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2020年2月 7日 (金)

俺の道 ~自立編Ⅰ~ (26)

(26)日給15,000円への道

1982年1月30日朝、無事Y本さんの元を卒業した俺は、Y本さんちからの帰り道に東建に寄ってN谷社長の元に行ったのだった。

N谷社長は顔をほころばせ、「良く頑張った」と俺を迎えてくれた。


そして、2月から運転手のSさんと、新たに入った運転手のN村さんの二人が交代で運転手になり、俺が助手として通しでやっちゃ場仕事をすることになったのであった。


期間はみかんの季節が終わる3月末までの二ヶ月間だけだった。


そして、この時俺は、N谷社長に耳打ちされたのだった。


やっちゃ場仕事の間は、日給を15,000円にしてやると。

そして、運転手は12,000円だから、絶対に誰にも言うなと釘を刺されたのだった。


こうして俺の給料は、入って1年経たずに、当初5,500円からスタートしたものが15,000円と約3倍近くになったのであった。


そして、この日と翌日は休みを貰い、2月1日からSさんとN村さんの運転手二人とやっちゃ場仕事をやることになったのであった。

俺はSさんに声を掛け、2月1日は15時に出発出来るように待ち合わせをしたのだった。


そして、俺はその足でトーケンに向った。

目的は、樹々のマスターでもあるYちゃんにあるお願いをするためであった。


トーケンに顔を出すと、約一ヶ月振りだったことで、まだ出発せずに残っていたみんなから声が掛かった。

しかし、俺の目的のYちゃんは既に出ていていなかった。

俺は一度帰宅し、夕方から樹々に飲みに行くことにしたのだった。


俺は帰宅し、いつも通りビールとウィスキーをストレートで飲んで、15時に目覚ましをセットして眠りに就いたのだった。


この頃は、俺が寝る10時前後は、外が煩くて酒を飲まずには眠れなかったのだ。

当時飲んでいたのは、ビールはキリンの一番搾りの大瓶と、ウィスキーはサントリーレッドのジャンボボトルだった。


15時に起きた俺は、直ぐに銭湯に行ったのだ。

一ヶ月振りの銭湯だった。

これまでの一ヶ月は、Y本さんちでのシャワーだけだったから、銭湯の湯船はことさら身に沁みたのだった。


銭湯を終えた俺は、直ぐに樹々に向った。

俺がYちゃんにお願いしようと考えていたことは、シャワーだった。

やっちゃ場仕事の間、仕事が終わった後、Yちゃん家に寄らせて貰ってシャワーを借りようと思っていたのだ。


俺は、トーケンに寄らずに真っ直ぐに樹々に行った。

17時過ぎ、俺はその日樹々の一番客で飲み始めたのだった。

そして、Yちゃんが戻る前、先にママにシャワーの相談をしたのだった。


ママは、Yちゃんが良ければ、私は良いわよと言ってくれたのだった。

18時過ぎ、Yちゃんはトーケンの仲間数人と帰って来た。


Yちゃんは、俺が先に来ていたのを見て喜んでくれた。

俺は、Yちゃんには直ぐに相談しなかった。

帰ってばかりで疲れている所で、直ぐは悪いと思ったのだ。


すると、そこへママが助け船を出してくれたのだった。

ママはYちゃんに、俺がやっちゃ場仕事の間、朝シャワーを借りたがっていることを話してくれたのだ。

Yちゃんは、快くO.Kしてくれたのだった。


俺は、これでやっちゃ場仕事に集中するための環境を整えられたのだった。

そして、この日は久し振りにみんなとしこたま飲み、久し振りの休日を堪能したのであった。


(つづく)

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