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2019年12月16日 (月)

俺の道 ~自立編Ⅰ~ (8)

(8)有限会社東建(とーけん)

3月に高校を中退し、4月から俺がN村の紹介で働きだした会社は『有限会社東建』という会社だった、

この時の仕事の名目は、『大型トラックの運転助手』だったのだが、実際にやらされたことは米かつぎみたいなものだった。

今では既に無くなってしまったが、当時、東小金井のJR貨物駅で日通の下請けの仕事だった。


貨物で運ばれて来た米やビールなどを手作業でパレットに積み替え、それをフォークリフトで11tトラックに積み、近くの倉庫まで運び、それを再度手作業で下ろす仕事だった。


米は貨物1輌に、麻袋に入った60kg(一俵)のものが250袋入っていた。

それを4人一組で手鉤という道具を使ってパレットに積み替えるのが主な仕事だった。


それを通常で、10~20輌、多い時は30輌ほどやるのだ。


60kgの250袋を10輌で2500袋、30輌だと7500袋だ。

それを4人一組でやるのだ。


麻袋は手鉤を使えるからまだ良いのだが、30kg入りの紙袋になると、1輌に500袋入っていて、全て手下ろしだった。

これが、下の方は腰をかがめて抱えあげなければならないのでかなりきついのだ。


普通の人は、まず半日ももたなかった。

だから、日給月給だったのだ。


時間は8時~17時で昼休みが1時間の8時間労働だった。


族の頭のI森は、3月まで働いていたらしく、俺と入れ違いで辞めていたのだった。

I森が居た期間は大して長くはなかったようだった。

そして、俺を紹介したN村も休んでばかりで、俺が入った1ヶ月後には辞めていたのだった。

ツッパリと言っても、本当に根性がある奴の数はたかが知れていた。


最初の1~2週間はかなりきつかった。

しかし、やること自体は単純労働だった。

その為、俺は直ぐにある程度の仕事は覚えた。


米の麻袋は手鉤の使い方のコツを覚えてしまえば大丈夫だった。

紙袋は単に体力と腕力勝負だった。


学校を辞め、後戻りできないと思っていた俺にとっては、体力勝負に負ける訳にはいかなかったのだ。

だから、辛くて辞めるという考え方は、俺の中には無かった。

兎に角言われたことを必死でやった。


実際に、族連中とつるんでいて、喧嘩が俺より強そうだ、俺より根性がありそうだと思えるような奴は、俺の周りには一人も居なかった。


当時の俺は、『ブルース・リー』が大好きだった。


プロレスラーやボディビルダーのようなゴツイ身体は好きでは無かった。

ブルース・リーのような、普通に見えて脱いだら凄いという身体になりたかった。

今で言ったら、『細マッチョ』な体型が好きだったのだ。


だから、身体は常に鍛えていた。

腕立て伏せと腹筋だけは毎日欠かさずやっていた。


俺は、最初の1ヶ月目、定休の日曜日以外、一日も休まなかった。

N村はしょっちゅう無断で休んでいた。

始めての給料を貰った時は、社長のN谷さんが本当に褒めてくれたのだった。


N谷社長は、以前はプロレスラーの『ストロング小林』(当時猪木の宿敵)も居たことがあったと教えてくれた。

怪力だった様だが、持久力が無かったと話していた。

中身の入ったビールケースを一人で6ケース持ったと言っていた。


N村が辞めた後、俺以外は、社長も含め40代くらいの人が5人の小さな会社だった。

ここの人たちはみんな厳つかったが、俺には優しく接してくれた。

俺を一人の大人として扱ってくれたのだった。


とにかく俺は、言われたことを何でもバカになって必死にやっていただけだった。

その為、仕事を覚えるのは早かった。


2ヶ月目には、フォークリフトの運転も11t車の運転も出来るようになっていた。

貨物駅構内は、無免許でも大丈夫なので、何でも教えてくれたのだ。


そして、5月末でファミレスのバイトを辞めた俺は、仕事を東建一つにしたのだった。

その後俺は、族仲間で俺を慕って来た後輩のM田とK村の2人と、I森の補佐役の様なことをしていたK保の3人を東建に入れたのだった。


いきなり俺と同じようにやらせようとすると直ぐに辞めてしまうだろうと俺は考えた。

最初の1ヶ月は、彼らの分まで俺がカバーした。

休憩を多く取らせながら辞めないように育てたのだ。


彼らに基本的なことは大人の人たちが教えてくれた。

俺は、手鉤のコツから、紙袋の疲れない持ち方とか、俺が掴んだコツを徹底的に教えた。


2ヶ月もして一人一人に力が付いてくると、急激に仕事がはかどるようになった。

そして俺は、構内作業よりトラックの助手で外に出ることが多くなったのだった。


しかし、俺が構内にいないことを良いことに、そこで事件は起きたのだ。

社長のN谷さんが後輩たちに命令し、構内作業を翌日の分まで仕事をさせ、翌日の構内作業を休みにしたのだった。


給料は日給制なので、働いている方は休めば給料が減ってしまうのだ。

会社としてはその方が良いのかも知れないが、俺たちにはそうではなかった。


俺はこの時、怒るよりも『しまった!』と思ったのだった。


俺が構内にいる時は、その辺のコントロールは俺がしていたのだ。

しかし俺は、まだそれを三人には教えていなかったのだ

昼間に入ってきた貨物の種類と量で、その日の午後の仕事量を俺が大人たちと相談してコントロールしていたのだった。


それ以降、俺は三人に、俺を通さない社長の直接の指示は聞くなと言った。

俺の居ない所で社長に直接命令されたら、全て俺に確認させるようにしたのだ。


そして、社長が俺のいないところで三人に指示を出しても、俺の指示が無い限り、三人は動かなくなったのだ。


それには社長も困ったようで、俺に交渉して来た。

俺の日給は500円アップした。

そして俺は、仮に翌日午前中分の仕事を先にしたとしても、翌日は誰も休ませない約束を取り付けたのだった。


俺は3人に俺の日給が500円上がったことを話し、その分は時々彼らに昼飯を奢って返したのだった。

しかしこの後、N谷社長は姑息な手段で俺に反撃をしてきたのだった。


(つづく)

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