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2020年2月 6日 (木)

俺の道 ~自立編Ⅰ~ (25)

(25)男の勲章

やっちゃ場の仕事に就いて一週間もすると、俺は積み込み作業にも大分慣れて来ていた。


上の段の四個持ちも出来るようになっていたし、足場作りの中指一本持ちも出来るようになっていた。

Y本さんに代わって伝票選びも任されていた。


そして、2週目に入ったある日、それまではY本さん一人が運転し、俺と弟さんの二人が助手だったのが、弟さんも自分のトラックを出して来て、二台になったのだった。


それまでの俺は、てっきり弟さんは助手専門で、兄弟でやっているものだとばかり思っていたのだが、Y本さんも弟さんもそれぞれが自分のトラックを持っていて、いつもは二人で二台のトラックを使い、役割分担をしてやっていることを知ったのだった。

俺を仕込む為にやり方を変えてくれていたのだ。


二台になってからは、始めの1回目は三人で積み込み、Y本さんと俺の二人で下ろしに行き、その間弟さんは一人で二台目の積み込みをする形になった。


その為、遠場はやらずに近場と中間距離の市場の選択に集中したのだった。


俺はY本さんと二人で下ろしに向い、帰ってくると積み込みが終わったもう一台に乗り換えて再度下ろしに向かった。

戻って来て、まだ積み込みが終わっていない時はそれを手伝い、そしてまた下ろしに向った。

それまでは一日3回だった市場への往復が、一日4~5回に増えたのだ。


普段は、このやり方で、Y本さんと弟さんの二人で役割分担してやっているとのことだった。


ある日、その日のラストが神田市場で、下ろしの作業が6時までに終わらなかった。

その時は、下ろしが終わっても、市場に入って来る人の数が多く、トラックを動かす事が出来なくなったのだ。


俺とY本さんは市場から出られない状況になった。

俺たちは諦め、トラックの中で人が引くまで仮眠するしかなかったのだった。

市場を出られたのは9時過ぎになった。


この時初めて、6時までに下ろしの作業を終わらせ、直ぐに市場を出ないと、市場は入って来る人で一杯になり、出られなくなってしまうことを思い知らされたのであった。


一ヶ月近くもすると、俺は潮留の貨物駅構内では顔になっていた。

伝票の取り合い、トラックの貨物への横付け競争など、先を争うことには負けなかった。


この仕事を始めての一番の驚きは、身体が真っ黄色になっていることだった。

毎日昼夜逆転の生活で太陽に当たらず、みかんばかり食べていたら、地黒の俺の身体が黄色になっていたのだ。


俺はこの時、みかんを食べ過ぎると黄色くなると言うのが本当だったのだと思ったのだった。


更には、この当時、俺の右腿は痣で真っ青になり、寝ている時は両手の中指がピクピクと痙攣していたのだった。


右腿が痣になるのは、みかん箱を四個持ちして走ると、右腿に箱の角が当たって、知らない内に痣になっているのだった。


俺は職業病だと思った。

そしてそれは、嫌な気分では無く、何か誇らしくもあったのだ。


身体が黄色いのも、右腿の痣も、中指の痙攣も、俺にとっては勲章みたいなものだったのだ。


俺は、Y本さんのお世話になった一ヶ月間を正月の三が日以外は無休で無事にやり抜いたのだった。

そして、Y本さんから無事卒業することとなったのであった。


(つづく)

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