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2019年12月31日 (火)

俺の道 ~アラカン編~ 第60回AF研修の巻 (10) <最終回>

(10)2019年を振り返って

昨年12月にイオンで出会った女の子の笑顔とスキップをきっかけに始まった俺の気づきは、俺の内面に数々の気づきを与えてくれた。

そして2月には、亡くなった親父の墓参りに行き、親父の想いに気づき、ただ許せただけではなく、その愛を感じることが出来たのだ。


更には、それまで苦しんだ十数年間、特に息子と別れていた3年間について、後悔と自責の念に凝り固まっていた俺の心が、『苦しんで良かった』、『俺の人生、これで良かったんだ』と、心底思えたのだ。

この変化が、その後の俺の内面を急速に向上させるきっかけだったように思うのだ。


その後、離婚後の苦しみの中で読んで来た本を改めて読み直したことで、6月に野口先生の『鏡の法則』を筆頭とした著書に出会えたのだ。


そして、親父の命日である7月1日からブログを始め、その過程で俺の過去を小説風に書くことに気づき、小説風に書くことで、当時の子ども時代の自分の気持ちに気づき、今の自分がその当時の気持ちを受け止めることで、自己受容が進んで来るのを感じることが出来るようになって来たのだ。


俺の過去を小説風に書くことは、厳しさのみだった自分の中のインナーペアレントを優しいインナーペアレントに育て直しているようなものとなっている。


そして、10月中旬から始めた『自己実現塾』の学びにより、それまでは感覚だけで捉えていた自分の内面の変化を論理的に理解し始めたことで、それを言葉として表現することが少しずつ出来るようになって来ていると思うのだ。


そして俺は、この『言葉で表現する』ということの大切さを今回の研修で痛感したのだ。


人は、自分の想いを言葉で上手く表現できないから、感情的な表現になってしまうのではないかと思ったのだ。


自分の話している言葉が相手に伝わっていないと感じること。

それは、自分の気持ちが相手に伝わっていないと感じることだと思う。

そして、それを無理に何とか伝えようとするから、伝わらない同じ言葉で何度も繰り返すのではないかと思ったのだ。


その様な時、本来はその伝わらない悲しさや悔しさ、自分が伝えられないという無力感や寂しさなどを、自分で感じて受け入れなければならないのに、それが出来ないから、イライラや怒りに変わって行き、感情的な表現になってしまうのではないかと思ったのだ。


その為には、やはり知識としての言葉と、その言葉の意味を知ることであり、それは同時に自分の気持ちを理解する上でも大切なことなのではないかと思ったのだった。

そして、自分の気持ちを自分自身がしっかりと理解して共感することが、自己受容することの真の意味かも知れないと思ったのだ。


なぜなら、仕事でも勉強でも、自分が理解していないことを人に教えることが出来ないのと同じなのではないかと思うからだ。


本来の『教える』ということは、感覚的には『伝える』ことと同じようなものなのではないかと思うのだ。


そういう意味で、人は自分の気持ちを自分自身が一番理解していないといけないのではないだろうか。

しかし、それが上手く出来ないから、人は『解って貰いたい』と思うのではないだろうか。


そして、自分自身で自分の気持ちをしっかりと理解出来るようになれば、理解すること自体が『受容』することになり、無理に他者に解って貰う必要が無くなるのではないだろうか。


逆に他者の気持ちも理解することが出来るようになるのではないだろうか。


これは、自己実現塾で最初に『アクティングアウト』を知った時に、その心理的構造を学び、アクティングアウトをする理由を理解した時の感覚と似ている気がするのだ。


その時アクティングアウトの対処法としては、『健康的な守り』を増やして行くことを学んだのだが、もしかしたら、しっかりと自分の言葉で理解するということは、その根本的なものかも知れないと思ったのだ。


人が感じたくない、味わいたくない感情と言うものは、それだけその人にとっては大きなものであり、計り知れないものなのだと思うのだ。


しかし、人はそれを解って貰いたいと思うのではないだろうか。

そして、解って貰えたと感じることで、傷ついた心が癒されるからなのではないだろうか。


人が感じたくない、味わいたくないと感じる感情を、自分の言葉で理解することが出来れば、その感じたくない感情の大きさや広さ、深さと言ったものを第三者的に自分自身に対して、具体的に共感してあげられることになるのではないかと思うのだ。


そして、それこそが、自己受容の真の意味なのではないかと思ったのであった。


俺は最近、研修をやっていて感じているのだ。

大切なのは、『伝える力』よりも、『受け入れる力』なのではないかと。


自分自身が自分の気持ちをしっかりと言葉で理解して共感出来るということは、その気持ちをきちんと表現する言葉を自分が持っていることだと思うのだ。


きちんと表現する言葉を多く持っていればいるほど、他者に言葉で伝えられる可能性は大きくなると思う。

そして、自分の気持ちを言葉で伝えることが出来れば、人は感情的にならずに冷静に優しく話せるのではないかと思ったのだ。


そして、それこそが本当の意味での『大人』というものなのではないだろうかと思ったのだ。


更には、本当の意味での大人になるということが、ユング博士の言う、『自我の確立』ということなのではないかと思ったのであった。


俺は、今回の研修で自己実現塾での学びを研修で試した後、その後の反省の中で、この様な思いが出て来たのだった。

自分の気持ちをしっかりとした言葉で理解すること、そして共感することの大切さを感じたのだった。


言葉で理解することが出来れば、言葉で伝える事が出来るようになると思うのだ。

そして、自分の気持ちを、より幅広く、より深く理解出来るようになれば、その分、他者の気持ちも、より幅広く、より深く言葉で理解して共感し、その共感した想いを言葉で伝えられるようになるのではないだろうか。


更には、自分の気持ちに対する幅広さや深さは、対人関係における幅広さと深さにも繋がって行くのではないかと思うのだ。

それは、単に他者に対する好き嫌いといった感情だけに頼るのではなく、より理性的な人間関係が構築出来て行くのではないかと思ったのだった。


この気づきは、俺が考える『無敵の世界』の幅を広げて行くことになるのではないかと思うのだ。


今の俺の『無敵の世界』は、まだ限られた狭い範囲の世界だが、その範囲が徐々に広がって行く様な、何かそんな予感のようなものが感じられるのであった。


その想いを胸に秘めつつ、来年は今年の内面の変化の成果が結果として現れると信じて、2019年の締め括りにしたいと思うのであった。


俺と縁あって関わって下さった全てのみなさまへ。

今年一年間、誠にありがとうございました。

みなさまが良い年をお迎え頂けることを祈願し、最後に俺の大好きな詩を載せて、2019年の締め括りとさせて頂きます。


    【言葉の響き】 

     同じ言葉でも 響がちがう

     文字にすれば 同じなのに

     なぜ?


     あの人の言葉はちがう

     深さが 高さが 重さが そして美しさが

     なぜ?


     やはり 通ってきた道がちがうから

     苦しんだ重さがちがうから

     悲しんだ深さがちがうから

     努力の量がちがうから


     その人の前に出ると

     自分の生き方が恥ずかしくなる

     情けなくなる

     涙がにじむ


     でも不思議だ

     やる気も湧いてくる

     これからがんばろうと思えるようになる


     己の言葉の響きを磨くとは 自分自身を磨くことだ


           (大久保寛司 著書 『考えてみる』より)


俺の道 ~アラカン編~ 第60回AF研修の巻  (了)

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