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2020年1月23日 (木)

俺の道 ~阪神・淡路大震災編~ (3)

(3)まさかの?!

この当時の俺は、月に2~3回のペースでゴルフをしていた。

ゴルフは、顧客に新規顧客を紹介して貰うのが目的だった。


当時の俺は、二子玉川にあった日本で最初の会員制スポーツクラブの『スポーツコネクション』と、成城にあった、『成城グリーンプラザ』のゴルフ練習場へ一日おきに通っていた。

そして、その合間に月2~3回のゴルフという生活だった。


平成6年12月29日、この年最後のゴルフだったのだ。

場所は、千葉県成田市の『ザ・プリビレッジG.C』というコースだった。


現在は、『グリッサンドG.C』と名称が変わっているようだ。


『ザ・プリビレッジG.C』は、平成3年に新設された新しいゴルフ場で、会員権の販売価格が約8千万という超高級ゴルフクラブだったのだ。


当時は有名な一部上場の食品会社の社長が理事長を務め、通常は会員の同伴のみで、キャディはほとんどが20代前半の女性という、千葉ではかなりの超高級なコースだった。

実際、俺が周ったことのあるゴルフクラブの中では、クラブハウスは郡を抜いて断トツで高級感のある造りだった。


クラブハウス内にあるBARが、当時のオーナーの肝煎りで、クラッシックに統一された調度品は、全てが一流品だった。

特に、BARカウンターの天板は、特殊な樹の一枚板で海外から空輸されたもので、1億円以上だと聞かされていた。


このゴルフクラブは会員の同伴のみだったのだが、ゴルフクラブのオーナーが、俺が借りた代官山のマンションのオーナーでもあり、俺は会員権を持ってはいなかったのだが、平日は会員の同伴が無くても利用させて貰えていたのだった。


この日は、日立製作所の管理職のM氏と紹介客の三人でのプレーだった。

当時のプレーフィーは、平日でも一人5万円を超えていた。

今では考えられないような値段だが、当時はそれでも安いと思っていたのだ。


この日のキャディは、23歳と若くて明るい、化粧っ気のない可愛い子だった。

聞くと、冬の間だけ北海道から出稼ぎに来ているとのことだった。

夏場は北海道でキャディをやり、冬場はこっちでキャディをしているとのことだったのだ。


俺たちはINスタートだった。

そして、前半のラスト3ホールとなる16番ホールで事件は起きてしまったのだった。


その日のティは、バックティだった。

174ydのPar3だった。

俺はM氏の後の二番目だった。


グリーンは逆光で光っていて、旗の先端が僅かに見えるだけで、グリーン面は全く見えなかった。

俺は4番アイアンで軽く打ったのだが、球はピンに向って真っ直ぐの良い感じだった。


すると、グリーン奥で俺たちが打ち終わるのを待っていた前の組の人たちが大騒ぎで拍手してくれたのだった。

俺は、かなり近くに寄ったのではないかと思い、次の人に打席を譲った。

そして、俺の後の紹介客が打ち終わり、俺たち三人は話しながら歩いてグリーンに向ったのだった。


すると、グリーン上に集まった前の組の人たちがプレーを開始しないで、俺たちが来るのを待っている感じだったのだ。

俺たち三人は顔を見合わせ、グリーンに向って小走りで走った。


そして、グリーンまで行くと、前の組の人たちが俺を拍手で迎えてくれ、俺はホールインワンだったことを、その時初めて知ったのだった。

グリーン上が逆光だった為に全く見えず、音も聞こえなかった為にまさか入っているとは思いもよらなかったのだ。


前の組の人に聞くと、転がって入ったのでは無く、『ポン、ポン、ポン』で入ったとのことだった。

そして、前半を終えレストランに行くと、前の組の人たちが再び拍手で迎えてくれ、俺は前の組の4人にビールを振る舞ったのだった。


昼食時に散々飲んだ俺たちの後半のプレーは酷いものだった。

この当時の俺は、ゴルフは好きだったが、あくまで趣味兼仕事だった為、飲みがメインになり、スコアの方は90台が良いとこだったのだ。


この日のプレーを終えた俺は、精算時にフロントで、キャディーにホールインワンのチップとして5万円の現金と名刺を置いて帰路についたのだった。


そして、このホールインワンで気を良くした俺は、二人を連れて六本木へと向ったのであった。


(つづく)

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