に自分自身の気づきが深まって行くのを感じるのです。


私は、これからの自分がどう変わって行けるのか、それが今一番の楽しみなのです。


そして、自己実現塾の今後の受講予定項目の『シャドー』。


ユング博士が言った言葉。


「シャドーの中に黄金がある」


野口先生がメールの中で紹介された、シャドーについて語っている言葉の中の一つ。


「完全なる私になるための、もう一つのピース。それがシャドー」


『シャドー』について学べる日を心待ちにしている私なのでした。


受講開始1ヶ月目から、大きな気づきを得させて頂いた自己実現塾でした。


自己実現塾 1 (11月期) ◆ アクティングアウト (了)

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