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2019年12月24日 (火)

俺の道 ~アラカン編~ 第60回AF研修の巻 (3)

(3)介護の傷

30歳の青年の次に来たのは、52歳で管理職の男性だった。


その男性の企業側からの要望書には、以前はやる気溢れる営業部長だったが、ここ数年うつ病になり、配置転換したが効果が薄く、現在も不安定な状況が続き、以前のように戻って欲しいというものだった。


彼は、俺の前に座り、自分の長所と短所を簡単に話したかと思うと、俯き黙り込んで考え出したのだった。

俺は、まだ何も話していなかった。

俺は、彼から出て来る言葉を待った。


彼が顔を上げて俺の目を見つめると、いきなり、「まだ、誰にも話したことが無いことなんですが、話しても良いですか?」と聞いて来たのだ。


俺は内心、さっきの彼といい、「誰にも話したことが無い話しが続くなぁ・・・」と不思議に感じながらも、「良いですよ」と答えたのだった。


彼は岩手の出身で、彼の奥さんは奥さんのお母さんが40歳の時の子どもの一人っ子で、奥さんのお父さんは奥さんが若い頃に既に亡くなっていて、母子二人暮らしであり、彼が次男であったことから婿養子に入って結婚したのだと話したのだった。


そして、義母が80歳になる頃からボケ始め、奥さんと二人共働きでありながらも、協力して介護をしてきたが、7~8年前から急激に悪化し、その壮絶なる介護の状況や東日本大震災では義母を抱えて逃げたことなどが語られたのだった。


そして、義母が90歳になる頃には老化で皮膚が弱まり、抱えあげただけで皮膚が剥がれたりしたことで、病院に連れて行くと虐待を疑われたりで、彼は精神的に追い詰められ、その限界を超えた時、彼は義母に対し殺意を持ってしまったことを涙ながらに語ったのだった。


そして、今年の5月に義母は亡くなったのだが、毎日仏壇に手を合わせて謝っていると話したのだった。


彼は、義母が若い頃は、孫の面倒も良く見てくれ、優しかった義母に対し、一時的ではあるにせよ、殺意を持ってしまった自分自身を許せずに責め続けていたのだ。


それは、彼の奥さんや娘にも、誰にも言えなかったと、彼は涙ながらに話したのだ。


俺は、彼の痛みや苦しみ、自己嫌悪や自己否定、責任感から生じる無力感など、感じられるもの全てに共感し涙した。


更には、義母の自分で自分が誰かも分からず、家族のことも家族と思えず、それでも生き続けている気持ち、『死にたくても死ねない辛さ』、『無意識とは言え、子どもたちに苦痛を与え続けてしまっている親の辛さ』など、彼の義母の想いも共感したのだった。


俺は4年前、親父の死で絶縁状況になっていた祖母が亡くなったことを知った。

その祖母の死は、俺に『人間としての生きる意味』と、『人間としての死ぬ権利』を問いかけられたようなものだったのだ。


祖母は、俺が16で家を出た数年後から、親父と同居していた。

そして、親父の死後は、弟の叔父が面倒を見ていたのだが、叔父も癌で亡くなり、叔父が亡くなった後は叔父の嫁が面倒を見ていたのだが、その嫁も認知症になり、誰も面倒を見る者が無く、行政の管理下に置かれていたのだ。


亡くなる前の数年間は、意識の無いまま、鼻からチューブで繋がれ、栄養だけを送りこまれ、丸々と太った呼吸だけをしている肉の塊のようになっていたのだ。

俺が知っている祖母の面影は一切無かった。

変わり果てた姿だったのだ。


二人の息子は先に亡くなっているというのに、意識の無いまま呼吸だけしているだけだったのだ。

その姿は丸で、病院の入院費を払う為だけに、無理矢理生かされているようだった。


俺は、離婚直後にその事実を知り、病院を訪れ、チューブを抜いて死なせてあげることが出来ないのかと聞いたのだが、病院側としては、それは殺人になることから、出来ないことだったのだ。

その姿は、人間としては、あまりにも憐れで、無情さを痛感したのだ。


医療の発達により、簡単には死ねない、死にたくても死なせてくれない、苦しさや辛さをその時の俺は痛感したのだった。


その病院は、普通の病院とは全く違っていた。

昼間だというのに、受付は病院の人ではなく、警備員だった。

ナースステーションさえ無かった。


意識の無い、ただ呼吸だけをしているような人たちや、意識はあっても既に自分が誰かも分からなくなっている人のためだけの病院だった。

医師も看護師も見当たらず、見舞客は一人もいなかった。

誰も居ない静まり返った廊下に時々響いて来る音は、呻き声だけだった。


探し回ってやっとの思いで見つけた看護師の顔つきは、常人とは思えないものだった。

もはやそれは、人間の病院と言える様なものではなかったのだ。

病院とは名ばかりの『生き地獄』のようだったのだ。


俺の脳裏にその時の光景が蘇って来たのだった。

俺は彼に言った。


「貴方は悪くない」

「貴方が出来ることは精一杯やったんだ」

「しょうがなかったんだ」


「もう自分を責めなくて良い」

「もう自分を許していい」

「許してあげな・・・」


彼は、頭では理解出来ても、気持ちとしては納得出来ない様子だった。


そんな彼に対し、俺は自分の過去を話した。

そして、俺自身が昨年やっと自分を許すことが出来、同時に27年前に自殺した親父を許せたことを話した。


その時だった、彼の目の中で何かが動いたのを俺は見たのだった。

彼の心の中の変化の兆しが見て取れたのだった。

俺は、思った。


「大丈夫だ、彼は絶対に立ち直れる」


俺は、続けて話して聞かせた。


「俺が、義理のお母さんだったとしたら、酷いことをしたのは私の方だと言う」

「貴方達を長く苦しめてしまって、ごめんねってと言う」


「なかなか死ねなかった苦しみから、私はやっと解放されて楽になれたのだから、これ以上貴方は苦しまなくて良い」

「貴方は、出来るだけのことを私にしてくれた」

「だから、もう自分を責めなくていい」


「いつまでも貴方が自分を責め続けていては、私は安心して成仏できない」

「娘と孫の為にも、早く貴方は自分を許してあげなさい」


「お母さんは、きっとそう言うと思う」

「だから、仏前で毎日謝っている貴方を見たら、きっと悲しむと思う」

「お母さんは、決して貴方を恨んでなんかいない」


「今のままの自分で良いの?」


「亡くなってしまったお母さんより、今生きている奥さんやお嬢さんの方が大切なんじゃないの?」

「もっと顔を上げて、今生きている周りの人たちの気持ちを考えてみて」


「今生きている奥さんとお嬢さん、そしてお嬢さんから生れて来るであろう未来の孫、更には共に働く仲間たち」

「そういう人たちの気持ちを考えてみて」


俺は彼にそう言って、彼の試験を終了させたのだった。


そして、この後夕食となったのだが、俺は不思議に思っていた。

この日の俺は、試験開始前から注意していたことがあったのだ。

それは、無理に相手の心に入って行かないことだった。


『マインドレイプ』にならないように心掛けていた。

相手が自ら心を開くまでは、絶対にこちらから無理には相手の心に入らないと決めていたのだ。


それなのに、そう決めて試験受けに臨んだ俺に対して、いきなり、『誰にも話したことが無い話しを聞いて貰えますか?』と、二人が続けて言って来たのだ。


それも二人の話しは、内容は違えど、これまでの5年間で一度も聞いたことが無い、想像を絶するものだったのだ。

特に30歳の青年の話しは、19歳の少年時の話としては辛過ぎると感じたのだ。


聞いていた俺も、一瞬ヤバイと思ったほどだった。

自分の気持ちが持って行かれそうになるのを感じたのだ。


その時の俺は、『鏡の法則のミュージカル』で観た、主演の『樋口麻美』さんのことを思い出したのだった。

彼女の涙を流し、鼻水も垂れ流し、それでも堂々と歌う彼女の姿を。

俺は彼女に『プロ根性』を見せて貰ったのだ。


あの時俺は、俺たちの試験受けも、樋口麻美さんのように出来るようにならないといけないと思っていたのだ。

相手の気持ちに共感し、涙を流し、鼻水を垂れ流しても、心には一本、凛としたものを持ち、相手に何かを気づかせること。


俺は二人の話しに共感し、涙を流し、鼻水も垂れ流したが、冷静に、落着いて、静かに話しが出来たのだ。

それは、俺にとっては一つの成長だと感じられたのだった。


しかし、なぜ彼らは開始早々、俺に話す気になったのだろうか?

メイントレーナーがそういう話をしたのか?

しかし、まだ始まったばかりのこの時間帯で、そんなに深い話しをするとは思えなかったのだ。

それとも、何かそういう、話したくなるような雰囲気みたいなものが、俺に生まれて来ているのか?


そんなことを考えながら、俺は夕食の会場へと向ったのだった。


(つづく)

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