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2020年1月 9日 (木)

自己実現塾 2 ~12月期~ (3)

(3)不思議な夢

12月28日の朝、私は目覚める前に不思議な夢を見ました。

それは、『意識と無意識の境界』を感じる様な夢でした。


私は、4~5年前から持っていて、読みたいと思っていながら読めていない本が二冊ありました。

一冊は、『母という病』。

もう一冊は、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』というものでした。


私は、11月の下旬頃から、『母という病』を読みました。

そこには、グレートマザーに憑依された症例が沢山記載されていました。


私は、読みながら、自己実現塾で学ばれているお母さん方で、子どもの不登校や子どもとの関係で悩まれている方は、読んだ方が良いと感じました。

しかし同時に、読むタイミングを誤るといけない本だとも思ったのです。


私は、そういう意味では、以前から所持していながら、これまで読んで来なかった理由が解ったように思ったのです。

捉え方を間違えると、間違った方向へ行ってしまう可能性が高い本だとも思ったのです。


やっと私の心が、素直に受け止められる状況になったことで、読むタイミングが巡って来たのだと感じた本でした。

その本を読み、私は子どもという立場では、間違い無く母の被害者だったのだと思ったのです。

しかし、同時に私に対しては加害者であった母も、子の立場になった時には被害者だったのだとも思ったのです。


母は、六人兄弟の長女ですが、戦争中に実母が家を追い出され、無理矢理実母と別れさせられ、戦後継母が現れ、10歳位年が離れた妹が生まれてからは、ずっと妹や弟の育児をやらされて来ていたようです。


私が小さかった頃、何度となく継母に対する恨み辛みを聞かされたことか分かりません。

それは丸で呪文のようでした。

祖母に対する恨み辛みを言う母のことが、嫌で嫌で堪らなかったのを覚えています。


私が小学生になった頃、母の実家である青森の北津軽に返ると、私と妹は実家に預けられ、母は一人隠れて実母に会いに行っていました。

私が一緒に行きたがっても、母は私に自分が実母に会いに行くことは内緒にするように言い聞かせ、一人で実母に会いに行きました。


私は、母が散々恨み辛みを言っていた継母に私たちを預け、自分一人が大好きな実母に会いに行く母の姿は、子ども心にも嫌でしょうがなかったのです。


私は、『母という病』という本を読んで、そんなことを思い出しながら、被害者としての自分のことよりも、母も被害者だったのだと、憐れに感じたのです。


『母という病』は、母性の負の側面が強く出た状況で育てられ、最初は被害者だった子どもたちが、次第に大人になり、子を持つことで今度は加害者になって行くという、連綿と続いて来ていて、誰かがその過ちに気づいて止めない限り、ずっと続いて行ってしまうものだと感じました。


私は、『母という病』を読了後、12月の課題図書を読み、そして、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』を読み始めました。

読んで直ぐに、野口先生が動画で話された、『意識と無意識の境界』の話しを思い起こし、「三島由紀夫は、正に無意識に凌駕されて自決したのだろう」と思ったのです。


そんな時、偶然、河合隼雄先生の『魂にメスはいらない』、『無意識の構造』、『影の現象学』という三冊の本に出会いました。


そして、三島由紀夫の本は途中にして、まずは『無意識の構造』を読んだのです。

そこには、数々の無意識の『元型』と夢の関係が書かれていました。


28日は、丁度その『無意識の構造』を読み終えた後でした。


私が目覚める直前に見た不思議な夢は、母との夢でした。

考えてみると、母が夢に出て来たのは、もしかしたら始めてかも知れません。


私は、夢の中で、ある30歳位の女性の『心構え』の試験受けをしていました。

私とその女性がテーブルを挟んで向き合って座っています。

試験を受けているのは、現在の私です。


30歳位の女性は、俯き加減で顔は見えません。

そして、女性は何も話しません。


しかし、試験を受けている私は、その女性は若かった頃の母だと感じ、母の懺悔の心の声が聞こえて来るのです。

そして、向き合っている私は、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と言い、互いに涙しているのです。


すると、30歳位の母は、いつしか35歳位の母になり、やはり同様に俯き懺悔しているのです。


そして、向き合っている55歳の私は、同じように、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と、再び言い、認めて受け入れているのです。


その言葉を聞き、母は涙を流し、その姿を見て私も涙しているのです。


そして本当の私は、試験受けをしている私の右斜め上方から、二人の姿を見つめて、『それでいい』と思っているのです。


右上方からそれを見つめている私は、冷静に若かりし頃の二人の母を見て、既に私自身が当時の母の年齢を上回り、今では娘のように思える様な年齢になっていることに気づいたのです。


必死に子育てをしていたであろう30歳と35歳の母を見つめている私は、母を親目線で見つめている自分に気づいたのです。


その時、目覚ましの音楽が鳴り、私は目を開けずに目覚ましを止め、瞼を閉じたまま、向き合った二人をしばらく俯瞰し続けました。

そして、目覚めていながらも、仰向けで瞼を閉じ、俯瞰し続けていた私は、突如涙が止めども無く溢れて来たのです。


その時、私はこれまでずっと、母に対してだけは、子の立場で居続けていたことに気づいたのです。


しかし、今の私から見れば、私の様な、きかん坊の5歳の男の子と2歳の女の子を抱えた30歳の一人の女性と考えた時、正しいとか間違っているとかではなく、ただその時出来ることを一生懸命にやって来たことには間違いはないのだと思ったのです。


そして、誰も悪くは無いと思ったのです。


私は、ずっと子の立場で甘え続けていたのは、自分だったのかも知れないと思ったのです。


この時の私は、一人の55歳の男として、30歳や35歳の一人の年下の女性としての母と向き合っていたのです。

まさか、夢の中とは言え、年下の母と会うことになるとは思ってもみませんでした。


もしかしたら、母とのことが一歩前進出来たのかも知れないと思いました。


また、無意識の中から浮かび上げって来ていた夢を、意識を持った状態のまま見続けた私は、こういうところが、野口先生が指摘する、『意識と無意識の境界線の弱さ』なのかも知れないとも思ったのでした。


(つづく)

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