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2020年1月18日 (土)

俺の道 ~阪神・淡路大震災編~ (1)

(1)不良債権の世界へ

2020年1月17日、AM4:56。

俺は突然目を覚ました。

予定より約1時間早い目覚めだった。


俺はそのまま起きることにした。

軽く洗面し、NIKKEI NETを開いて見た。


目に飛び込んで来たのは、『阪神大震災から25年』の文字だった。


阪神・淡路大震災が起きる約半年前の平成6年6月9日。

俺は代官山(渋谷区鉢山町)の3LDKのマンションを借りて創業したのだった。

当時の俺は29歳だった。


阪神・淡路大震災は、俺の人生の中で、大きな影響を与えた出来事の一つだった。


『阪神大震災から25年』の文字を見て、『俺の道 ~自立編Ⅰ~』は、まだ17歳までのことしか書いていないが、先に阪神・淡路大震災前後のことを書いてみたくなったのだ。


俺が借りた代官山のマンションは、代官山駅から徒歩4~5分、渋谷駅から徒歩10分程度の高級住宅地の中の三階建ての低層マンションだった。

築年数は20年以上経っていて古かったが、敷地内には全て平置きの駐車場もあり、立地や地型はとても良い物件だった。


また、一戸当たり72㎡ほどで、普通の分譲タイプのマンションより多少広めの3LDKだった。

洋室5畳、6畳、和室6畳、LD12畳、K3畳、バス、トイレ、洗面というものだった。

しかし、このマンションは普通のマンションとは少し違っていたのだ。


当時、世間で大問題になっていた『住専』、いわゆる『住宅金融専門会社』の大口融資先企業が一棟物として所有している物件だった。


全て同じ3LDKの間取の部屋が、一階6戸の三階建て、全18戸のマンションだった。

俺が入居する前は、ある大手銀行の社宅として一棟丸ごと賃貸されていたものだったのだ。


しかし、俺が入居する時は、賃借人は全て退去した後だった。

なぜなら、住専問題により、この物件は不良債権化していたのだ。

銀行は、この物件を競売に掛けるために退去していたのだった。


当時俺が懇意にしていたO社長が、物件を所有している不動産会社の社長と昵懇だったために、競売になったら退室することを条件に、好きな部屋を格安で使わせてくれたのだった。


競売までには、まだ約2年の猶予があったのだった。


俺が入居する時は、O社長の社員が一室を使っているだけで、俺は残りの17部屋を全て見せて貰い、その中で比較的綺麗だった1階の一室を借りたのだった。


借りる時は、リフォームはせずにそのままだった。

その代わり、退室の際も現状回復の必要は無く、敷金礼金も無く、ただ毎月の家賃だけで良かったのだ。


そして、このことをきっかけに、俺は不動産業界の中でも特殊な、『不良債権物件』の世界に興味を持ち始め、数年後には不良債権物件のスペシャリストとなって行くのであった。


(つづく)

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