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2020年1月25日 (土)

俺の道 ~阪神・淡路大震災編~ (5)

(5)天国から地獄

年が明けて俺がまずしたことは、ゴルファー保険の請求手続きだった。

そして、年末に持ち込んだ住宅ローンの審査を待って、審査が通り次第決済の段取りの予定だった。

住宅ローンの審査は、持ち込む前に事前審査で内定は取っていたので、心配はしていなかった。


1月末までには粗利で2,400万円、純利で約2,000万円が入る予定だった。

そして、住宅ローンの審査が下り、決済日の設定をしようとしていた時だった。

1月17日、阪神・淡路大震災が起きたのだった。


テレビで見た映像は衝撃的なものだった。

俺は、まずいと思った。


それまでにもマンションに対する地震のリスクには、それなりの営業トークで対応して来てはいた。

しかし、阪神・淡路大震災は、これまでにない規模の地震だったのだ。

業者間でも地震保険がどのような対応になるのか、正直なところ誰もわからない状況だった。


俺は、決済日を設定する為に顧客の二人とアポイントを取って面談したのだった。

案の定、契約していた二人の顧客からは、地震保険の行方がハッキリするまで、見合わせて欲しいと決済延期の申し入れをされたのだった。


キャンセルではなかったが、決済の延期は期日を特定出来なければ解約と同じだった。

本来は、住宅ローンの審査も終了し、物件引き渡し日も1月末日までとしていたので、買主理由の解約の場合は手付金放棄での解約となるのだ。


しかし、それをやってしまっては、その後が続かなくなることから、俺は手付金を全額返金し、解約の申し入れを受け入れたのだった。


当時の俺は、顧客を『エンドユーザー』ではなく、『エンドレスユーザー』という考え方をしていたのだ。

顧客になった人からは、必ず最低一人の紹介を貰っていたのだ。

それも、ワンルームマンションに興味がある人ではなく、一番の親友を紹介して貰うやり方だった。


当時の俺は、『買って頂いてありがとう』は当たり前だが、『買わせて頂いてありがとう』と言って貰える営業を心掛けていたのだ。

その為には、まず俺が顧客を大好きになることが重要だった。

そして、その為のポイントが、親友を紹介して貰うというやり方であったのだ。


更には、そういう人に紹介する物件は、相場より安い価格で提供しようと考えていたのだ。

この代官山のマンションも当時の相場としては、一戸3,000万円は下らない物件だったのだ。

それを俺は、一割以上安い2,700万円に設定したのだ。


この代官山のワンルームマンションは、最初は一戸2,200万円で売りに出て来た物件だった。

それを2戸同時購入を条件に、一戸当たり1,500万円まで叩いて購入したのだ。

それが出来たのは、この物件が『不良債権物件』だったからだ。


顧客に手付金を全額返金し、一旦解約することを決断した時の俺の心境は、『客を殺すか、俺が死ぬか二つに一つ』というものだった。

そして、俺が下した決断は、『客を殺すくらいなら、俺が死んでやる』というものだったのだ。


解約を受け入れたことで、俺の立場は、粗利2,400万円の入金予定から、一転して2,850万円の支払いをどうするかになった。

最終決済日は、3月15日だった。


俺は、それまでに他の見込み客に転売するか、さもなくば、2,850万円を用意しなければならなくなったのだった。


俺は、まず次に控えていた見込み客の全てに当たった。

しかし、阪神・淡路大震災の影響はあまりにも大きく、全ての見込み客は状況を見極めたいという現状だった。


この時点で、俺は覚悟を決めたのだった。

最悪は、俺の顧客30人から、一人100万円ずつでも、全員に土下座をしてでも融資を依頼して、三千万をかき集めるしかないと決めたのだった。


そして、それを行う為の時間は、一日三人として10日間必要だと考えた。

3月3日までに目途が立たなければ、そうするしかないと決めたのだった。


この時、最悪は150万円の手付金を放棄しての解約も可能だったのだが、俺の頭にはその選択肢は無かった。


俺が1,000万円以上も叩いて買った物件を、手付金を放棄しての解約というみっともない真似は、命に代えても出来ないことだったのだ。


当時はバブルが崩壊し、世間は住専問題で揺れていて、勢いのある不動産業者はほとんどいなかったのだ。

俺の代わりに、一時的に抱いて貰えるような業者も俺の周りにはいなかった。


そんな状況の中、独り即断即決で俺は対応し、取引業者から信用を得て来ていたのだ。

手付金放棄での解約などということは、俺のプライドが絶対に許さないことだった。


ましてや、これから食い込んで行こうと考えていた、宝の山の『整理回収機構』の物件だったのだ。

一度でもそんなことをしたら、二度と入って行くチャンスは無いと思ったのだった。


現状の見込み客への売却が困難なことを確認した上で、俺がまず最初に当たったのは、年末に大森の物件で融資を受けたTP社のY部長だった。


しかし、Y部長からは大森の物件で融資を受ける時に、次はこの大森の売却が終わってからだと言われていたので、可能性はかなり低いと思っていた。


ダメで元々だった。

俺は、TP社へ訪問しY部長に相談したのだが、あっさりと断られたのだった。


次に打った手は、俺の会社へ出入りし、フルコミッションの様な形で動いていた仲間への売却依頼だった。

当時俺の会社では、正社員は雇っていなかったが、複数の大手マンション販売会社の社員で成績優秀な奴等を何人か囲っていたのだ。


大手販売会社の社員は、数字を上げてもボーナス査定に多少の影響をするだけで、基本が固定給のため、ノルマを達成している時は、手持ちの客に裏のバイトで販売したがるのだ。

昨年話題になった闇営業みたいなものだ。


不動産業界というものは、そもそもがアウトソーシングの世界で、全て手数料で動く一匹狼的人材が多いのだ。

俺の事務所には、そういう輩が数人いつも集まって来ていたのだ。


俺は、その仲間たちにも報酬を上乗せして売却依頼をしたのだが、マンション販売最大手のD京のトップセールスでさえも、阪神・淡路大震災の影響にはお手上げ状態だったのだ。


2月に入り、俺に残された時間は1ヶ月を切ったのだった。

俺はあらゆる手を考えて行動したのだが、正攻法ではどうにもならなかったのだ。

俺の苦悩の日は続いたのだった。


(つづく)

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