気づき

2020年1月10日 (金)

自己実現塾 2 ~12月期~ (4)

(4)自己受容の真の意味

私がこの『自己実現塾』を受講した動機は、『私とご縁があってこれまでに付き合って来てくれている方々や、これから出会って行く方々に、「共感や受容」という形で、何かを与えられる自分になって行きたい』という想いが原点です。


そして、その目的は、私がこれまでの経験や体験の中で気づいて来たことを、自分の感覚として捉えているだけではなく、もっと論理的に自分自身が理解し、きちんと自分の言葉で伝えられるようになることなのです。


その為には、言葉を知り、表現方法の幅を広げることだと思ったのです。


私は、自己実現塾コミュニティフォーラム内の『晴太老の部屋』へ、12月27日に年末最後の投稿をしました。

そして、その中で、『自己受容の真の意味、みたいなものに気づき始めたこと』を書きました。


私は、ブログを始め、そして自分の過去を小説風に書くことで、子どもの頃の自分の感情というものに初めて気づきました。


しかし、大人になってからの自分をよくよく振り返って考えてみると、その場その場における『自分の感情』というものは、発散はしてきていても、日常の忙しさや慌ただしさに流され、きちんと感じたり、向き合ったりはして来なかったように思うのです。


ある意味、感じるべき感情をきちんと感じないまま過ぎ去って来たように思うのです。

単純に嬉しがったり、楽しがったり、悔しがったり、怒ったりなどはして、表層的には感じてはいても、本質的な感情に関しては、ほとんどが我慢したり、耐えたりして来ていたのではないかと思ったのです。


そう考えた時、人は、そもそも自分の感情を理解しているのだろうか?という疑問が湧きあがって来たのです。


そして、人は、なぜ他者に解って貰いたいと思うのだろうか?

自分の気持ち、感情とは、一体何なのだろうか?

人は、なぜ気持ちを解って貰いたいのに、出来事ばかり話すのだろうか?


私は、ずっとそんなことを考え続けて来ていたところがあったのです。

そして、ふと、思ったのです。


もしかして、一番解っていなければいけない自分自身が、実は一番解っていないのではないか?

それは、自分の感覚では捉えていても、言葉にして理解していないということなのではないだろうか?

言葉で理解出来ていないから、言葉で伝えられないのではないか?


他者に解って欲しい気持ちとか感情は、どちらかというとネガティブな感情なのではないか?

辛い、悔しい、悲しい、寂しい、侘しい、虚しい、残念、がっかり、惨め、恥ずかしさ、照れくささ、情けなさ、無力感、孤独感、罪悪感、嫌悪感、挫折感、劣等感、不満、屈辱、後悔、恨み、憎しみ、嫉妬、軽蔑、恐怖、不安、苛立ち、憂鬱などなど。


そして、ある出来事で自分が傷ついたことは解っていても、どのように傷ついているのか、どのくらい傷ついているのかは、感覚的には解っていても、実際の所は解っていないのではないだろうか?

だから、他者に解って欲しいと思うのではないだろうか?

解って欲しいという思いは、教えて欲しいという想いでもあるのではないだろうか?


特に、その傷の大きさや深さなどのサイズ感が自分では解らずに、解って欲しいと思うのではないだろうか?

自分では感覚的には解っていても、言葉で解っていないから、それを知りたくて、教えて欲しくて、だから解って欲しいと思うのではないだろうか?


もし、自分の感情をきちんと自分の言葉で理解し、言葉で表現出来たとしたら、逆に他者に解って貰う必要は少なくなるのではないだろうか?


自分にとって一番身近な存在である自分自身が、自分の味方として理解してあげることなのではないだろうか?


要は、自分の感情を感覚だけでは無く、自分自身が言葉で理解し、言葉で表現出来るようになることが自己受容の本質なのではないだろうか?


自分自身の感情をきちんと言葉で理解し、言葉で表現出来れば、他者の気持ちも言葉で理解し受け止められ、それを言葉で教え、気づかせてあげることも出来るのではないだろうか?


それが、『自己受容出来るようになれば、他者受容も出来るようになる』ということなのではないだろうか?


自己受容とは、自分の感情を一旦抑圧し、自分の中でしっかりとその感情を自分の言葉で理解すること。

自分の言葉で理解するということは、自分自身を抱きしめるような感じなのではないだろうか?

そして、自分の感情を理性的に自分の言葉できちんと伝えられるようになること。


それが、精神的に『大人になる』ということなのではないだろうか?

それこそが、『自我の確立』ということなのではないだろうか?


不思議な感覚の母の夢を見て、私は年末の最後にそんなことを考えていたのでした。


自己実現塾 2 ~12月期~  (了)

2020年1月 9日 (木)

自己実現塾 2 ~12月期~ (3)

(3)不思議な夢

12月28日の朝、私は目覚める前に不思議な夢を見ました。

それは、『意識と無意識の境界』を感じる様な夢でした。


私は、4~5年前から持っていて、読みたいと思っていながら読めていない本が二冊ありました。

一冊は、『母という病』。

もう一冊は、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』というものでした。


私は、11月の下旬頃から、『母という病』を読みました。

そこには、グレートマザーに憑依された症例が沢山記載されていました。


私は、読みながら、自己実現塾で学ばれているお母さん方で、子どもの不登校や子どもとの関係で悩まれている方は、読んだ方が良いと感じました。

しかし同時に、読むタイミングを誤るといけない本だとも思ったのです。


私は、そういう意味では、以前から所持していながら、これまで読んで来なかった理由が解ったように思ったのです。

捉え方を間違えると、間違った方向へ行ってしまう可能性が高い本だとも思ったのです。


やっと私の心が、素直に受け止められる状況になったことで、読むタイミングが巡って来たのだと感じた本でした。

その本を読み、私は子どもという立場では、間違い無く母の被害者だったのだと思ったのです。

しかし、同時に私に対しては加害者であった母も、子の立場になった時には被害者だったのだとも思ったのです。


母は、六人兄弟の長女ですが、戦争中に実母が家を追い出され、無理矢理実母と別れさせられ、戦後継母が現れ、10歳位年が離れた妹が生まれてからは、ずっと妹や弟の育児をやらされて来ていたようです。


私が小さかった頃、何度となく継母に対する恨み辛みを聞かされたことか分かりません。

それは丸で呪文のようでした。

祖母に対する恨み辛みを言う母のことが、嫌で嫌で堪らなかったのを覚えています。


私が小学生になった頃、母の実家である青森の北津軽に返ると、私と妹は実家に預けられ、母は一人隠れて実母に会いに行っていました。

私が一緒に行きたがっても、母は私に自分が実母に会いに行くことは内緒にするように言い聞かせ、一人で実母に会いに行きました。


私は、母が散々恨み辛みを言っていた継母に私たちを預け、自分一人が大好きな実母に会いに行く母の姿は、子ども心にも嫌でしょうがなかったのです。


私は、『母という病』という本を読んで、そんなことを思い出しながら、被害者としての自分のことよりも、母も被害者だったのだと、憐れに感じたのです。


『母という病』は、母性の負の側面が強く出た状況で育てられ、最初は被害者だった子どもたちが、次第に大人になり、子を持つことで今度は加害者になって行くという、連綿と続いて来ていて、誰かがその過ちに気づいて止めない限り、ずっと続いて行ってしまうものだと感じました。


私は、『母という病』を読了後、12月の課題図書を読み、そして、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』を読み始めました。

読んで直ぐに、野口先生が動画で話された、『意識と無意識の境界』の話しを思い起こし、「三島由紀夫は、正に無意識に凌駕されて自決したのだろう」と思ったのです。


そんな時、偶然、河合隼雄先生の『魂にメスはいらない』、『無意識の構造』、『影の現象学』という三冊の本に出会いました。


そして、三島由紀夫の本は途中にして、まずは『無意識の構造』を読んだのです。

そこには、数々の無意識の『元型』と夢の関係が書かれていました。


28日は、丁度その『無意識の構造』を読み終えた後でした。


私が目覚める直前に見た不思議な夢は、母との夢でした。

考えてみると、母が夢に出て来たのは、もしかしたら始めてかも知れません。


私は、夢の中で、ある30歳位の女性の『心構え』の試験受けをしていました。

私とその女性がテーブルを挟んで向き合って座っています。

試験を受けているのは、現在の私です。


30歳位の女性は、俯き加減で顔は見えません。

そして、女性は何も話しません。


しかし、試験を受けている私は、その女性は若かった頃の母だと感じ、母の懺悔の心の声が聞こえて来るのです。

そして、向き合っている私は、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と言い、互いに涙しているのです。


すると、30歳位の母は、いつしか35歳位の母になり、やはり同様に俯き懺悔しているのです。


そして、向き合っている55歳の私は、同じように、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と、再び言い、認めて受け入れているのです。


その言葉を聞き、母は涙を流し、その姿を見て私も涙しているのです。


そして本当の私は、試験受けをしている私の右斜め上方から、二人の姿を見つめて、『それでいい』と思っているのです。


右上方からそれを見つめている私は、冷静に若かりし頃の二人の母を見て、既に私自身が当時の母の年齢を上回り、今では娘のように思える様な年齢になっていることに気づいたのです。


必死に子育てをしていたであろう30歳と35歳の母を見つめている私は、母を親目線で見つめている自分に気づいたのです。


その時、目覚ましの音楽が鳴り、私は目を開けずに目覚ましを止め、瞼を閉じたまま、向き合った二人をしばらく俯瞰し続けました。

そして、目覚めていながらも、仰向けで瞼を閉じ、俯瞰し続けていた私は、突如涙が止めども無く溢れて来たのです。


その時、私はこれまでずっと、母に対してだけは、子の立場で居続けていたことに気づいたのです。


しかし、今の私から見れば、私の様な、きかん坊の5歳の男の子と2歳の女の子を抱えた30歳の一人の女性と考えた時、正しいとか間違っているとかではなく、ただその時出来ることを一生懸命にやって来たことには間違いはないのだと思ったのです。


そして、誰も悪くは無いと思ったのです。


私は、ずっと子の立場で甘え続けていたのは、自分だったのかも知れないと思ったのです。


この時の私は、一人の55歳の男として、30歳や35歳の一人の年下の女性としての母と向き合っていたのです。

まさか、夢の中とは言え、年下の母と会うことになるとは思ってもみませんでした。


もしかしたら、母とのことが一歩前進出来たのかも知れないと思いました。


また、無意識の中から浮かび上げって来ていた夢を、意識を持った状態のまま見続けた私は、こういうところが、野口先生が指摘する、『意識と無意識の境界線の弱さ』なのかも知れないとも思ったのでした。


(つづく)

2020年1月 8日 (水)

自己実現塾 2 ~12月期~ (2)

(2)習慣力を付ければ心の器は育まれるのか

今回の課題図書だった『プロフェッショナルの習慣力』を読んでの私の感想は、特に目新しい内容は感じられず、単にこれまでの自分の行動に対する考え方の確認という感じで、正直物足りなさを感じていました。

ただ、今月の課題は、全体の流れの中の一部だと思い、『心が行動を変え、行動が心を変える』という言葉がある通り、先月は心から入り、今月は行動から入ることを教えて頂いているのだと思っていました。


しかし、正直なところ、私の中では、何か腑に落ちないものがずっと付いてきていました。

そして、それが何なのか、私の中ではそれがある程度分かっていながらも、ハッキリさせることをどこかで避けているようにも感じていました。


12月も下旬になってから、私は何故か野口先生の動画から録音した音声を、風呂に入りながら何度となく聞いていました。

そして、野口先生が動画の最後にまとめで話した言葉。


「心の容器をしっかり作ることが先決ですよ」

「心の容器を作ることが自己受容力を高めることにもなるし、自分づくりにもなりますよ」

「そして、心の容器を作る為には、外的な容器としての生活の中の枠組み、そういったものが大切なんです」


私は、野口先生の言うことが間違いだとは思いませんでした。

しかし、逆説的に、『では、生活の中の枠組みをしっかりさえすれば、必ず外的な容器が作られ、心の容器はしっかりしたものになるのか?』という疑問がハッキリと見えてしまったのです。


そして、その答えは、『ノー』だと思ったのです。

それは、私がこれまでにやって来たことや、両親の行動からも分かることなのでした。


私は独立して直ぐ、事務所に神棚を作り、毎朝手を合わせていました。

そして心の中では、こう願っていたのです。

「私は、私が正しいと思ったことを行っていきます」

「私の行動に間違いが無い時は力を貸して下さい」

「しかし、どんなに私が正しいと思っていても、大きな目から見たら間違っていることもあると思います」

「その時は、事を上手く運ばせないようにして下さい」


また、私の母は、毎日朝昼晩の三回、仏壇に向って『般若心経』を唱えています。

父が亡くなってからは、宗教活動は止めたようでしたが、お祈りだけはずっと続けて来ているのです。

朝起きる時間、起きてからやること、そして食事時間や寝る時間など、全て決まり切った行動をしていて、丸でロボットのようなのです。

人に合わせるということを全くしないのです。


私が離婚後に後悔と自責の念に苛まされていた時、 『般若心経』を唱える声や鐘の音が耳触りで、止めて欲しいと言っても、『貴方のため』という偽善の言葉で止めなかったのです。


私は小学生の中頃位までは、母の事は好きだったのです。

友だちの母親と比べて、私の母親は綺麗だとも思っていました。

しかし、小学生の高学年位から徐々に好きではなくなって行き、気がついた時には大嫌いになっていたのです。

そして、母の干渉から逃れるために、16で高校を中退し家を出たのです。


しかし、27で父が亡くなってから、その後私が経済的に面倒を見るようになりました。

6年前に同居を開始し、母との同居がきっかけで離婚したのです。


私は、心の中では何度も早く死んで欲しい、早く私の目の前からいなくなって欲しいと思って来ているのです。

母は、私自身の嫌なところや大嫌いな自分の象徴のような存在なのです。


一昨年の気づきで、全ての人を許せる気持ちが持て、自殺した父のことも許す事が出来、父の愛を感じることも出来たのに、唯一母だけは、頭では許せても、感情的には許せていない自分がいるのです。


理性的には、感謝もし、許せてもいるはずなのに何故なのか・・・。

私の中での最大の壁であり、闇みたいなものなのです。

私は、この問題を解決する為に、なぜ私がそこまで母の事を嫌悪するのかが自分でも解らず、『退行催眠』みたいなものを受けてみることを考えたこともありました。


そういう母を常に見ているせいなのか、野口先生が教える『習慣』を作れば、『心の器が強くなる』という考え方に疑問が生じていたのです。


しかし反面、私も研修の中では、『考え方ややり方』を変えるためには、それが無意識で出来るようになるまでやり続けなければいけない、習慣化するまでやり続けることが大切なのだと話し、その覚悟を『心構え』として確認しているのです。


そう考えた時、大切なのは、『習慣を作れば、心の器が強くなる』ということではなく、『習慣を作る』、あるいは、『生活の中の枠組みをしっかり作る』のは、何故なのか?という、明確な目的意識が無いといけないのではないかと思ったのです。

そして、『心の器を育む』こと、『心の器を強くする』ことは、目標ではあっても、目的ではないと思ったのです。


あくまでも目的は、『自我の確立』であり、『自己実現』なのです。


他の受講生のみなさんが、そこのところをどの様に捉えられているのかは、私にはわかりません。

しかし、私の中で腑に落ちなかった部分は、目標が目的化しているように感じていたところだったと気づいたことでした。


そして、この『目標の目的化』こそが、人を『幸せ』から遠ざけてしまう原因なのではないのか?

私自身の過去を振り返った時、そう感じずにはいられないのでした。


(つづく)

2020年1月 7日 (火)

自己実現塾 2 ~12月期~ (1)

(1)外的な器を構築する理由

自己実現塾2ヶ月目のテーマは、『心の器を育む』というものでした。

前月の『心の安全基地を強化する』ということについては、まず、人間には、『防衛機制』という、生まれながらにしての守りの機能が備わっていて、人は無意識に自分の心を守っていることを教わりました。

そして、その守り方が健康的なら良いのですが、健康的ではない守り方の場合は、自分を傷つけたり他者を傷つけたりしていることになっていることを教えられたのです。


その健康的ではない、本能的な守り方のことを、『アクティングアウト』と言い、その中でも特に健康的ではないのが、『躁的防衛』というものでした。


これらのことを知ることにより、まず自分がどうなのかを知ることから始まりました。

私は、アクティングアウトを知ったことで、多くの気づきを得ることが出来ました。

自分自身の過去の行動や考え方の理由が解ったのです。


自分の中での『なぜ?』に対する理由が解ったことは、私にとってはとても意味のあるものでした。


そして、アクティングアウトをしている場合、その理由は、『心の守り』が弱く、それを強化する必要があるとのこと。

その為には、『健康的な守り方』を知り、健康的な守り方を身に付けて行くことで、徐々に健康的ではない守りを手放して行く方法を教えられました。


私自身は、既にこの数年間の中で、『アクティングアウト』や『躁的防衛』という言葉を知りませんでしたが、善い言葉を身に付けて行く事や、日常の中で身に付けて来た習慣で、知らない内に自然と『心の安全基地』を少しずつ強化して来たのだと思いました。


ただ、私の『心』の問題は、多分相当根が深く、まだたまに強烈なアクティングアウトをしてしまう時があるのが現実です。


9月の酒席の場でそれが出てしまい、翌日は自己嫌悪に陥ったりしていました。

当時はまだ、『アクティングアウト』を知らなかったので、それまでは単なる自分の酒癖の悪さだと思っていたのです。

しかし、『アクティングアウト』を知り、この2ヶ月間の学びの中で気づいて来たことも合わせての対処法もいくつか見つかったので、今後は更に減らして行けるのではないかと思っています。


また、自分自身の『なぜ?』が解ったことで、他者に対する『なぜ?』も理解出来るようになり、これまで受け入れられなかった他者の言動も受け入れられ、他者に対して寛容になれそうな気持ちにもなりました。


以上のように、11月は、『心の守り方』という内側からの観点で学びました。

それに対して2ヶ月目の12月は、『心の器を育む』ということをテーマに、その育み方を学びました。

そして、育み方の前に、まずは、『心の器』とは何なのかということから始まりました。


『心の器』は、『心的容器』とも言われ、ユング博士は、『心の子宮』と言ったそうです。

『心の器(心的容器)』とは、『自分の感情を一旦抱えて、自分で何とかする為の器』だそうです。

ただ、感情と言うものをずっと自分で抱え続けなければいけないと言う意味ではないとのことです。


例えば、悲しみの感情を一旦抱えて、自分で何とか出来そうだと思えば日記に書いたり、一人で抱えるにはきついから友だちに聞いて貰うとか、特にきつい感情は、お金を払ってプロの心理カウンセラーに聞いて貰うとかの選択があるとのことです。


いずれにせよ、抱え続ける必要はないのですが、一旦自分で抱えてその感情をどう扱うかを決めることが出来るとしたら、心の器がかなりしっかりしていると言うことでした。


心の器が弱いうちは、適切な選択をする間もなくアクティングアウトに漏れ出てしまうのだそうです。


また、心的容器は、自分の体験や気づきを納める容器でもあり、心の葛藤を納める容器でもあるとのことです。

自分の体験や気づき、葛藤、相矛盾する気持ち、それらを一旦納めて熟成させ、自分の宝に変えて行く、自分の血肉に変えて行く、そういう器でもあるとのことです。


心の器が脆弱ということは、自我の確立が出来ていない状況とのことです。

そして、心の器が脆弱な時の特徴として3つ教えられました。


1.アクティングアウトしやすくなる


アクティングアウトしやすくなるのは、健康的な守り方である『抑圧』が出来ないからだそうです。

私自身は、『抑圧』というと、逆に自分を抑えつける様なイメージで、あまり『良いもの』と捉えていなかったのですが、抑圧も防衛機制の一つだそうです。

心理学では『抑圧』という言葉の意味を、『湧き上がってくる感情にフタをして、それを無意識下に押しとどめ、意識の邪魔をしないようにすること』だそうです。

抑圧がきちんとできないと、湧き上がってくる感情に翻弄されまくることになり、頻繁にアクティングアウトすることになるのだそうです。


ただ、抑圧ばかりしていたら、無意識下に抑圧された感情は、どんどん蓄積していき、それを抱えること自体がストレスになり、アクティングアウトや病気とかの身体症状として表面化することもあるので、大切なのは、抑圧と解放のバランスとのことでした。

そして、抑圧する力をつけるための方法として、外的な器(枠組み)を整えることが大切とのことなのです。


2.境界線が弱い(あいまい)


境界線の弱さは、『他者と自分の境界』、『意識と無意識の境界』の二種類があるとのことです。

『他者と自分の境界』の弱さは、他者から侵入されるし、自分が侵入してしまうのだそうです。

そして、自分が侵入してしまうケースで多いのが、過保護や過干渉とのことです。


これには、私も思い当たる部分は多分にありました。

過保護ではないと思うのですが、過干渉ではあると思うのです。


最近は、息子に対しては大分境界線が引ける様になって来たとは思いますが、他者に対してはまだまだだと思います。

特に、男女を問わず好きになった人に対しては、より過干渉になってしまう傾向があると思います。


好きではない人、どうでも良い人に対しては、逆に鉄壁のような態勢になるのに、好きな人には良かれと思って過干渉になってしまうのです。

それが、境界線の弱さということだと思ったのです。


意外だったのは、『意識と無意識の境界』でした。

これまで、そんなことは考えたことが無かったからです。


『意識と無意識の境界』が弱いというのは、『夢』や『妄想』に振り回されることだそうです。


『夢』に関しては、振り回されるとまでは考えていませんが、潜在意識からの何らかのメッセージの可能性はあるという捉え方をして来ていました。

また、『妄想』に関しては、『関係妄想』、『被害妄想』、『注察妄想』、『恋愛妄想』などがあるのだそうですが、私の場合は、『関係妄想』の傾向が強いように思いました。


『妄想』は、過去経験していることをベースに考えてしまうことで、無意識の中に自分が過去繰り返して来た考え方のパターンや思考のパターン、自分が馴染んで来たイメージのパターンがあり、それらが意識の中に浮上して来ているのだそうです。


境界線がしっかりしていれば、無意識のパターンに凌駕されるのではなく、目の前の現実を冷静に認識し、現実を吟味して、思い込み、妄想だったと抑圧することが出来るとのことです。

逆に境界線が弱いと、妄想に乗っ取られて、妄想を現実のように思ってしまうのだそうです。


私の場合は、妄想に乗っ取られるまではいきませんが、やはり思い込みや決めつけの強い所はかなりあるので、境界線が弱いのだと思いました。

ただ、この『妄想』に関しては、『洞察力』や『想像力』との関係が私としては少し気になる所でした。


そして、『他者と自分の境界』と、『意識と無意識の境界』は連動していて、どちらかが弱いと両方弱くなり、どちらかが強くなれば、両方強くなるのだそうです。


他者との接点が比較的少ない私としては、今後、『意識と無意識の境界』を意識して、『妄想』や『思い込み』を抑圧するようにして行こうと思いました。


3.秘密を持てない


この『秘密を持てない』というのは、『誰にでも自己開示してしまう』ことだそうです。

これに関しても、私は結構該当すると思ったのですが、反面、もの凄く秘密主義な部分もある為、はっきりと分からない部分ではありました。


私の自己開示の傾向は、子どもの頃に親から、『嘘や誤魔化しがいけないこと』として、叩きこまれたせいもあるかも知れず、ある意味『バカ正直』なのです。

『嘘をつくこと』と、『聞かれてもいないことを自ら言うこと』の違いをきちんと把握出来ていないのだと思いました。


離婚前の私は、隠し事はせずに何でも相手に伝えていました。

きっと言わなくても良いこと、相手としては聞きたくないことまで聞かされていたのかも知れないと思いました。


ただそれは、今思えば、私の中で抑えておくことが出来ずに、自分の気持ちを楽にしたかっただけなのかも知れないとも思います。

そう考えると、『心の器』の小ささと弱さを感じました。


『秘密を持つこと』と、『嘘をつくこと』の違いをしっかり認識しておかないと、混同してしまうのだなと思ったのです。


そして、大切なのは、まずはしっかりした器を作り、蓋を閉められるようにすることで、これが『自我の確立』であり、それがある程度進んだら、自分の感情を解放するのだそうです。


要は、感情は抑圧と解放のバランスでコントロールするものだということだと思いました。

そして、その順番が大切で、抑圧せずに解放ばかりしているのはアクティングアウトになってしまい不健康である為、しっかり抑圧出来るようにしてから、安全に解放するようにすることが大切だとのことでした。


その為にまず必要なのが、心の器を育み、しっかりと蓋を出来るようにすることなのだそうです。


そして、心の器(内的な器)をしっかりとしたものにする為には、外的な器を構築することが大切で、それは生活環境の中にしっかりした枠組みやルールなどをきちんと作り、生活にリズムや秩序を取り入れることと教えられたのです。


そして、12月の課題図書は、森本貴義著書の『プロフェッショナルの習慣力』というものでした。


(つづく)

2019年12月 3日 (火)

自己実現塾 1 ~11月期~

◆ アクティングアウト

自己実現塾1ヶ月目のテーマは、『心の安全基地を強化する』というものでした。

まず、自己実現のためには、『自我の確立』が必要。

そして、『自我の確立』とは、『自分づくり』であり、それは、自分という人間の基礎を固めること。


建物に例えると、『自我の確立』とは、建物の『基礎』であり、『自己実現』は、その上に建つ『建物』だそうです。


しかし、人の心は、建物のように基礎と建物がハッキリと区別出来るものとは違い、『自我の確立』は、ここまで行けば完了というラインは無く、一生掛けて取り組んで行くテーマだとのことです。

私の中のイメージとしては、『自我の確立』に取り組み続けることで、より大きくしっかりした基礎が出来れば、その上に建つ建物も、より大きく立派なものが建てられる、というものです。


その『自我の確立』の為のキーとなるものが、『自己受容』とのことです。

そして、『自己受容』の為に大切なのが、自分の心の中に安全な領域を確保すること。

安全領域を確保し、安心感を育むこと。


それは、『心の安全基地』を確立すること。

そして、心の安全基地を強化していくことが大切で、それは、『守り』を強化していくということ。


なぜ、守りを強化する必要があるのか?


人間には、『防衛機制』という、生まれながらにしての守りの機能が備わっていて、人は無意識に自分の心を守っているのだそうです。


そして、その『無意識の守り』が、『自分を傷つける守り方』だったり、『相手を傷つける守り方』の健康的ではない守り方と、建設的で健康的な守り方があるとのことです。

そして、健康的ではない守り方の場合は、他の健康的な守り方を身につけていくことが必要だとのことなのです。


その健康的ではない、本能的な守り方のことを、『アクティングアウト』と言うのだそうです。


私は、この言葉を知りませんでした。

そして、野口先生の話を聞けば聞くほど、納得させられたのです。


アクティングアウトとは、『自分では抱えきれない感情や葛藤を行動や態度にして表すこと』。

それは、行動や態度で表すことで、自分の気持ちをまぎらわしているのだそうです。


その最もたるものが、『怒り』の感情。

『怒り』とは、『第二感情』といい、怒りの前に本来の『第一感情』があるのだそうです。


その第一感情は、惨めさ、悲しさ、虚しさ、寂しさ、劣等感、不安感、無力感などだそうです。

それらの感情を真正面から受け容れることは、よほど心が強くないと出来ないとのこと。


自分の心を守るために『仮想敵』をつくり、本来の第一感情を、『怒り』という第二感情にすり替えているのだそうです。

『怒り』を相手にぶつけることで、本来の自分の感情に直面せずに済んでいるのだそうです。


『怒り』の感情自体が『守り』であり、本来直面しなければならない耐えられない気持ちから、気持ちを逸らしてくれる守りの機能なのだそうです。


『怒り』を相手に向けて何らかの行動や態度で出すとしたら、それはアクティングアウトであり、自分の心を守っているのだそうです。


相手に向けたアクティングアウトとは、相手に向けて怒りの言葉をぶつけたり、批判したり、責めたり、無視したり(態度)など。更には、人ではなく物に当たるのも同じです。


自分に向けたアクティングアウトとは、ヤケ食い、過食、飲み過ぎ、浪費、買物依存、ギャンブル依存、リストカット、自傷行為など。


これらは、全てアクティングアウトなのだそうです。


そして、アクティングアウトの中でも、特に不健康な守り方が、『躁的防衛』といわれるものです。

躁的防衛とは、高揚感によって、本来自分が持っている感情を紛らわす心の守り方で、依存傾向が強くなる守り方だそうです。

アルコール過多、買物依存、ギャンブル依存などが該当し、躁状態を無理して保とうとすると、極度の落ち込み、行きすぎた自己嫌悪、依存症など、その反動があるとのことです。

それと、11月下旬に見た別の動画では、ワーカーホリック、不倫なども躁的防衛だと話されていました。


野口先生は、それらの内容をいくつもの例え話で分かり易く教えてくれました。

そして、『自分に当てはまる』と思っても、それが良くないという話ではなく、『今の自分には守りが必要なんだ』、『自分はそうやって守っているんだ』ということを、しっかり受容することが大切だと話されたのです。


人間は、誰もが皆不完全な人間であり、直面出来ない感情が色々ある。

直面出来ない感情から、自分はちゃんと自分を守るために、何らかの方法を取ってきたんだなと、自分が自分の心を守っていると言うことを受け容れること。


そして、アクティングアウト、躁的防衛をしている人を見掛けたら、この人はこうして自分の心を守っているんだな、必死で自分の心を守っている姿なんだなと、そうゆう目で理解してあげると良いと話されました。


その上で、今の自分の守り方があまり健康的ではないのであれば、いきなりそれを全部止めようとしてもなかなか難しい場合が多い。

他の健康的な守り方をドンドン取り入れることによって、今までの不健康な守り方に依存しなくてもいい状況を作れば良いと教えられたのです。


そして、守り方のバリエーションとして、人と心理的な距離を取ることの大切さとその方法。

また、『オープンマインド』が良いものと思われているが、そうとばかりは言えないことも話されたのです。


いきなりのオープンマインドは、自分の守りを取っ払うことにもなりかねなく、次第に気心が知れて来て信頼感を得て自然に心を開いて行くことや、長い付き合いの中で自然に互いにオープンマインドになることの大切さを教えてくれました。


そして、健康的な『守り』の方法を多数教えてくれました。


例えば、対人恐怖症の人にとっては、伊達眼鏡やマスクとか、女性にとっては化粧自体が安心感を生む守りの一つだと。

その他、健康的な守りとして、ブランド品、資格や肩書、実績や業績、スキルや知識、歌や音楽、心の支えになる言葉や考え方、本など。

信仰心では、土光敏夫氏や稲盛和夫氏が有名であること。

スピリチュアルなものを信じる気持ち、お守りやパワーストーン、縁起をかつぐことなど。

尊敬する人の存在やロールモデル(理想な人、こういう人になりたい)を持つこと。

貯金、プライベートな空間、一人になれる空間を持つこと。

生活の中での変わらないリズム、秩序、ルーチン(決まった手順)など。

これらの全てが、心の『守り』であると教えられたのです。


そして、何かを持つ行為も、その方法が最初は何かに頼る外側の守りだったものが、次第に内在化(内面化)され、内面化されるとその物自体が無くても大丈夫になる。

そして、内面化される事でかさぶたのように自然にはがれていく。

だから、どんどん守りを取り入れていって良いと話されたのです。


更には、『守り』は、弱さに見えるが、強くしていくために必要なことで、段階を追って次第に強い心が出来あがって行く。


『守り』を知ることで、それをしている人を否定する必要がなくなる。

なぜそんなことをするのか?そんなことに頼るのか?の疑問が解ける。

みんな心を守っているんだなと、許す気持ちが生まれてくると、話されたのです。


私は、『アクティングアウト』、『躁的防衛』という言葉を知りませんでした。

動画を見た直後、私は特に10代から20代の頃、最終的にはつい1~2年前まで、『怒り』によるアクティングアウトと『飲酒』による躁的防衛をかなりしていたと思ったのです。

そして、守りのバリエーションを知ることによって、これまで自分が他者に対し、「なぜ、そんなことをするのだろう?」、「なぜ、そんなことに拘るのだろう?」と理解できなかったことに対しての意味を知ることが出来たのです。

そして、自分から見て好ましくないことでも、不思議と許せる気持ちが生まれて来て、何か人に対して少し優しくなれそうな気持ちになったのです。


更に、動画を見た受講生からの様々なコメントを読み、多くの方々が其々の悩みを抱えながら生きていることを痛感したのです。

そして、多くの受講生の方がアクティングアウトしてしまっていることを知りました。

特に多いと思ったのは子どもに対するアクティングアウトでした。


分かっていながら、怒鳴ってしまう、怒ってしまう、イライラして当たってしまうなど。

それに悩むおとうさんやお母さんが多いのには驚きでした。

みんな同じだと思いました。


私も別れる前の息子には、正に巨人の星の『星一徹』みたいな親父だったのです。

暴力こそ振るいませんでしたが、超スパルタで多くのことを強要して来たのです。

その時の私の気持ちは、『いつ俺が死んでも、一人でも生きていけるような人間に育てなければ』との傲慢な思いだったのです。


私は離婚したことで息子と別れ、その後自分の過ちに気づき修正することが出来ました。

しかし、本来であれば、別れてから、失ってから気づいても遅いのかも知れません。

受講生の中で同じような悩みを持っている方には、そうなる前に気づいてくれることを願わずにはいられませんでした。


また、『オープンマインド』に関しては、特に私が若い頃は、凄く人見知りで自分からは絶対に声を掛けないのに、何かの拍子で知り合った人には直ぐにオープンマインドになるという両極端だったことを思い出したのです。


そして、私がオープンなのに相手がオープンになってくれないと、信じて貰えていないと感じて、一気に切り捨てて来ていたのです。


更には、好きでも嫌いでもないどっちでも良い人との付き合いは面倒臭く、嫌いな人の部類に入れてしまい、好きな人としか付き合って来なかったのです。


人の好き嫌いがハッキリしていて、分からない人には分からなくて良い、分かる人だけが分かってくれれば良いという考え方で生きて来たのです。


その辺の所をよくよく考えてみると、「信じて貰えていない」と感じた時の、悲しさや寂しさや虚しさに自ら目を向けていなかったことに気づいたのです。


だから私は、息子と別れるまで、寂しさという感情を知らなかったのかと思ったのです。


私は考えました。


人間関係を切り捨てることで、そういう感情から逃げていたのか。

自分が傷つくことから逃げていたのか。

そうして自分を守っていたのかとの思いに至ったのです。


そして、「逃げる」という表現だと、何か悪いことをしているように感じるのですが、「守る」という表現にすると良いことのようにも感じることにも気づいたのです。


更には、若い頃の私は、『人間関係を断ち切ること』が、一番のアクティングアウトだったのかも知れないと思ったのです


きっと自分の弱さを隠す為に強がっていたんだろうなと思ったのです。

以前の私は、単に自分が優しくない人間、愛の無い人間と考えていた時期がありました。

しかし、その原因が、オープンマインド過ぎたのかも知れないとの思いに至ったのです。


オープンマインドが悪いことだとは思わないのですが、それも『中庸』があってのことなんだろうなと気づいたのです。


この時私は、『オープンマインド』と言葉にすると、何かカッコ良く聞こえますが、日本語にすると『心を開くこと』だと思ったのです。

そして、『いきなりのオープンマインド』は『いきなり心を開くこと』。

『いきなり心を開くこと』と言うことは、『いきなり心を裸にすること』と同じだと思ったのです。

そして、これが『心』を表現する『言葉』だから良い様なものの、もしこれが肉体だとしたらと考えたのです。


会って間もないのにいきなり素っ裸になったとしたら・・・。

私は、『単なる変態』じゃないかと思ったのです。

『オープンマインド』とは、悪く言うと、『心の裸族』なんじゃないかと思ったのです。


そして、想像したのです。

会っていきなり素っ裸になって、相手も裸になってくれないから怒るという姿を。

そう考えると、普通は絶対に裸にはならないと思ったのです。

逆に普通だったら悲鳴を上げて逃げる、あるいは殴られると思ったのです。


そして、もし素っ裸になるとしたら、それは同じ裸族じゃないとありえないと。

それこそ、ヌーディスト村に一緒に暮らす様な人じゃないとありえないことだと。


その時の私は、自分はそういうことをしていたのかと、そういうことを求めていたのかと、自分で自分が可笑しくなったのでした。

そして、『オープンマインド』も、段階を追って徐々に行わないと、変な誤解を与えてしまうことになることを知ったのでした。


その後、アクティングアウトについて、私は色々考えました。

そして、最初に気づいた、『人間関係を断ち切る』以上の最大のアクティングアウトに私は気づいたのです。

『人間関係を断ち切る』アクティングアウトは、私の気づきの入口にしか過ぎなかったのです。


私にとっての最大のアクティングアウト。


それは、『死を恐れない行為』だと思ったのです。


それに気づいたのは、野口先生が動画の中で話していた、自らを傷つけるアクティングアウトの代表的なものが、自傷行為であり、少女に多いリストカットだとの話しを思い出してのことでした。


私自身は、リストカットのような自傷行為を行ったことはありません。

ですが、若い頃は常に、『いつでも死んでやる!』という気持ちで暴れていたのです。


特攻隊に憧れました。

三島由紀夫の様な死に方に憧れていました。

『死』に対する美学みたいなものを持っていたのです。


16~18の頃は、単車で死ねたら本望、車で死ねたら本望と思っていました。


10代の頃はヤンキーの暴走族で、バイクでは中央分離帯があり、横には逃げられない道路を全開で逆走したり、フルチューンした車で高速道路を200km以上で暴走したり、ヤクザ相手に平気で喧嘩を売ったり、スピード狂で、全て暴力で解決しようとしていました。


成人してからは、暴力こそ振るいませんでしたが、時々言葉による暴力、恫喝をしていました。

そして、23で不動産業界に入ってからは、ワーカーホリックになりました。


29で独立し、31で二社目を立ち上げ、1000億円企業を目指して上場を夢見始めてからは、完全なワーカーホリックでした。

休み方を全く知りませんでした。

ある意味、休むことが怖かったのです。

そして、仕事が上手く行き始めると、誰もがやらない危険な仕事に手を出したり、高利の金に手を出したり、自らの生命保険を担保に大金を調達したり、自分の仕事は上手く行っているのに敢えて全財産を別なものに投入したり・・・。


白黒がハッキリしていなければイヤで、常にゼロか100かの考え方をしていたのです。

そして、沢山失敗して来ました。

何度も死を考えました。

しかし、その度に手を差し延べてくれる人が現れ、今の私があるのです。


既に亡くなった大好きで大切だった人に言われ、これまで答えの無いまま、ずっと深く心に残っている言葉があるのです。


「何で貴方は、自ら好き好んで火中の栗を拾いに行くの?!」


当時、山手線の大久保だったか新大久保だったかで、線路に落ちた人を助けに自ら線路に降りて、電車に轢かれて亡くなった韓国人大学生の事故があったのです。

その人は、私にそれと同じようなことばかりしていると言ったのです。

その時の私は、それが何故なのかは、自分でも分かりませんでした。


唯一つ言えたことは、『そうしなかったら、俺は俺でなくなる』というものだったのです。


私の捨て身の行動の裏には、常に、『俺が俺であるために』というものがあったのです。


私は、40代の中頃、『このまま歳を取って行き、自分が自分の意思で死ねなくなったら』と考えた時、とてつもない恐怖に襲われたのです。

普通だったら、『死を怖れる恐怖』なはずなのに、私は『死ねない恐怖』、『生きてしまう恐怖』に怯えたのです。

その頃までの私は、『いつでも死んでやる』、『いつでも自決出来る』という自分が、自分を支えていたのかも知れないと思ったのです。

それこそが、当時の私のアイデンティティだったのかも知れないと思ったのです。


私は、過去の自分を振り返り、『死を恐れない行為』、所謂、周りから見たら自殺行為としか思えない行為こそが、少女のリストカットと同じだったのだ、それは自傷行為によるアクティングアウトと同じだったのだと気づいたのです。


私は、高校を中退し、16で家を出て、両親の束縛から逃れ、一生懸命生きて来たつもりでした。

しかし、自分では無意識に35年もの間、自傷行為を繰り返していたのかと気づいたのです。


私がそれに気づいたのは11月11日でした。


そのことに気づいたことで、私はこれまでの自分が歩んで来た道に対し、合点がいったのです。

腑に落ちたのです。

なるほど・・・と。

そういうことだったのか・・・と。


私はこれまでの経験体験からの気づきで、少しずつそういうものを乗り越えては来ました。

しかし、それが何故なのか、理由がずっと分からないままだったのです。


単に自分はそういう人間なんだと、特殊な人間なんだと思っていたのです。

生まれ持ったものだからしょうがないと思っていたのです。


しかし、アクティングアウトを知ったことで、過去の自分の行動が論理的に理解出来たのです。

全ては『自分の心を守るため』だったのかと。


そして、更にその先にあるものも、朧気ながら見えて来た感じなのです。


『なぜ俺は、健康的ではない、アクティングアウトという方法しか取れない人間だったのか?』

『なぜ俺は、健康的な心の守り方が出来ない人間だったのか?』


アクティングアウトを知った私は、この『なぜ?』こそが、人間としての根源的なものなのではないかと感じ始めているのです。

なぜならそれは、自分で考えてやっていた訳ではなく、『無意識』にやっていたということに気づいたからです。


そして、それは、きっと親子関係にあるのだろう・・・。

それも、特に母親との関係に・・・。


そんな風に感じ始めているのです。


しかし、慌てる必要はないと思っています。

時期が来れば、必ずその答えも見つかるだろうと思っているからです。

そして、この自己実現塾を学んでいく中で、きっとその答えが見つかるのではないかと感じ始めているのです。


私のアクティングアウトが徐々に減って行ったのは、二度目の離婚が機だったと、今では思います。

考えてみると、離婚前の私には、『守り』というものが全く無かったのです。

しかし、離婚を機に、その後の私の『守り』は、自分では気づかない内に増えていたのです。


最初は、生き方や考え方、心理や哲学に関する読書。

そして、剣道。

離婚前は全く見なかったTVドラマの視聴。

研修に参加してからは、『善い言葉集め』。

毎月研修に参加し、インストラクターとしての研修生との対話。

自分の心に響いて来る歌詞の曲を繰り返し聞くこと。

朝晩の歯磨きの時にやっている、『笑顔はみがき』。

買物をした時に必ずレジの人に『ありがとう』と笑顔で言うこと。

息子が戻って来てからは、息子の為に毎晩作る料理。

そして、息子と一緒に過ごす晩酌の時間。

今年から始めた、自分の人生の目的や生き方についてのアファーメーション。

今年の2月頃から始めた、『幸福日記』。

自分が目指す、『大きな樹のような人間になる』を意識し続ける為に、スマホやPCの待ち受け画面などを全て『日立の樹』にしていること。

7月から始めた気づきのブログ。

そして、自分の過去を小説風に書いてブログにアップすること。

8月頃から毎日行っている池江選手への応援クリック。

年に一度の三峯神社への参拝や小学生時代の恩師に会うこと。

1~2ヶ月に一度、友に会って飲むこと。


これらは全て、私にとっての『守り』になっていたんだなと思ったのです。


そして、新たに始めた、『自己実現塾』での学び。

この学び自体も『守り』であると思ったのです。


そして、これらの守りが徐々に増えて来たことで、私は知らない内にアクティングアウトをしなくて済むようになって来たのだと思ったのです。


今の私は、気持ちの中でたまにムッとすることはあっても、それを怒りとして表に出す事はほとんどなくなってきています。(まだ、年に何度かやってしまう時はありますが・・・)

それよりも、些細なことで喜びや幸せを感じられる自分に変わって来ているのです。

そして、『死ぬこと』よりも、どう生きるのか、どう人や社会に貢献して行くのかという、『生き方』こそが、私にとって最も大切なことになっているのです。


私は、色々な気づきを得て、変わって行く自分を実感してはいても、それが何故なのか論理的に知ることが出来なかったのです。


しかし、今、こうして自己実現塾で学ばせて頂き、『なぜ?』を知ることで、更に自分自身の気づきが深まって行くのを感じるのです。


私は、これからの自分がどう変わって行けるのか、それが今一番の楽しみなのです。


そして、自己実現塾の今後の受講予定項目の『シャドー』。


ユング博士が言った言葉。


「シャドーの中に黄金がある」


野口先生がメールの中で紹介された、シャドーについて語っている言葉の中の一つ。


「完全なる私になるための、もう一つのピース。それがシャドー」


『シャドー』について学べる日を心待ちにしている私なのでした。


受講開始1ヶ月目から、大きな気づきを得させて頂いた自己実現塾でした。


自己実現塾 1 (11月期) ◆ アクティングアウト (了)

2019年10月31日 (木)

自己実現塾 0 ~10月期~

◆ 川の流れのように

私は、この度、野口嘉則先生主催の『オンライン自己実現塾/自分づくり&自己受容コース』を受講することにしました。


この塾は、『自己実現』といっても、単なる成功法則や成功哲学のようなものを学ぶものではないと、私は思っています。


この塾でいう『自己実現』とは、『自分の内なる可能性を最大限に発揮して、真の自分らしさを体現すること』としています。


それは、簡単に言えば、『如何に自分らしく幸せに生きるか』ということだと、私は解釈しました。

そして、心理学者のユング博士が、『自己実現こそ人生の究極の目的である』と述べていることに対し、野口先生が自らの経験体験から、自己実現していくためには、まずは、『自分という人間の土台づくり』の必要性に気づき、自らの身を持って体現して来たことを体系的なプログラムにまとめ上げ、それを伝えていくことが、この塾の目的だと感じたのです。

更には、塾の目的の裏には、野口先生個人の『一人でも多くの人を幸せにしたい』という想いを感じました。


それは、12ヶ月という受講期間の長さや、料金のお手軽さ、月謝のような支払方法、そして、もしやめたくなったら途中でやめられるという募集内容から、野口先生の塾がお金目的では無い、何か別の目的を感じたのです。


私は、昨年暮れに、自分の天命みたいなものに気づきました。

それは、私自身の人間としての『生きる目的』です。

そしてその時、その目的を自分流に言葉にしました。


『私が死の時を迎えた時、人生に一切の後悔も無く、満足感を持って、笑って死んでいけるように生きること』。

それは、『天命を全うする』ということ。

それは、『死の瞬間を迎えるその時まで、人生の完全燃焼を目指し、全力で生き抜くこと』。


私は、そう決めたのです。


そのような私にとっては、正に、『如何に自分らしく幸せに生きるか』と、イコールだと思ったのです。

とするならば、今の私にとっては、『自分という人間の土台づくり』が必要だということです。


そして、その考え方は、毎月行っている私たちの研修においても同じなのです。

樹に例えたら、根っこです。

その根を如何に育てるかが最も大切なことだと、私は思っています。


私は、毎月行っている研修から毎回沢山の気づきを得させて頂いています。

しかし、もしかしたら、更なる養分を私の根は求めているのかも知れません。


私は、何故か十代の頃から、『死』を見据えた生き方をしてきました。


「人間は死ぬために生きているんだ」

「人間は生まれた瞬間、『死』というものに向って生きていく生き物なんだ」

「寿命という目に見えない、人それぞれに与えられた時間を如何に使って生きるのか」

「その天から与えられた時間を使って何を成すのか」


そう考えて生きて来ました。


そして若い頃は、『細く長い人生』より、『短くても太い人生』の方が良い。

『50まで生きられれば十分』と考えていました。


そして、50前後の数年間、私は自分の生きる意味や目的を見失いました。

しかし、約1年前に、やっと自分の生きる目的と、これまでのしくじりばかりの人生の意味を見出せたのです。


私が野口先生の著書に初めて出会ったのが、約6年前でした。

私が2度目の離婚をし、息子と別れた寂しさの中で、何とか自分を維持しようと救いを求めて読んだ本が、『これでいいと心から思える生き方』でした。

当時の私は2~3度読みましたが、本の内容を頭では理解出来ても、心で受け容れることが難しく感じました。


それが、今年の5月頃、ひょんなことからもう一度読もうと思い、数年振りに読んでみると、めちゃくちゃ心に沁みてきたのです。

その時初めて、私は野口先生自体に興味を持ち、先生の別の著書も読んでみたくなったのです。


そして、6月に『鏡の法則』『3つの真実』、7月に『心眼力・文庫版』を読みました。

どれもこれも、自分のことが書かれているように感じたのです。


特に『心眼力・文庫版』に収められていた、『人生は引き算で輝く』に出て来る老人は、未来の自分なのではないかと思ったほどです。


そして、8月に『心眼力・文庫版』の音声ダウンロードを行い、出版社のメルマガを登録し、野口先生のメルマガ『自己受容7つのステップ』を知り、登録しました。

その直後、『鏡の法則』のミュージカルを知り、9月にミュージカルを観に行き、そして今月、この塾に出会ったのです。


私にとっては、正に『導かれている』としか思えませんでした。

更に私は、これまでの野口先生がメルマガで引用されている言葉で紹介している著書を何冊か読んで来ました。


どれも良いものばかりでした。


特に『愛の論理』には、衝撃を受けました。


『恋』は、『感情』。

『愛』とは、決断、意志、能力に支えられた『行為』。


私の中で、何かモヤモヤした感じで、感覚では理解しながらも、言葉に出来なかった部分がハッキリと言葉にされていたのです。


私は、これまでの経験体験や研修などから、色々な気づきを与えて頂きました。

しかし、それは自分の感覚的なもので、自分流の話し方でしか表現できないのです。

そうすると、私を理解しようとしてくれる人、私と似たような感覚の人、似たような生き方の人、似たような性質の人など、一部の人にしか伝わらないのです。


若い頃は、それでいいと思っていました。

分からない人には分からなくて良いと。

分かる人だけが分かってくれれば良いと。


でも、今は違うのです。


その為には、私が感覚として捉えていることを、もっと論理的に私自身が理解し、伝えられるようになりたいと思っているのです。

その為には、言葉を知り、表現方法の幅を広げることだと思ったのです。


そして、自己実現塾の人間としての土台づくりのテーマが『自己受容』


私は、野口先生のメルマガと動画から自己受容の重要性を感じ始めていました。

そして、ひょんな閃きで始めた、自分の生きて来た道を小説風に書くこと。


それにより、過去の出来事を、単に『出来事』としてしか捉えていなかったことに気づいたのです。

そして、その出来事で生じた、当時の自分の気持ちに気づき始めたのです。

更には、その自分を俯瞰している自分にも気づきました。


それにより、『出来事』というものは、単なる現象にしか過ぎないことを知りました。


そして、大切なのは、『出来事』そのものではなく、その『出来事』から生じた気持ちであることに気づいたのです。


同時に、それまで全く自己受容できていなかった自分にも気づきました。

そして、書けば書くほど、自己受容が進んで行くことに気づいたのです。


9月下旬に、『俺の道~恋愛編~』を書き上げた時には、今後更に自己受容が深まっていった時に出会えるであろう、新たな自分に期待する自分が生まれて来たのです。


私は、野口先生が『自己受容7つのステップ』の動画の中で言っていた言葉を思い出しました。


「自己受容は深め続けることが大切」

「自己受容は奥の深い世界」

「人間は自己受容の途上にある」

「自己受容は自分を知ることになる」

「自己受容を旅に例えると、自分を知る旅といえます」


それらの言葉を思い出した時、私は思ったのです。


諸行無常だと。

人間が常に成長し変わり続ける以上、死ぬまでゴールはないのだと。

生きている限り、自己受容し続けることだと。


それは、自分を大切にするということ。

自分を愛するということ。

そして、他者を愛するということ。


それに私が気づいた矢先にこの塾のご紹介でした。

そんな私にしてみたら、受講しない理由を見つける方が難しいくらいでした。


私は10月12日に受講の申し込みを行いました。

本講座は11月1日の開始ですが、その前に受講申込者に対する特典動画がありました。

私は、その動画を13日に視聴しました。


『人間力を高める学び方』というものでした。


その動画を見て、私は最初に自分が受講を選択したことに間違いがなかったことを確信しました。

そして、受講することにして本当に良かったと思ったのです。


動画では、動画の見方を話され、アウトプットの大切さと葛藤の価値について話されていました。

野口先生の話しは、穏かに話しながらも単なる説明ではなく、論理的でありながらも心に響いて来て、人に気づきを与える話し方だと、改めて感じたのです。

私がこれまで出会って来た方(話しを聞いて来た方)で、これほど穏かに話しながらも心を打ち抜いて来るような話し方をしてくれた方は、野口先生が二人目でした。


初めての方は、桜井よしこさんでした。

私が桜井よしこさんのスピーチを初めて聞いたのは30歳位の時でした。

私が30代の頃は、名だたるトップ経営者の方々と多数お会いさせて頂きました。

熱く語り、気分を高揚させてくれるような話し方をされる方は数多くいました。

しかし、穏かに話しながらも、心底心を振るわされる話しを聞いたことはありませんでした。


穏かに理路整然と話しながら、最後には気づきを与えられ、衝撃を受けるような話し方をされる方に出会ったのは、桜井よしこさん以来20数年振りでした。

正に、今の私が求めているものがそこにあるような気がしたのです。


その話しの中で、私が一番気づかされたのは、アウトプットの大切さの話しでした。


海(海流)や川には流れがあるから、水は澱まない。

しかし、池や沼には流れがないから、水は澱んでしまう。

人も同じで、知識や情報をインプットするだけ、頭の中に置いておくだけでは人は何も変わらない。

インプットしたものを、日常生活の中で行動に移し、実践していくことが重要であり、それがアウトプットしていくことだと。

インプットとアウトプットの良いサイクルの循環を作ることが大切だと話されたのです。


私は、その話しを聞いて思ったのです。

野口先生は、特別なことを言っている訳ではないと思いました。

しかし、私には、『水が澱む』という表現が、妙に心に沁みて来たのです。


「なるほど・・・」と。


『流れがないと水が澱んでしまう』

それは、「人間関係においても一緒だなぁ・・・」と。


自分が言いたいことを言わず、聞きたいことを聞かないこと。

それは、自分の想いを堰き止めてしまっているということ。

すると心は澱むのだと。

自らが澱ませているのだと。


心が澱んで来ると、次第に疑念、不信、不安を生んでしまうと。

そして、人間関係に歪が生じて来るのだと思ったのです。


人間関係を円滑にして行く為には、「自分の想いを留めて澱ませないことなんだなぁ・・・」と、感じたのです。

そして、浮かんで来た言葉が、『川の流れのように』でした。


私はその日の夜、風呂に入りながら、YouTubeで『川の流れのように』を視聴しました。

すると、その数日前にNHKで放送された、AIで再現された美空ひばりの新曲、『あれから』を知り、視聴しました。


AIの美空ひばりが歌う曲に涙する観客の姿を見て、私も涙が溢れて来ました。

「AIもこういう使われ方をすると、幸せになれる人が沢山いるんだろうなぁ・・・」と、感じたのです。


そして、何故か田坂広志先生の動画が続いて出て来たのです。

私は、それまでに田坂広志先生のことは知ってはいても、本を読んだことも無ければ、動画を見たこともありませんでした。


丁度その直前の野口先生のメルマガで、田坂先生の知性についての言葉を引用されていたことで、その動画も視聴してみることにしたのです。

結果的に、私は田坂先生の動画を3本視聴しました。


その中で田坂先生が繰り返し述べられていた、『3つの真実』


1.人は必ず死ね。

2.人生は一度しかない。

3.人はいつ死ぬか分からない。


そして、3本目に見た動画の最後に言っていた言葉。


『使命』とは、命を使うということ。


『使命』と書いてある紙の裏側には何と書いてあるのか?

『志』


志と似て非なるもの。

『野心』


『野心』とは、己一代で何かを成し遂げようとする願望。

『志』とは、己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを次の世代に託する祈り。


その言葉を聴いた瞬間、私の心は震えました。

涙が溢れて来ました。

そして、田坂先生は最後に問いかけたのです。


「一回しか無い人生」

「必ず終りがやって来る人生」

「いつ終わるか分からない人生」

「そのかけがえのない命、何に使われますか?」


私は、この問いかけに応えられるような生き方をしたいと思いました。

そして、野口先生は、きっとこの問いに応えようとしているのではないかと感じたのです。


全ては繋がっている。

全ては導かれている。

私は感じずにはいられませんでした。


川の流れのように・・・。


私は、この塾で学ぶ事で、カウンセラーになりたいとか、今手伝っている研修で優秀なインストラクターになりたいとか思っている訳ではありません。

特別に何かのビジネスにしたいと思っている訳でもありません。


ただ一つ思っていることは、私とご縁があってこれまでに付き合って来てくれている方々や、これから出会って行く方々に、『共感』や『受容』という形で、何かを与えられる自分になって行きたいと想うのです。

そういう方々の役に立つ生き方をしていきたいとの想いなのです。


そして、この自己実現塾は、野口先生からの動画やメールレターだけではないのです。

野口先生もご参加され、受講生同士の情報交換や意見交換が出来るコミュニティ・フォーラムがあるのです。

私は、そこからの気づきが計り知れないのではないかと楽しみなのです。


そして、これから1年間学んでいく中で、この塾が終わった後でも、その後どれだけお付き合いして行くことが出来る仲間と出会うことが出来るのか?

一人でも多くの方とそういう出会いが出来ると良いなぁと思うのです。


今シーズンのTVドラマで私が最も注目しているドラマが、高畑充希主演の『同期のサクラ』。

このサクラの決め台詞に私は感動しました。


「私には夢があります! 故郷の島に橋を架けることです!!」

「私には夢があります! 一生信じ合える仲間をつくることです!!」

「私には夢があります! その仲間と沢山の人を幸せにする建物を造ることです!!」


人は心の中で思っていても、口には出せないこと、出し難いことが沢山あります。

しかし、このサクラは、正々堂々とそれを声に出して言うのです。

それも、相手が自分の上司であろうと会社の社長であろうと、誰にでも。


その分周りとの衝突も多いのです。

そして、本人の葛藤も沢山あるのです。

それを陰で支えるおじいちゃんの存在。


サクラがFAXで送った悩みに対し、おじいちゃんは達筆な筆字で書いた言葉をFAXで送り返して来るのです。

沢山の気づきを与えてくれるドラマだと思いました。


私は、今回共に『自己実現塾』を受講されるみなさんは、野口先生の下に集まった同期生だと思っています。


これからの1年間、私もサクラのように、楽しく学んで行きたいと思うのでした。


人生という、川の流れに身を任せ・・・。


私が若い頃大好きだった『ブルース・リー』が残した言葉。


   人生は水の流れに似ている

      時には不愉快なことが現れ

         心に傷跡を残すが

            全ては水のように流れていく


自己実現塾 0 (10月期) ◆ 川の流れのように  (了)

2019年8月24日 (土)

存在というもの (2)

(2)存在に感謝

私が毎日池江選手のHPで応援クリックをする度に、世界中の言葉で『ありがとう』のメッセージが、シャボン玉、あるいは水泡のような形で浮かんでは消えていくのです。


そして、毎日HPの池江選手の泳ぐ画像を見ていて、彼女の無事を願い応援しているつもりが、いつしか自分が応援されている気持ちになって来たのです。


そして、息子が小学生の頃、毎朝一緒にウォーキングをしていた時に息子に話した話しを思い出したのです。


息子が小学3年生か4年生位の頃だったと思います。


私たちは毎朝6:30頃から、近くの緑道(1周3Km位)をウォーキングしていました。


その際、私と息子は、すれ違う全ての人に元気よく「おはようございます!」と挨拶していました。

そして、ほとんどの方は挨拶を返してくれるのです。


ある日のこと、ウォーキングを始めた直後にすれ違ったおじいさんに、いつも通り二人で元気よく「おはようございます!」と挨拶をしたのですが、そのおじいさんは挨拶を返してくれなかったのです。


それに対して息子は、「折角挨拶してるのに何でしてくれないんだ!」と、私に怒って言ったのです。


私は、「そうだなぁ、でも、もしかしたら耳が遠くて聞こえなかったのかも知れないし、考え事をしていて聞こえなかったのかも知れないなぁ」


「でも、挨拶を返してくれなかったからって、お前が怒ることじゃないんだよ」

「挨拶は、相手の人に返して貰うためにしてるんじゃないんだよ」

「挨拶は、とうちゃんとお前がしたくて勝手にやってることなんだからな」


「もし、あのおじいさんがいなかったら、挨拶できなかったんだぞ」

「だれもいないところで壁に向って挨拶はしないだろ?」


息子はその姿を想像したのか、笑いながら「そうだね」と応えたのです。


私は、「だから、あのおじいさんは、挨拶を返してはくれなかったけど、居てくれただけでありがたいことなんだよ」と話して聞かせたのです。


当時の私は、ジョギングもウォーキングもほぼ強制で一緒にやらせていましたので、スパルタではありましたが、こういう話を歩きながら、私なりに一生懸命聞かせてもいたのでした。


池江選手のHPで毎朝応援クリックをしている内に、そういう想いが蘇って来たのです。


そして、始めの頃は池江選手や、そのご家族、特にご両親の心痛を思い、無事を願うだけの気持ちだったものが、いつしか池江選手の存在そのものに対する感謝の気持ちが溢れてくるようになって来たのです。


そして池江選手を生み育ててきたご両親や、そのご家族にも同じ気持ちが生まれて来たのです。


今では、『無事を願っている』のではなく、『無事を願わせて頂いている』という気持ちになっているのです。


これまでも、そういう考え方は頭では分かっていました。

そして、人に話したり、教えたりもしてきました。


でも、今回、池江選手のお陰で、『人間の存在そのものに価値があること』を心底感じることが出来たのです。


息子以外の存在で、それも直接会ったことも無い人に、心底、『生まれて来てくれて、ありがとう』と思えたのです。


池江選手の無事を願う気持ちから始めた、たった1日1回のクリックから、こんなに大きな『気づき』というご褒美が頂けるとは考えてもみませんでした。


『池江璃花子さん。これからも毎日、貴女の無事を願って、1日1回応援クリックをさせていただきます!』


『貴女の存在に感謝します!』


『ありがとうございます!』

『存在というもの』 (了)

2019年8月22日 (木)

存在というもの (1)

(1)池江璃花子選手

私は、5月8日の昼頃、LINEニュースで池江選手のオフィシャルホームページの開設を知りました。


何気なく見てみる気になって、HPを一通り見てから応援クリックを押したら、色んな国の言葉でシャボン玉、あるいは水泡のような『ありがとう』が沢山浮かんで来て感動したのです。


そして、もう一度『ありがとう』のメッセージが見たくて、再度クリックしたのですが、二度目は押せませんでした。


私がHPを見た時のクリック数は、5000位だったのですが、実際にクリックした時は、『8819』人目でした。


僅か10分か15分位で3000人位がクリックしているのかと驚きました。


そして、1時間おき位に更新してみると、1万人位のペースで増えていて、そのスピードに更に驚きました。


「みんな、池江選手のことを心配しているんだなぁ・・・」と思ったのです。


そして、再度翌日になって見てみると、10万を超えていました。


私は、特別競泳というスポーツが好きな訳ではありませんが、息子が池江選手と同じ年であることから、白血病のニュースを見た時には、ご本人の苦しみは然ることながら、ご両親の心痛を考えると居た堪れない気持ちになったのです。


また、私はこれまでに、お世話になった大切な方を4人癌で失くしています。


その中には、白血病だった方も居て、その方の場合、親族からの骨髄移植までして一時は回復に向ったのですが・・・。


その様な経験から、『どうか無事であって欲しい』と願わずにはいられませんでした。


日本を代表する若くて美しい有名な選手ですから、誰もが復帰を望まれていることと思います。

しかし、私は、『復帰よりも何よりも、まずは、どうか無事であって欲しい』と、ただその想いだけなのです。


その後、時々HPを覗いて見ては、そのスリック数の増え方を見ていたのですが、30万を超えた辺りの頃、何気なくクリックしてみると、またクリック出来たのです。


私はその時、初めてクリック出来るのが、1日1回なんだと気づいたのです。


それからは、2~3日に1回のペースで、気づいた時にクリックしていたのです。


そして、7月の下旬頃、何気なく「応援メッセージを送ってみようかな」と思い立ち、そのメッセージを真剣に考え始めたら、闘病しているご本人の気持ちや、それを支えているご家族や友人たちの気持ちを考えると、安易なメッセージは送れないと思い、書くことが出来なかったのです。


そして、今の私が出来ることとして、その翌日から、彼女の無事を願いながら、毎朝1回クリックし始めたのです。


時間は一定ではありませんが、毎朝クリックしていると、その数の変動が、多い時は5~7000位増えてる時もありますが、ほぼ毎日3000前後位ずつ増えている感じなのです。


きっとこの3000人位の方々のほとんどは、私と同じように彼女の無事を祈りながら毎日クリックしているのではないかと思うのです。


(つづく)

2019年8月 4日 (日)

捨てた肩書 (2)

(2)苦しんで良かった

息子が私の所へ戻って来るために、私が息子に与えた課題とは・・・。


それは、『私の所へ戻ることへの母親の了承を自分で取って来い』というものでした。


それは、これからの息子の人生を考えた場合、いくら今は好きではないと思っている母親であったとしても、悪い形で別れるべきではないと考えたからなのでした。


私は、「お前がどうしようもない時は、とうちゃんがお母さんと話しをして何とかするけど、その前に、お前の人生なんだから、お前が自分の力で切り拓くんだ」と話したのです。


その後、私は息子に対し、話す内容や話し方、そして話すタイミングなどの策を与えたのです。


そして12月に入り、息子は見事、自らの力で母親の了承を得て、学校が冬休みになった年末に、私の所へ戻って来たのです。


実際に私が息子と別れて暮らしていたのは、3年ちょっとでした。

後から振り返ると、たった3年なのです。

しかし、その3年間(特に最初の1年間)、私がどれだけ後悔と自責の念に苦しめられたことか・・・。


ある時、「もし、3年で戻って来ると最初から分かっていたら、きっとあんなには苦しまなかったんだろうな」という思いが過ったのです。

しかし今の私は、「苦しんで良かったんだ」と思っているのです。


なぜなら、苦しんだことで、過去の誤った考え方を捨てられ、スパルタ親父から変わることができ、今では息子と良好な親子関係を築けているからです。


私が捨てた、『過去の誤った考え方』というのは・・・。


一言でいうと、『親』という肩書を捨てたのです。


そもそも離婚をした時点で、私は『親権』を失い、『保護者』ではなくなりました。

息子にも、「今後は親ではあっても、親としての教育的発言は一切しない」と、別れる時に息子に持たせた手紙の中にも書いて約束していたのです。


私の中では、「何かあった時には親としての責任は俺が取る!」

そして、「何かあった時には、絶対俺が守ってやる!」

「仮に、世界中がお前の敵になったとしても、俺だけはお前を信じる!」

そう心に決めたのです。


私は苦しみの中で、息子を一人の人間として観た時、私は人生の先輩であるだけで、それ以上でもそれ以下でもないということに気づいたのです。

そして、親だからといって、息子に何かを強制したり、支配したりする権利もないことに気づかされたのです。


私がするべきことは、息子を一人の人間として尊重し、息子が選択した道を決して否定することなく、応援し続けることだと思ったのです。


別れる前の私は、息子に私の考え方や価値観を押し付けていただけなのでした。


それは、『スパルタ』という名の強制を息子に強いていたということなのです。

そして、『スパルタ』という名を借り、親としての『威厳』を誇示していたのだと思うのです。


私なりに息子の幸せを考えてのことでしたが、それは当時の私が考える幸せであり、息子の幸せではないことに気づかされたのです。


私の元へ戻って来てから、息子に何度か言われました。


「ゴルフをやらされていた時は、本当に嫌だった」と。

「ゴルフが嫌いになったのは、とうちゃんのせいだからね」と。


今では笑い話として言えるようになっていますが、あの頃の息子は、きっと私が親父にやらされた密教の『千座行』に対する気持ちと同じだったのだろう思います。


そしてそれは、『親』という肩書を使った『パワハラ』でしかないと、今では思っています。


私は思うのです。


今の世の中、色々な『ハラスメント』がありますが、私と同世代の昭和の香りがたっぷりな人たちは、自分でも気づかない内に、知らずと何らかのハラスメントをしてしまっている人が多いのではないかと。


私もまだまだだとは思いますが、息子に対する考え方を変えられたことで、接し方を変えられ、話す内容も話し方も変わりました。

そして、関係も変わったのです。


息子が教えてくれたのです。


親子に限らず、会社の肩書もあくまで役割と責任の違いと考えて一度捨ててしまい、仕事仲間のみんなを家族の様に考えて、愛情を持って接していけば、ハラスメント問題も減るのではないかと思うのです。


そして何より、『肩書』を捨てると、人生が楽になると思うのです。


私の元へ戻って来た時の息子は、姓を母方から私の方に変更することを希望していました。

そして、母からの了承も得て、大学への入学を機に変更する予定にしていました。

しかし、まだ変更はしていません。


昨年、私が本当に変更したいのかを聞くと息子が言ったのです。

「僕は、どっちでもいい」

「僕は、○でも(私の性)、○○でもなくて(母方の性)、○○○だから(自分の名前)」


それを聞いた私は嬉しくなりました。

息子にとっての姓は、既に『肩書』みたいなものになっていたのでした。

そして、息子は既に一人の人間として歩み出していると感じたのです。


私は言いました。


「なら、未成年の内は、今のままで良いんじゃないか」

「お前が成人して、変更したければすればいいし、しなくても良いと思えばしなくていいよ」

「成人したら、お前の好きなようにすればいい」


親子関係で悩んでいる方や、ハラスメント問題で悩んでいる方の何かヒントになってくれると良いなと思うのでした。


『捨てた肩書』 (了)

2019年8月 2日 (金)

捨てた肩書 (1)

(1)懺悔

私は、2013年9月16日に2回目の離婚をしました。

そして、その1ヶ月後、息子たちは元妻の実家へ引越していきました。


その後の私は、『人生最大の気づき』で書いた通り、後悔と自責の念に苦しめられました。

しかし、息子が引越していってから3年後の2016年10月に、息子から突然会いたいと連絡があり、会ってみると息子は私の所へ戻りたいと相談して来たのです。


その時の息子は、私たちが離婚した時に、私ではなく母親を選択したことを、涙ながらに詫びてきたのです。


離婚を決めた後、元妻は、親権に関しては息子に決めさせようと言い、私はそれに応じました。

その後、引越して行くまでの1ヶ月間、元妻は息子にべったりとなり、毎日のように私の悪い所を息子に言っていたそうです。


それを見ていた当時の私は、敢えて息子には何も言いませんでした。

そして、息子は自ら母親について行くことを決めたのです。


息子はそれを後悔していたのです。

そして、その時息子が言った母親について行くと決めた最大の理由が、なんと、「だって、ごはん作ってくれるのお母さんだから・・・」、だったのでした。


涙ながらに話していた息子を前に、私は内心、苦笑するしかありませんでした。


そして、私は息子に言ったのです。

「お前、とうちゃんが料理出来るの知らなかったのか?!」

「とうちゃんは若い頃、コックとか板前とかやってたんだぞ?!」


「だってやってるところ、見たことないもん」


「確かに・・・」


そして、内心思ったのです。

「やっぱ子どもって、そんなもんなんだよなぁ・・・」


そして、逆に私は、まだ中1の多感な時期の息子に、『母についていくのか、父の元に残るのか?』の選択をさせたことを謝りました。


「あれは、お母さんが言い出したことだったんだけど、お前に選択させることではなかったんだよ」

「本当は、とうちゃんとお母さんが二人で話し合って決めるべきことだったんだよ」

「悪いのは、とうちゃんとお母さんなんだ」

「ごめんな」


「だから、お前には何の責任もない」

「とうちゃんはお前が悪いなんて全然思ってない」

「だから、心配するな」

「とうちゃんは、お前が戻って来てくれるなら、こんなに嬉しいことはない」

「とうちゃんは大歓迎だよ!」


この時は、まさに研修の『心構え』の試験を受けているような感じだったのです。


そして、息子に戻りたくなった理由を聞くと、息子が母親に抱く感情が、正に私が別れた理由とほぼ同じだったのです。


私は、息子と別れたことで、これまでの人生で味わったことの無いほどの寂しさと苦しみを味わいましたが、息子も同じように苦しんでいたことを知ったのでした。


そして、その理由が出切った所で私は言ったのです。


「もうそれ以上お母さんの悪口は言うな」

「仮にもそのお母さんの血が、お前には半分流れているんだからな」

「だからとうちゃんも、お母さんの悪口を言うことは、お前のことを悪く言うことになると思うから言わないし、考えないようにしてるんだ」

「逆に、お前を産んでくれたことには本当に感謝してるんだよ」

「わかるよな」


「うん」


そして、私は息子に対し、戻って来るために、ある一つの課題を与えたのでした。


(つづく)