息子

2019年8月 4日 (日)

捨てた肩書 (2)

(2)苦しんで良かった

息子が私の所へ戻って来るために、私が息子に与えた課題とは・・・。


それは、『私の所へ戻ることへの母親の了承を自分で取って来い』というものでした。


それは、これからの息子の人生を考えた場合、いくら今は好きではないと思っている母親であったとしても、悪い形で別れるべきではないと考えたからなのでした。


私は、「お前がどうしようもない時は、とうちゃんがお母さんと話しをして何とかするけど、その前に、お前の人生なんだから、お前が自分の力で切り拓くんだ」と話したのです。


その後、私は息子に対し、話す内容や話し方、そして話すタイミングなどの策を与えたのです。


そして12月に入り、息子は見事、自らの力で母親の了承を得て、学校が冬休みになった年末に、私の所へ戻って来たのです。


実際に私が息子と別れて暮らしていたのは、3年ちょっとでした。

後から振り返ると、たった3年なのです。

しかし、その3年間(特に最初の1年間)、私がどれだけ後悔と自責の念に苦しめられたことか・・・。


ある時、「もし、3年で戻って来ると最初から分かっていたら、きっとあんなには苦しまなかったんだろうな」という思いが過ったのです。

しかし今の私は、「苦しんで良かったんだ」と思っているのです。


なぜなら、苦しんだことで、過去の誤った考え方を捨てられ、スパルタ親父から変わることができ、今では息子と良好な親子関係を築けているからです。


私が捨てた、『過去の誤った考え方』というのは・・・。


一言でいうと、『親』という肩書を捨てたのです。


そもそも離婚をした時点で、私は『親権』を失い、『保護者』ではなくなりました。

息子にも、「今後は親ではあっても、親としての教育的発言は一切しない」と、別れる時に息子に持たせた手紙の中にも書いて約束していたのです。


私の中では、「何かあった時には親としての責任は俺が取る!」

そして、「何かあった時には、絶対俺が守ってやる!」

「仮に、世界中がお前の敵になったとしても、俺だけはお前を信じる!」

そう心に決めたのです。


私は苦しみの中で、息子を一人の人間として観た時、私は人生の先輩であるだけで、それ以上でもそれ以下でもないということに気づいたのです。

そして、親だからといって、息子に何かを強制したり、支配したりする権利もないことに気づかされたのです。


私がするべきことは、息子を一人の人間として尊重し、息子が選択した道を決して否定することなく、応援し続けることだと思ったのです。


別れる前の私は、息子に私の考え方や価値観を押し付けていただけなのでした。


それは、『スパルタ』という名の強制を息子に強いていたということなのです。

そして、『スパルタ』という名を借り、親としての『威厳』を誇示していたのだと思うのです。


私なりに息子の幸せを考えてのことでしたが、それは当時の私が考える幸せであり、息子の幸せではないことに気づかされたのです。


私の元へ戻って来てから、息子に何度か言われました。


「ゴルフをやらされていた時は、本当に嫌だった」と。

「ゴルフが嫌いになったのは、とうちゃんのせいだからね」と。


今では笑い話として言えるようになっていますが、あの頃の息子は、きっと私が親父にやらされた密教の『千座行』に対する気持ちと同じだったのだろう思います。


そしてそれは、『親』という肩書を使った『パワハラ』でしかないと、今では思っています。


私は思うのです。


今の世の中、色々な『ハラスメント』がありますが、私と同世代の昭和の香りがたっぷりな人たちは、自分でも気づかない内に、知らずと何らかのハラスメントをしてしまっている人が多いのではないかと。


私もまだまだだとは思いますが、息子に対する考え方を変えられたことで、接し方を変えられ、話す内容も話し方も変わりました。

そして、関係も変わったのです。


息子が教えてくれたのです。


親子に限らず、会社の肩書もあくまで役割と責任の違いと考えて一度捨ててしまい、仕事仲間のみんなを家族の様に考えて、愛情を持って接していけば、ハラスメント問題も減るのではないかと思うのです。


そして何より、『肩書』を捨てると、人生が楽になると思うのです。


私の元へ戻って来た時の息子は、姓を母方から私の方に変更することを希望していました。

そして、母からの了承も得て、大学への入学を機に変更する予定にしていました。

しかし、まだ変更はしていません。


昨年、私が本当に変更したいのかを聞くと息子が言ったのです。

「僕は、どっちでもいい」

「僕は、○でも(私の性)、○○でもなくて(母方の性)、○○○だから(自分の名前)」


それを聞いた私は嬉しくなりました。

息子にとっての姓は、既に『肩書』みたいなものになっていたのでした。

そして、息子は既に一人の人間として歩み出していると感じたのです。


私は言いました。


「なら、未成年の内は、今のままで良いんじゃないか」

「お前が成人して、変更したければすればいいし、しなくても良いと思えばしなくていいよ」

「成人したら、お前の好きなようにすればいい」


親子関係で悩んでいる方や、ハラスメント問題で悩んでいる方の何かヒントになってくれると良いなと思うのでした。


『捨てた肩書』 (了)

2019年8月 2日 (金)

捨てた肩書 (1)

(1)懺悔

私は、2013年9月16日に2回目の離婚をしました。

そして、その1ヶ月後、息子たちは元妻の実家へ引越していきました。


その後の私は、『人生最大の気づき』で書いた通り、後悔と自責の念に苦しめられました。

しかし、息子が引越していってから3年後の2016年10月に、息子から突然会いたいと連絡があり、会ってみると息子は私の所へ戻りたいと相談して来たのです。


その時の息子は、私たちが離婚した時に、私ではなく母親を選択したことを、涙ながらに詫びてきたのです。


離婚を決めた後、元妻は、親権に関しては息子に決めさせようと言い、私はそれに応じました。

その後、引越して行くまでの1ヶ月間、元妻は息子にべったりとなり、毎日のように私の悪い所を息子に言っていたそうです。


それを見ていた当時の私は、敢えて息子には何も言いませんでした。

そして、息子は自ら母親について行くことを決めたのです。


息子はそれを後悔していたのです。

そして、その時息子が言った母親について行くと決めた最大の理由が、なんと、「だって、ごはん作ってくれるのお母さんだから・・・」、だったのでした。


涙ながらに話していた息子を前に、私は内心、苦笑するしかありませんでした。


そして、私は息子に言ったのです。

「お前、とうちゃんが料理出来るの知らなかったのか?!」

「とうちゃんは若い頃、コックとか板前とかやってたんだぞ?!」


「だってやってるところ、見たことないもん」


「確かに・・・」


そして、内心思ったのです。

「やっぱ子どもって、そんなもんなんだよなぁ・・・」


そして、逆に私は、まだ中1の多感な時期の息子に、『母についていくのか、父の元に残るのか?』の選択をさせたことを謝りました。


「あれは、お母さんが言い出したことだったんだけど、お前に選択させることではなかったんだよ」

「本当は、とうちゃんとお母さんが二人で話し合って決めるべきことだったんだよ」

「悪いのは、とうちゃんとお母さんなんだ」

「ごめんな」


「だから、お前には何の責任もない」

「とうちゃんはお前が悪いなんて全然思ってない」

「だから、心配するな」

「とうちゃんは、お前が戻って来てくれるなら、こんなに嬉しいことはない」

「とうちゃんは大歓迎だよ!」


この時は、まさに研修の『心構え』の試験を受けているような感じだったのです。


そして、息子に戻りたくなった理由を聞くと、息子が母親に抱く感情が、正に私が別れた理由とほぼ同じだったのです。


私は、息子と別れたことで、これまでの人生で味わったことの無いほどの寂しさと苦しみを味わいましたが、息子も同じように苦しんでいたことを知ったのでした。


そして、その理由が出切った所で私は言ったのです。


「もうそれ以上お母さんの悪口は言うな」

「仮にもそのお母さんの血が、お前には半分流れているんだからな」

「だからとうちゃんも、お母さんの悪口を言うことは、お前のことを悪く言うことになると思うから言わないし、考えないようにしてるんだ」

「逆に、お前を産んでくれたことには本当に感謝してるんだよ」

「わかるよな」


「うん」


そして、私は息子に対し、戻って来るために、ある一つの課題を与えたのでした。


(つづく)