自己実現塾

2020年1月10日 (金)

自己実現塾 2 ~12月期~ (4)

(4)自己受容の真の意味

私がこの『自己実現塾』を受講した動機は、『私とご縁があってこれまでに付き合って来てくれている方々や、これから出会って行く方々に、「共感や受容」という形で、何かを与えられる自分になって行きたい』という想いが原点です。


そして、その目的は、私がこれまでの経験や体験の中で気づいて来たことを、自分の感覚として捉えているだけではなく、もっと論理的に自分自身が理解し、きちんと自分の言葉で伝えられるようになることなのです。


その為には、言葉を知り、表現方法の幅を広げることだと思ったのです。


私は、自己実現塾コミュニティフォーラム内の『晴太老の部屋』へ、12月27日に年末最後の投稿をしました。

そして、その中で、『自己受容の真の意味、みたいなものに気づき始めたこと』を書きました。


私は、ブログを始め、そして自分の過去を小説風に書くことで、子どもの頃の自分の感情というものに初めて気づきました。


しかし、大人になってからの自分をよくよく振り返って考えてみると、その場その場における『自分の感情』というものは、発散はしてきていても、日常の忙しさや慌ただしさに流され、きちんと感じたり、向き合ったりはして来なかったように思うのです。


ある意味、感じるべき感情をきちんと感じないまま過ぎ去って来たように思うのです。

単純に嬉しがったり、楽しがったり、悔しがったり、怒ったりなどはして、表層的には感じてはいても、本質的な感情に関しては、ほとんどが我慢したり、耐えたりして来ていたのではないかと思ったのです。


そう考えた時、人は、そもそも自分の感情を理解しているのだろうか?という疑問が湧きあがって来たのです。


そして、人は、なぜ他者に解って貰いたいと思うのだろうか?

自分の気持ち、感情とは、一体何なのだろうか?

人は、なぜ気持ちを解って貰いたいのに、出来事ばかり話すのだろうか?


私は、ずっとそんなことを考え続けて来ていたところがあったのです。

そして、ふと、思ったのです。


もしかして、一番解っていなければいけない自分自身が、実は一番解っていないのではないか?

それは、自分の感覚では捉えていても、言葉にして理解していないということなのではないだろうか?

言葉で理解出来ていないから、言葉で伝えられないのではないか?


他者に解って欲しい気持ちとか感情は、どちらかというとネガティブな感情なのではないか?

辛い、悔しい、悲しい、寂しい、侘しい、虚しい、残念、がっかり、惨め、恥ずかしさ、照れくささ、情けなさ、無力感、孤独感、罪悪感、嫌悪感、挫折感、劣等感、不満、屈辱、後悔、恨み、憎しみ、嫉妬、軽蔑、恐怖、不安、苛立ち、憂鬱などなど。


そして、ある出来事で自分が傷ついたことは解っていても、どのように傷ついているのか、どのくらい傷ついているのかは、感覚的には解っていても、実際の所は解っていないのではないだろうか?

だから、他者に解って欲しいと思うのではないだろうか?

解って欲しいという思いは、教えて欲しいという想いでもあるのではないだろうか?


特に、その傷の大きさや深さなどのサイズ感が自分では解らずに、解って欲しいと思うのではないだろうか?

自分では感覚的には解っていても、言葉で解っていないから、それを知りたくて、教えて欲しくて、だから解って欲しいと思うのではないだろうか?


もし、自分の感情をきちんと自分の言葉で理解し、言葉で表現出来たとしたら、逆に他者に解って貰う必要は少なくなるのではないだろうか?


自分にとって一番身近な存在である自分自身が、自分の味方として理解してあげることなのではないだろうか?


要は、自分の感情を感覚だけでは無く、自分自身が言葉で理解し、言葉で表現出来るようになることが自己受容の本質なのではないだろうか?


自分自身の感情をきちんと言葉で理解し、言葉で表現出来れば、他者の気持ちも言葉で理解し受け止められ、それを言葉で教え、気づかせてあげることも出来るのではないだろうか?


それが、『自己受容出来るようになれば、他者受容も出来るようになる』ということなのではないだろうか?


自己受容とは、自分の感情を一旦抑圧し、自分の中でしっかりとその感情を自分の言葉で理解すること。

自分の言葉で理解するということは、自分自身を抱きしめるような感じなのではないだろうか?

そして、自分の感情を理性的に自分の言葉できちんと伝えられるようになること。


それが、精神的に『大人になる』ということなのではないだろうか?

それこそが、『自我の確立』ということなのではないだろうか?


不思議な感覚の母の夢を見て、私は年末の最後にそんなことを考えていたのでした。


自己実現塾 2 ~12月期~  (了)

2020年1月 9日 (木)

自己実現塾 2 ~12月期~ (3)

(3)不思議な夢

12月28日の朝、私は目覚める前に不思議な夢を見ました。

それは、『意識と無意識の境界』を感じる様な夢でした。


私は、4~5年前から持っていて、読みたいと思っていながら読めていない本が二冊ありました。

一冊は、『母という病』。

もう一冊は、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』というものでした。


私は、11月の下旬頃から、『母という病』を読みました。

そこには、グレートマザーに憑依された症例が沢山記載されていました。


私は、読みながら、自己実現塾で学ばれているお母さん方で、子どもの不登校や子どもとの関係で悩まれている方は、読んだ方が良いと感じました。

しかし同時に、読むタイミングを誤るといけない本だとも思ったのです。


私は、そういう意味では、以前から所持していながら、これまで読んで来なかった理由が解ったように思ったのです。

捉え方を間違えると、間違った方向へ行ってしまう可能性が高い本だとも思ったのです。


やっと私の心が、素直に受け止められる状況になったことで、読むタイミングが巡って来たのだと感じた本でした。

その本を読み、私は子どもという立場では、間違い無く母の被害者だったのだと思ったのです。

しかし、同時に私に対しては加害者であった母も、子の立場になった時には被害者だったのだとも思ったのです。


母は、六人兄弟の長女ですが、戦争中に実母が家を追い出され、無理矢理実母と別れさせられ、戦後継母が現れ、10歳位年が離れた妹が生まれてからは、ずっと妹や弟の育児をやらされて来ていたようです。


私が小さかった頃、何度となく継母に対する恨み辛みを聞かされたことか分かりません。

それは丸で呪文のようでした。

祖母に対する恨み辛みを言う母のことが、嫌で嫌で堪らなかったのを覚えています。


私が小学生になった頃、母の実家である青森の北津軽に返ると、私と妹は実家に預けられ、母は一人隠れて実母に会いに行っていました。

私が一緒に行きたがっても、母は私に自分が実母に会いに行くことは内緒にするように言い聞かせ、一人で実母に会いに行きました。


私は、母が散々恨み辛みを言っていた継母に私たちを預け、自分一人が大好きな実母に会いに行く母の姿は、子ども心にも嫌でしょうがなかったのです。


私は、『母という病』という本を読んで、そんなことを思い出しながら、被害者としての自分のことよりも、母も被害者だったのだと、憐れに感じたのです。


『母という病』は、母性の負の側面が強く出た状況で育てられ、最初は被害者だった子どもたちが、次第に大人になり、子を持つことで今度は加害者になって行くという、連綿と続いて来ていて、誰かがその過ちに気づいて止めない限り、ずっと続いて行ってしまうものだと感じました。


私は、『母という病』を読了後、12月の課題図書を読み、そして、『三島由紀夫 作品に隠された自決への道』を読み始めました。

読んで直ぐに、野口先生が動画で話された、『意識と無意識の境界』の話しを思い起こし、「三島由紀夫は、正に無意識に凌駕されて自決したのだろう」と思ったのです。


そんな時、偶然、河合隼雄先生の『魂にメスはいらない』、『無意識の構造』、『影の現象学』という三冊の本に出会いました。


そして、三島由紀夫の本は途中にして、まずは『無意識の構造』を読んだのです。

そこには、数々の無意識の『元型』と夢の関係が書かれていました。


28日は、丁度その『無意識の構造』を読み終えた後でした。


私が目覚める直前に見た不思議な夢は、母との夢でした。

考えてみると、母が夢に出て来たのは、もしかしたら始めてかも知れません。


私は、夢の中で、ある30歳位の女性の『心構え』の試験受けをしていました。

私とその女性がテーブルを挟んで向き合って座っています。

試験を受けているのは、現在の私です。


30歳位の女性は、俯き加減で顔は見えません。

そして、女性は何も話しません。


しかし、試験を受けている私は、その女性は若かった頃の母だと感じ、母の懺悔の心の声が聞こえて来るのです。

そして、向き合っている私は、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と言い、互いに涙しているのです。


すると、30歳位の母は、いつしか35歳位の母になり、やはり同様に俯き懺悔しているのです。


そして、向き合っている55歳の私は、同じように、『貴女は何も悪くない。貴女は貴女なりに一生懸命やって来たんだよ』と、再び言い、認めて受け入れているのです。


その言葉を聞き、母は涙を流し、その姿を見て私も涙しているのです。


そして本当の私は、試験受けをしている私の右斜め上方から、二人の姿を見つめて、『それでいい』と思っているのです。


右上方からそれを見つめている私は、冷静に若かりし頃の二人の母を見て、既に私自身が当時の母の年齢を上回り、今では娘のように思える様な年齢になっていることに気づいたのです。


必死に子育てをしていたであろう30歳と35歳の母を見つめている私は、母を親目線で見つめている自分に気づいたのです。


その時、目覚ましの音楽が鳴り、私は目を開けずに目覚ましを止め、瞼を閉じたまま、向き合った二人をしばらく俯瞰し続けました。

そして、目覚めていながらも、仰向けで瞼を閉じ、俯瞰し続けていた私は、突如涙が止めども無く溢れて来たのです。


その時、私はこれまでずっと、母に対してだけは、子の立場で居続けていたことに気づいたのです。


しかし、今の私から見れば、私の様な、きかん坊の5歳の男の子と2歳の女の子を抱えた30歳の一人の女性と考えた時、正しいとか間違っているとかではなく、ただその時出来ることを一生懸命にやって来たことには間違いはないのだと思ったのです。


そして、誰も悪くは無いと思ったのです。


私は、ずっと子の立場で甘え続けていたのは、自分だったのかも知れないと思ったのです。


この時の私は、一人の55歳の男として、30歳や35歳の一人の年下の女性としての母と向き合っていたのです。

まさか、夢の中とは言え、年下の母と会うことになるとは思ってもみませんでした。


もしかしたら、母とのことが一歩前進出来たのかも知れないと思いました。


また、無意識の中から浮かび上げって来ていた夢を、意識を持った状態のまま見続けた私は、こういうところが、野口先生が指摘する、『意識と無意識の境界線の弱さ』なのかも知れないとも思ったのでした。


(つづく)

2020年1月 8日 (水)

自己実現塾 2 ~12月期~ (2)

(2)習慣力を付ければ心の器は育まれるのか

今回の課題図書だった『プロフェッショナルの習慣力』を読んでの私の感想は、特に目新しい内容は感じられず、単にこれまでの自分の行動に対する考え方の確認という感じで、正直物足りなさを感じていました。

ただ、今月の課題は、全体の流れの中の一部だと思い、『心が行動を変え、行動が心を変える』という言葉がある通り、先月は心から入り、今月は行動から入ることを教えて頂いているのだと思っていました。


しかし、正直なところ、私の中では、何か腑に落ちないものがずっと付いてきていました。

そして、それが何なのか、私の中ではそれがある程度分かっていながらも、ハッキリさせることをどこかで避けているようにも感じていました。


12月も下旬になってから、私は何故か野口先生の動画から録音した音声を、風呂に入りながら何度となく聞いていました。

そして、野口先生が動画の最後にまとめで話した言葉。


「心の容器をしっかり作ることが先決ですよ」

「心の容器を作ることが自己受容力を高めることにもなるし、自分づくりにもなりますよ」

「そして、心の容器を作る為には、外的な容器としての生活の中の枠組み、そういったものが大切なんです」


私は、野口先生の言うことが間違いだとは思いませんでした。

しかし、逆説的に、『では、生活の中の枠組みをしっかりさえすれば、必ず外的な容器が作られ、心の容器はしっかりしたものになるのか?』という疑問がハッキリと見えてしまったのです。


そして、その答えは、『ノー』だと思ったのです。

それは、私がこれまでにやって来たことや、両親の行動からも分かることなのでした。


私は独立して直ぐ、事務所に神棚を作り、毎朝手を合わせていました。

そして心の中では、こう願っていたのです。

「私は、私が正しいと思ったことを行っていきます」

「私の行動に間違いが無い時は力を貸して下さい」

「しかし、どんなに私が正しいと思っていても、大きな目から見たら間違っていることもあると思います」

「その時は、事を上手く運ばせないようにして下さい」


また、私の母は、毎日朝昼晩の三回、仏壇に向って『般若心経』を唱えています。

父が亡くなってからは、宗教活動は止めたようでしたが、お祈りだけはずっと続けて来ているのです。

朝起きる時間、起きてからやること、そして食事時間や寝る時間など、全て決まり切った行動をしていて、丸でロボットのようなのです。

人に合わせるということを全くしないのです。


私が離婚後に後悔と自責の念に苛まされていた時、 『般若心経』を唱える声や鐘の音が耳触りで、止めて欲しいと言っても、『貴方のため』という偽善の言葉で止めなかったのです。


私は小学生の中頃位までは、母の事は好きだったのです。

友だちの母親と比べて、私の母親は綺麗だとも思っていました。

しかし、小学生の高学年位から徐々に好きではなくなって行き、気がついた時には大嫌いになっていたのです。

そして、母の干渉から逃れるために、16で高校を中退し家を出たのです。


しかし、27で父が亡くなってから、その後私が経済的に面倒を見るようになりました。

6年前に同居を開始し、母との同居がきっかけで離婚したのです。


私は、心の中では何度も早く死んで欲しい、早く私の目の前からいなくなって欲しいと思って来ているのです。

母は、私自身の嫌なところや大嫌いな自分の象徴のような存在なのです。


一昨年の気づきで、全ての人を許せる気持ちが持て、自殺した父のことも許す事が出来、父の愛を感じることも出来たのに、唯一母だけは、頭では許せても、感情的には許せていない自分がいるのです。


理性的には、感謝もし、許せてもいるはずなのに何故なのか・・・。

私の中での最大の壁であり、闇みたいなものなのです。

私は、この問題を解決する為に、なぜ私がそこまで母の事を嫌悪するのかが自分でも解らず、『退行催眠』みたいなものを受けてみることを考えたこともありました。


そういう母を常に見ているせいなのか、野口先生が教える『習慣』を作れば、『心の器が強くなる』という考え方に疑問が生じていたのです。


しかし反面、私も研修の中では、『考え方ややり方』を変えるためには、それが無意識で出来るようになるまでやり続けなければいけない、習慣化するまでやり続けることが大切なのだと話し、その覚悟を『心構え』として確認しているのです。


そう考えた時、大切なのは、『習慣を作れば、心の器が強くなる』ということではなく、『習慣を作る』、あるいは、『生活の中の枠組みをしっかり作る』のは、何故なのか?という、明確な目的意識が無いといけないのではないかと思ったのです。

そして、『心の器を育む』こと、『心の器を強くする』ことは、目標ではあっても、目的ではないと思ったのです。


あくまでも目的は、『自我の確立』であり、『自己実現』なのです。


他の受講生のみなさんが、そこのところをどの様に捉えられているのかは、私にはわかりません。

しかし、私の中で腑に落ちなかった部分は、目標が目的化しているように感じていたところだったと気づいたことでした。


そして、この『目標の目的化』こそが、人を『幸せ』から遠ざけてしまう原因なのではないのか?

私自身の過去を振り返った時、そう感じずにはいられないのでした。


(つづく)

2020年1月 7日 (火)

自己実現塾 2 ~12月期~ (1)

(1)外的な器を構築する理由

自己実現塾2ヶ月目のテーマは、『心の器を育む』というものでした。

前月の『心の安全基地を強化する』ということについては、まず、人間には、『防衛機制』という、生まれながらにしての守りの機能が備わっていて、人は無意識に自分の心を守っていることを教わりました。

そして、その守り方が健康的なら良いのですが、健康的ではない守り方の場合は、自分を傷つけたり他者を傷つけたりしていることになっていることを教えられたのです。


その健康的ではない、本能的な守り方のことを、『アクティングアウト』と言い、その中でも特に健康的ではないのが、『躁的防衛』というものでした。


これらのことを知ることにより、まず自分がどうなのかを知ることから始まりました。

私は、アクティングアウトを知ったことで、多くの気づきを得ることが出来ました。

自分自身の過去の行動や考え方の理由が解ったのです。


自分の中での『なぜ?』に対する理由が解ったことは、私にとってはとても意味のあるものでした。


そして、アクティングアウトをしている場合、その理由は、『心の守り』が弱く、それを強化する必要があるとのこと。

その為には、『健康的な守り方』を知り、健康的な守り方を身に付けて行くことで、徐々に健康的ではない守りを手放して行く方法を教えられました。


私自身は、既にこの数年間の中で、『アクティングアウト』や『躁的防衛』という言葉を知りませんでしたが、善い言葉を身に付けて行く事や、日常の中で身に付けて来た習慣で、知らない内に自然と『心の安全基地』を少しずつ強化して来たのだと思いました。


ただ、私の『心』の問題は、多分相当根が深く、まだたまに強烈なアクティングアウトをしてしまう時があるのが現実です。


9月の酒席の場でそれが出てしまい、翌日は自己嫌悪に陥ったりしていました。

当時はまだ、『アクティングアウト』を知らなかったので、それまでは単なる自分の酒癖の悪さだと思っていたのです。

しかし、『アクティングアウト』を知り、この2ヶ月間の学びの中で気づいて来たことも合わせての対処法もいくつか見つかったので、今後は更に減らして行けるのではないかと思っています。


また、自分自身の『なぜ?』が解ったことで、他者に対する『なぜ?』も理解出来るようになり、これまで受け入れられなかった他者の言動も受け入れられ、他者に対して寛容になれそうな気持ちにもなりました。


以上のように、11月は、『心の守り方』という内側からの観点で学びました。

それに対して2ヶ月目の12月は、『心の器を育む』ということをテーマに、その育み方を学びました。

そして、育み方の前に、まずは、『心の器』とは何なのかということから始まりました。


『心の器』は、『心的容器』とも言われ、ユング博士は、『心の子宮』と言ったそうです。

『心の器(心的容器)』とは、『自分の感情を一旦抱えて、自分で何とかする為の器』だそうです。

ただ、感情と言うものをずっと自分で抱え続けなければいけないと言う意味ではないとのことです。


例えば、悲しみの感情を一旦抱えて、自分で何とか出来そうだと思えば日記に書いたり、一人で抱えるにはきついから友だちに聞いて貰うとか、特にきつい感情は、お金を払ってプロの心理カウンセラーに聞いて貰うとかの選択があるとのことです。


いずれにせよ、抱え続ける必要はないのですが、一旦自分で抱えてその感情をどう扱うかを決めることが出来るとしたら、心の器がかなりしっかりしていると言うことでした。


心の器が弱いうちは、適切な選択をする間もなくアクティングアウトに漏れ出てしまうのだそうです。


また、心的容器は、自分の体験や気づきを納める容器でもあり、心の葛藤を納める容器でもあるとのことです。

自分の体験や気づき、葛藤、相矛盾する気持ち、それらを一旦納めて熟成させ、自分の宝に変えて行く、自分の血肉に変えて行く、そういう器でもあるとのことです。


心の器が脆弱ということは、自我の確立が出来ていない状況とのことです。

そして、心の器が脆弱な時の特徴として3つ教えられました。


1.アクティングアウトしやすくなる


アクティングアウトしやすくなるのは、健康的な守り方である『抑圧』が出来ないからだそうです。

私自身は、『抑圧』というと、逆に自分を抑えつける様なイメージで、あまり『良いもの』と捉えていなかったのですが、抑圧も防衛機制の一つだそうです。

心理学では『抑圧』という言葉の意味を、『湧き上がってくる感情にフタをして、それを無意識下に押しとどめ、意識の邪魔をしないようにすること』だそうです。

抑圧がきちんとできないと、湧き上がってくる感情に翻弄されまくることになり、頻繁にアクティングアウトすることになるのだそうです。


ただ、抑圧ばかりしていたら、無意識下に抑圧された感情は、どんどん蓄積していき、それを抱えること自体がストレスになり、アクティングアウトや病気とかの身体症状として表面化することもあるので、大切なのは、抑圧と解放のバランスとのことでした。

そして、抑圧する力をつけるための方法として、外的な器(枠組み)を整えることが大切とのことなのです。


2.境界線が弱い(あいまい)


境界線の弱さは、『他者と自分の境界』、『意識と無意識の境界』の二種類があるとのことです。

『他者と自分の境界』の弱さは、他者から侵入されるし、自分が侵入してしまうのだそうです。

そして、自分が侵入してしまうケースで多いのが、過保護や過干渉とのことです。


これには、私も思い当たる部分は多分にありました。

過保護ではないと思うのですが、過干渉ではあると思うのです。


最近は、息子に対しては大分境界線が引ける様になって来たとは思いますが、他者に対してはまだまだだと思います。

特に、男女を問わず好きになった人に対しては、より過干渉になってしまう傾向があると思います。


好きではない人、どうでも良い人に対しては、逆に鉄壁のような態勢になるのに、好きな人には良かれと思って過干渉になってしまうのです。

それが、境界線の弱さということだと思ったのです。


意外だったのは、『意識と無意識の境界』でした。

これまで、そんなことは考えたことが無かったからです。


『意識と無意識の境界』が弱いというのは、『夢』や『妄想』に振り回されることだそうです。


『夢』に関しては、振り回されるとまでは考えていませんが、潜在意識からの何らかのメッセージの可能性はあるという捉え方をして来ていました。

また、『妄想』に関しては、『関係妄想』、『被害妄想』、『注察妄想』、『恋愛妄想』などがあるのだそうですが、私の場合は、『関係妄想』の傾向が強いように思いました。


『妄想』は、過去経験していることをベースに考えてしまうことで、無意識の中に自分が過去繰り返して来た考え方のパターンや思考のパターン、自分が馴染んで来たイメージのパターンがあり、それらが意識の中に浮上して来ているのだそうです。


境界線がしっかりしていれば、無意識のパターンに凌駕されるのではなく、目の前の現実を冷静に認識し、現実を吟味して、思い込み、妄想だったと抑圧することが出来るとのことです。

逆に境界線が弱いと、妄想に乗っ取られて、妄想を現実のように思ってしまうのだそうです。


私の場合は、妄想に乗っ取られるまではいきませんが、やはり思い込みや決めつけの強い所はかなりあるので、境界線が弱いのだと思いました。

ただ、この『妄想』に関しては、『洞察力』や『想像力』との関係が私としては少し気になる所でした。


そして、『他者と自分の境界』と、『意識と無意識の境界』は連動していて、どちらかが弱いと両方弱くなり、どちらかが強くなれば、両方強くなるのだそうです。


他者との接点が比較的少ない私としては、今後、『意識と無意識の境界』を意識して、『妄想』や『思い込み』を抑圧するようにして行こうと思いました。


3.秘密を持てない


この『秘密を持てない』というのは、『誰にでも自己開示してしまう』ことだそうです。

これに関しても、私は結構該当すると思ったのですが、反面、もの凄く秘密主義な部分もある為、はっきりと分からない部分ではありました。


私の自己開示の傾向は、子どもの頃に親から、『嘘や誤魔化しがいけないこと』として、叩きこまれたせいもあるかも知れず、ある意味『バカ正直』なのです。

『嘘をつくこと』と、『聞かれてもいないことを自ら言うこと』の違いをきちんと把握出来ていないのだと思いました。


離婚前の私は、隠し事はせずに何でも相手に伝えていました。

きっと言わなくても良いこと、相手としては聞きたくないことまで聞かされていたのかも知れないと思いました。


ただそれは、今思えば、私の中で抑えておくことが出来ずに、自分の気持ちを楽にしたかっただけなのかも知れないとも思います。

そう考えると、『心の器』の小ささと弱さを感じました。


『秘密を持つこと』と、『嘘をつくこと』の違いをしっかり認識しておかないと、混同してしまうのだなと思ったのです。


そして、大切なのは、まずはしっかりした器を作り、蓋を閉められるようにすることで、これが『自我の確立』であり、それがある程度進んだら、自分の感情を解放するのだそうです。


要は、感情は抑圧と解放のバランスでコントロールするものだということだと思いました。

そして、その順番が大切で、抑圧せずに解放ばかりしているのはアクティングアウトになってしまい不健康である為、しっかり抑圧出来るようにしてから、安全に解放するようにすることが大切だとのことでした。


その為にまず必要なのが、心の器を育み、しっかりと蓋を出来るようにすることなのだそうです。


そして、心の器(内的な器)をしっかりとしたものにする為には、外的な器を構築することが大切で、それは生活環境の中にしっかりした枠組みやルールなどをきちんと作り、生活にリズムや秩序を取り入れることと教えられたのです。


そして、12月の課題図書は、森本貴義著書の『プロフェッショナルの習慣力』というものでした。


(つづく)

2019年12月15日 (日)

俺の道 ~アラカン編~ 自己実現塾『晴太老の部屋』の巻 (5)

(5)進化の瞬間

俺は、夏目雅子が好きだった理由の原点を思い出した。

それが、『西遊記』の三蔵法師だったとは・・・。

とんだ記憶違いだった。


それに気づいた俺は、一旦そこで思考停止させたのだった。

既にその日の剣道の稽古に行く時間が迫っていたのだった。

俺は、晩飯の支度を終えて、稽古に向った。


この日館長は、先週からヨーロッパ三カ国の指導の為の海外遠征中で留守だった。

すると、稽古開始前に館長に代わり、七段教士で一番年配のK先生がみんなに集合を掛けたのだった。

そして、突然発表したのだ。


「先週の11月28日と29日に行われた全国八段審査会で、当道場のO先生が見事合格されました!」


まさに突然の発表だった。

その場にいた全員が感嘆の声を上げて拍手した。


そして、続けて、言われたのだった。


「今回の審査会では、初日1,000人の内合格者3名、二日目1,000名の内合格者4名で、合格率は初日0.3%、二日目0.4%でした」

「O先生は、二日目の4人の合格者の内の一人です」

「神奈川県の合格者は、O先生一人だけでした」


みんな更に続けて感嘆の声を上げ、大きな拍手を送ったのだった。

O先生は、私が入門してからは、館長以下3人目の八段合格者だった。


O先生はこれまで、七段の中では一番下座に位置していたのだが、この日の稽古では、館長が不在だったために一番の上座になったのだった。


そして、稽古が始まり、俺はいつも通り六段のY先生に基本稽古をお願いした。

基本稽古を終えた俺は息を整えるべく、道場の隅から何気なくO先生の姿を見ていた。

丁度蹲踞から立ちあがった所だった。


すると、これまでは感じていなかったものをO先生から感じたのだった。


ずっと以前から俺が思っている八段の先生と七段の先生の圧倒的な違い。

『構え』

構えた時の立ち姿の美しさ。


全く力みが無いのに一本筋が通っているように見える構え。

その姿は、俺には、天上界から見えない光の糸で吊られているように見えるのだ。

何か神々しさの様な美しさを感じるのだ。

それが、八段としてのオーラなのだろうと思うのだ。


それは、蹲踞から立ちあがった時だけではなかった。

打ち合いの中でも相手との間合いを取った瞬間に見える構えの中でも同じだった。

俺は思った。


『すごい・・・』


この日見たO先生は、前週までのO先生の構えとは全く違って見えたのだった。

俺にはそう見えたのだ。


それは、蛹から脱皮して蝶になった瞬間を見た様な思いだったのだ。

すると、ある思いが浮かんで来たのだった。


「きっと、合格したことで一切の迷いが無くなったのだろうな・・・」

「それが確信となり、格となって表れているのだろうな・・・」


これまでの俺は、八段の先生方が共通して持っている七段の先生との違いを感じることは出来ても、それが一体何であるのかが分からなかった。

しかし、それが少しだけ分かったような気がしたのだ。


昨年八段に昇段したK先生の時は、昇段の前後、しばらくK先生は稽古に来られていなかったからその違いに気づけなかったのだ。

八段になってから稽古に来られるようになった時には、既に館長と同じオーラを放っていたのだ。


しかし、今回のO先生は、昇段審査日前日の稽古を見ていたのだ。

だから、気づけたのだと思う。

その違いに。


O先生は、その日の稽古の最後に穏かな表情でお礼を述べられ、68歳だと言われた。

七段での修業期間が、20年だったのか30年だったのか、何年だったのかは分からない。

しかし、やはり壁を越えた時、人は変わるのだと思ったのであった。


越えたから変わったのか、変わったから越えられたのか・・・。

本当のところは、俺にはまだ分からないのだが・・・。


俺は、自分の感覚で得た気づきを、もしかしたら剣道女子だったというPさんなら分かって貰えるかも知れないと思い、『気骨ある人生』という言葉のお礼に、剣道での気づきをコメントしたのであった。


(つづく)

2019年12月14日 (土)

俺の道 ~アラカン編~ 自己実現塾『晴太老の部屋』の巻 (4)

(4)お釈迦様の掌の上

Pさん、参りました!


俺は、Pさんへの返信コメントの冒頭にこう書いたのだった。

剣道の三本勝負なのに、一撃でいきなり二本取られてしまったような気分だったのだ。

Pさんからのコメントに書かれていた言葉とは・・・。


『気骨ある人生を送ってこられたのですね』


俺は、これまでの人生でそんな風に言われたことは、かつて一度も無かった。

胸を一発で打ち抜かれた感じだった。

イチコロだった。


男前だった。

男前過ぎだった。

カッコ良過ぎだった。


俺はシビレタのだった。


『男前』は俺にとっては、女性に対する最上級の讃辞なのだ。


なぜなら、若い頃の俺は、ただ可愛いだけのアイドルとかには一切の興味が無く、『鬼龍院花子の生涯』を演じた夏目雅子と、『極道の妻たち』を演じた岩下志麻に憧れたのだ。


そして俺は、『沈黙は金、雄弁は銀』という言葉を思い出したのだった。

正にPさんの一言は、『沈黙は金』に値する一言だと思ったのだ。


するとその日の夜、晩飯の支度をしていた俺はあることに気づいたのだった。


それは、『気骨ある人生』だなんて・・・と、一人Pさんの言葉を思い出し、ニヤケながら炒め物の鍋を振っている時だった

俺は、Pさんに対し、なんて褒め上手な人なんだろうと思ったのだった。

そして、きっとご家族(特に旦那さん)は、奥さんの掌の上で転がされていて(遊ばせて貰っていて)、幸せなんだろうなぁと思ったのだった。


するとその時、ふと俺の中でお釈迦様の掌の上の孫悟空のイメージが湧いて来たのだった。

そして、以前子どもの頃に見た、堺正晃主演のドラマ『西遊記』の中の、夏目雅子演じる三蔵法師を見て、夏目雅子に憧れていたことを思い出したのだ。


俺の記憶の中では、夏目雅子を好きになったきっかけは、『鬼龍院花子の生涯』と『時代屋の女房』だとばかり思っていたのだが、そうではなかったのだ。


『西遊記』の三蔵法師・・・。

それが夏目雅子を好きになった理由の原点だったんだ・・・。

単に夏目雅子の美しさに憧れたのではなかったのだ。


俺は、自分の中の記憶の間違いに気づいたのだった。

そして、『西遊記』を見たのは中学生の頃だったように思ったのだ。


更には、若い頃はよく、自分が孫悟空で、お釈迦様のように掌の上で遊ばせてくれる様な人に憧れを持っていたことを思い出したのだった。


求めるべき理想像が少し見えた様な気がしたのだ。

忘れかけていた求める女性像を思い出したのだ。


ただ、それが今後の俺にどう影響するのかは分からない・・・。

しかし、この夏に味わったようなものとは、大分違う様な気がして来たのだった。

何か、今後の俺が目指す理想の家族像に、新たなスパイスが加わった様な気がしたのだった・・・。


(つづく)

2019年12月13日 (金)

俺の道 ~アラカン編~ 自己実現塾『晴太老の部屋』の巻 (3)

(3)晴太老の部屋

俺は閃いたのだった。

誰もが出入り自由な俺専用の場所を作ってしまえば良い。

そして、イメージとして思い浮かんだのが、『徹子の部屋』だった。

俺は、コミュニティフォーラムの中に『晴太老の部屋』を作ることを思いついたのだった。


俺は、『晴太老の部屋』を始めるに当たって、一番注意したいと思ったことは、俺の気づきは自分の経験体験を通しての気づきである事から、どうしても俺の過去を書くことになることだった。

そして、その過去は、俺にとっては既に乗り越えていることから、既にトラウマだとか、深い心の傷ではないのだが、見方によってはその様に見えてしまい、同じような悩みや迷いを持っている人にとっては、俺の書くことがその人のトラウマや深い心の傷を誘発してしまう可能性があることだった。


それは、最初にアクティングアウトと一緒に教えられた、『マインドレイプ』に繋がる可能性があるということだ。

俺は、その点に注意を払い、俺が書くことは既にトラウマや深い心の傷では無いことを記載した。

その上で、トピックのタイトルは、『俺だけの部屋』みたいになっているが、そうではないから、みんなのコメントも大歓迎だと記載したのだった。


『晴太老の部屋』を始めるに当たって俺は、その考えをまずは記載したのだった。

そして、最初の投稿として、11月にアクティングアウトを知ったことによる俺の気づきを書いたのだった。

いきなりのカミングアウトみたいな形で。


10代は高校1年で中退し、ヤンキーの暴走族で、スピード狂で、ヤクザとも平気で喧嘩し、暴力の塊みたいな人間であったこと。


そして、20代は言葉による暴力、恫喝をしていたこと、不動産業界に入ってからはワーカーホリックであったこと、特に独立してからはそのワーカーホリックが加速し、仕事は上手く行っているのに自ら破滅に向う様な誰もがやらないことを自ら好んでやってきたことなどを。


更にそれらの行為は、傍から見たら自殺行為であり、全てはアクティングアウトのリストカット、いわゆる自傷行為と同じであったことに気づいたこと。

それらの『死を恐れない行為』こそが、俺の最大のアクティングアウトであったことに気づいたことを書いたのであった。


それは16で家を出てから急速に加速し、50過ぎまで約35年もの間続いて来ていたこと。

更には、なぜ俺は、健康的ではないアクティングアウトという方法しか取れない人間だったのか?

なぜ俺は、健康的な心の守り方が出来ない人間だったのか?

その疑問の先にあるものにも気づき始めて来ていることも書いたのだった。


その日は、他のメンバーからのコメントは何も無かった。

俺は更に翌日、『永遠の少年』元型の去勢についての俺の経験を書いたのだった。


実際にその気づきが果たしてそうだったのかは分からないが、俺はユング博士が唱える、『集合的無意識』の中の『永遠の少年』元型に適合していると思ったのだ。


そして、昨年12月の気づき。


俺のそれまでの人生での最大の気づき。

自分を許し、自殺した親父を許し、更には騙されたと思っていた人たちをも全て許す事が出来た気づきが、『永遠の少年』からの脱皮である、『去勢』だったのかも知れないと思うことを書いたのであった。


そして、その過程の中で、『集合的無意識』の中のもう一つの元型、『グレートマザー』元型の負の側面である過保護、過干渉による子どもを支配する心理から脱却出来たことを書いたのだ。


俺は以前、『巨人の星』の星飛雄馬の父親である『星一徹』と同じく、超スパルタで強要ばかりしていた頃は、正しく『グレートマザー』に憑依された状態だったと思ったのだ。

そして、息子と別れた寂しさと苦しみの中で、自分の過ちに気づけたことで抜け出せたことも書いたのだった。


俺は一度ブログで書いている事から、大分コンパクトにまとめて書けたと思ってはいるが、それでもかなりの文章量であることは間違いなかった。

始まって1ヶ月を過ぎたところだが、俺が一番自己開示し、一番多く書いているのは間違いないのだ。


果たして、こんな長いものを最後まで読んでくれる人はいるのだろうか?

最初から、こんなに自己開示して、変な奴と思われるだろうな・・・。

拒絶する人も沢山いるだろうな・・・。

そう思いながら、俺は投稿したのだった。


そして翌日、朝起きて見ると、前夜の内に一通のコメントが寄せられていた。

俺はホッとした。

そして、嬉しかった。


それは、Pさんという子どもを持つ母親である女性からのコメントだった。

それには、『信念』についての問いかけと、アイデンティティについての考えが書かれていた。


俺はコメントしてくれたことへのお礼の気持ちと、『信念』についての俺の考えを、具体例を上げて伝えた。

その具体例には、息子に対する俺の信念を書いた。


すると今度は、Nさんという不登校の子を持つ母親である女性からのコメントが寄せられた。

そこには、『晴太老の部屋』を始めたことへの感謝の気持ちと、俺の気づきや考え方に共感したというメッセージが書かれていた。


そして、そのコメントに対するお礼のメッセージを俺が書くと、その翌日には、Bさんという、やはり子どもを持つ母親の女性から、子どもに対し口うるさくなってしまったり、怒ってしまったりで、子どもを信じることが出来ていない、俺やNさんのように子どもを信じられるようになりたいというコメントが寄せられたのだ。


俺は、自分も以前は超スパルタで、最初から今のようには出来ていた訳ではなかったこと、そして出来るようになったきっかけや考え方を伝えた。


その翌日には、それに対するNさんの自分の経験に基づくコメントがあり、Bさんが俺とNさんに励まされるような形になった。


コミュニティフォーラムでは、聞かれてもいないことに対する会員間の直接的なアドバイスは禁止されている。

だから、あくまで相手の悩みや苦しみを感じ取り、それに合わせた自分の経験体験で得た気づきを伝えるだけだ。

それを読んだ人がどう捉えるかは、人それぞれなのだ。


しかし、そうは思っていても、活字の表現だけで、こちらが望んだ形で受け止めて貰えると、やはり嬉しいと感じるのだった。

やってみて良かったなと思えるのであった。


更には、まだ投稿者個人の経験体験や考え方などはコメントせずとも、共感するところが多々あり、興味深く読ませて貰っているとお礼の気持ちを伝えてくれる人も出て来た。


これまでに、俺の『晴太老の部屋』には、4人の人が来てくれたのだ。


そして、12月3日、俺は自分が剣道の二段に合格した時に館長が話してくれた、『これからの心構え』から得た気づきの話しを通し、俺が『親』という肩書を捨てられたことと、肩書を捨てたことで、俺自身が『自由』になり、息子との関係が良好になっていること、更には、そこに至る際の自分の気持ちの変化を新たに書いたのだった。

するとその翌朝には、BさんとNさんから共に励みになったとのお礼のコメントが来たのだった。


俺はその日、新たに今月の課題である『心の器を育む』こと、そのためのルーティーンについての考え方を書き、二人の『子供は親への授かりものではない。神様から預かった尊い個の人格を持った存在なのだ』という考え方についての俺の考え方を書いた。


そこに俺は、田坂広志先生の『3つの真実』と、その真実に基づく田坂先生の問いかけを書き、そこから得られた俺の気づきを記載したのだった。


するとその日の午後、『晴太老の部屋』を始めて、最初にコメントを送ってくれたPさんからのメッセージが来ていた。


Pさんからのメッセージは数行と短いものだった。

そして、Pさんも昔剣道に打ち込んでいた時期があったと書かれていた。

Pさんは剣道女子だったようだ。


そして、そこに書かれていた一言で、俺はPさんから剣道の三本勝負なのに、一撃でいきなり二本取られたような気持ちになったのだった。


(つづく)

2019年12月12日 (木)

俺の道 ~アラカン編~ 自己実現塾『晴太老の部屋』の巻 (2)

(2)誰にも見せない自分の感情を記す日記に代わるもの

事務局担当者から回答を得た俺は、直ぐお礼の返信をした。

そして、取りあえずコミュニティフォーラムの中では直ぐにブログの存在は明かすことは止めた。

そして、今後の塾との関わり方を考えたのだった。


俺がブログの存在を明かすかどうかを考えたのには理由があった。

それは、10月26日のメールで野口先生が『誰にも見せない自分の感情を記す日記』をつけることを推奨されたことにあった。


野口先生からのメールを読み、俺は直ぐに田坂広志先生の『こころの技法』に記載されていた、『内省日記』と同じだと思ったのだ。

そして俺は、『こころの技法』を読んで『内省日記』を知った時、俺が『俺の道』を書いていることとある意味同じだと思ったのだ。


内省日記との違いは、『誰にも見せないもの』なのか、『誰かが見る可能性があるもの』なのかの違いと、小説風に語り口にしているかどうかだ。

そして、この『誰かが見る可能性があるもの』であることが、実は今の俺にとってはとても意味のあることなのであった。


やっていて気づいたことなのだが、誰かに見られる可能性があるということで、俺は一度流して書いたものを何度も読み返すのだ。

そして、その読み返しにこそ、本当の意味があることに気づいたのだ。


何度も読み返すことで、その出来事の意味に気づいたり、当時の自分の感情に気づいたりするのだ。

そして、少しでも嘘偽りの無い真実の自分を表現したいという心理が働き、誇張されていた記憶が修正されたり、それまでのネガティブな捉え方がポジティブな方向へ変わったりするのだ。


その結果、書いている出来事に対する当時の捉え方や対応の仕方を見つめることが出来、当時の自分をそのまま受け入れられるのだ。

更には、記憶に残る出来事に対し、一つずつ『あれで良かったのだ』と思えているのである。


俺はそのことに書いている内に気づいたのだ。

最初からそれを狙った訳ではなかったのだ。


最初は、自分の気づきを将来の息子に役立つかどうかは分からないが、今の俺が残せるものとして、言葉として残してやりたい、それが見ず知らずの誰かにも役に立ったら更に嬉しい。

ただそれだけだったのだ。


それが結果的に、小説風に書くことに気づいたことで、それが自己受容に繋がっているということなのだ。

それも急速に。


そして、面白いのが、何度も読み返しながら書いている内に、その当時関わっていた、既に忘れかけていた人たちに対する色々だった思いが、全て感謝する気持ちに変わって来ることだった。

これは一種、『遺書』を書いた時に出て来る感情に近いものがあるかも知れないと思ったのだ。


俺は、何度か本気で死を考えた時に、何人もの人それぞれに『遺書』を書いたことがあるのだが、最後は『感謝』しか無くなるのだ。


こんな弱い自分で、ごめんね。

ダメな自分で、ごめんね。

でも、そんな自分とこれまで付き合ってくれて、ありがとう。

そういう気持ちになるのだ。


そこまで行き、最後息子宛に書いた時、俺は途中で書くことが出来なくなり、『俺と同じ苦しみを味わわせてはいけない』、『俺と同じ思いをさせてはいけない』と気づいたのだ。

そして、その感謝に少しでも報いたいという気持ちが生まれ、もう少し頑張ってみようと踏ん張ることが出来たのだ。


そして今、『俺の道』を書くことで、当時の若かった自分に対し、息子に語りかけるように、認め、許し、受け入れることが出来るようになって来たのだった。


言い換えれば、自分で自分を育て直しているようなものなのだ。


俺は、『自己受容』を深めて行く為の一つの手段として、『自分の過去を小説風に書くこと』と、その効果・効用を知って貰えると、他の受講生の気づきに役立つのではないかと考えていたのだ。

しかし、やり方を間違えると、『俺の過去を知って貰いたい』と思っているようにしか受け止められかねないとも思うのだ。


結果的にどう受け止められるかは、人それぞれだから、俺自身はどう思われようと一向に構わないのだが、入口の目的だけは一応ハッキリと伝えておかないといけないとも思っているのだ。


そして、塾が始まった11月1日にコミュニティフォーラムの最初のトピックに、日記についてのトピックが立ったのだった。

俺は、そのトピックが立った時に、そういうことを発言して良いものなのかどうか悩んだのだ。

俺はこういうやり方をしているよと、言っていいものなのかどうなのか。

直ぐに答えは出なかった。


俺は、11月の動画を見てのコメントで、ある女性受講生の子どもとの会話に感銘を受けたのだった。

そして、俺はその感銘から与えられた喜びに対するお礼を伝えたくなり、『コメントを見て感じたこと、気づいたこと』のトピックを新たに立てて発信したのだ。


俺の発信には、何人かの方が反応してくれ、俺は自分の考え方や気づきを綴るようになった。

そんな時、11月も下旬になって来た頃、俺が立てたトピックに新たに投稿してきた女性のコメントに俺は直ぐに対応出来なかったのだ。


その女性のコメントを読んだ時、俺は以前の俺と重なったのだった。

凄く相手のことを心配しているのに、その表現が不器用で上手く伝えられず、相手を攻撃しているように捉えられかねない内容だったのだ。


俺はその対応を考えた時、俺の塾への関わり方を明確にしておかないといけないと思ったのだ。

そして、俺は野口先生(事務局)宛てに質問メールを送ったのだった。


その間に先の女性がコメントした相手の女性がコメントを返したのだった。

内容を読むとその女性も同様だった。

お互いがお互いを心配しているように俺には感じるのだが、見え方は丁寧な言葉を使っていながらも攻撃し合っているように見えてしまうのだ。


俺は、先の女性が投稿したことに気づいて直ぐにフォロー出来なかったことを悔やんだ。

そして、俺が二人に対するフォローを考えている内に、二人のコメントは事務局により削除されたのだった。


俺は何か凄く悔しくなった。

そして、やるせない気持ちになったのだった。


この自己実現塾は、オンラインの塾だ。

現状、概算で160人位が参加していると思うのだが、自分のプロフィールを書いている人は1割前後だと思う。


そういう意味では、本名も住まいも分からず、何処の誰かも分からない人たちが集まって、それぞれがそれぞれの目的で受講している人たちが集まっているだけのコミュニティなのだ。

塾が終わった後も人間関係が繋がっていく人が出来る確率はかなり低いと思うのだ。


人のことなど気にせず、自分の学びだけに集中してコミュニティフォーラムには参加せず、一人でやっているのが一番良いのかも知れない。

しかし、それでは、この塾を100%活用していることにはならないと思うのだ。


自己受容を深めることで、他者受容も深まると野口先生は言われている。

そして俺は、その『逆も真なり』もあると思っているのだ。

その為のコミュニティフォーラムだとも思っているのだ。


女性二人のコメントが削除されたその日の夜、俺は晩飯を作りながら考えていた。

俺のブログの存在を明かさずに、かつ、ブログに書いて来た俺自身の気づきを、押しつけや余計なお世話にならない形で上手く伝えられる良い方法がないかと・・・。


翌朝、俺は起床してトイレに入っていた。

そして、閃いたのだった。


『俺の道』をコミュニティフォーラムの中に作っちゃえば良いんだ!


これまで俺は、メインの動画を見てのコメントを記載した後、自分のトピックにコメントをしてくれた人への返事を書いたり、他の人が立てたトピックに書きこんだりしていた。

要は、あっちこっちで書いていたのだ。

そして、トピックは今後、毎月の課題が変わっていく中で、色々なものが色々な人から立てられると思ったのだ。


そう考えると、それでは統一性が全く無く、自分の気づきもあっちこっちに散らばってしまうと思ったのだ。

それでは、最終的に何が何だか分からなくなってしまうのではないか?

俺は、そう思っていたのであった。


それに対し、これから自己実現塾が終了するまでの残りの11ヶ月間をずっと通して書き続ける場所を作ってしまえば良いと気づいたのだった。


誰でもが出入り自由な俺専用の場所を作ってしまえば良い。

俺はそう考えたのだった。


(つづく)

2019年12月11日 (水)

俺の道 ~アラカン編~ 自己実現塾『晴太老の部屋』の巻 (1)

(1)自己実現塾との関わり方

11月25日、俺は自己実現塾の野口先生宛てに一通の質問メールを送った。

塾では、事務局宛てと野口嘉則先生宛ての質問メールが用意されていたが、野口嘉則先生からメンバー個人へ直接の返信はないことになっていた。

野口先生への質問は、教えられたことに対する質問で、メンバーからの質問の中で多いものに対して、週2回のメールレターの中で質問に答えて行くという形式を取っているのだ。


俺の質問は、教えられたことに対する質問ではなく、野口先生から回答を得られる訳でもないことを知りながら、敢えて野口先生宛てに送ったのだった。

それは、俺自身の今後の塾との関わり方に関する質問であり、『野口先生の塾を邪魔するようなこと(混乱させるようなこと)はしたくない』という、俺の気遣いからのものだった。

そのため、野口先生から直接の返信が頂けなくても、事務局からでも構わないから返信を頂きたい旨を記載して質問を送ったのだった。


質問内容は2つだった。

まず一つ目は、野口先生の動画セミナーやメールレターで語っている言葉を引用、転載、転送などを禁止されている為、俺が『自己実現塾』で学んでいることと、その気づきをブログに書いている事に対する可否。

2つ目は、気づきについてブログをやっていることをコミュニティフォーラム内で明かして良いかどうかの可否。

この2点だったのだ。


俺は、『俺の道』のURLを記載して質問メールを送った。

そして翌日、俺の思った通り、野口先生直接ではなく、事務局から回答が送られて来た。

その回答は、あくまで事務局担当者のこれまでの経験に基づいた個人的な参考意見としてのものだった。


そこには、過去のオンライン塾で、俺のように他の受講生の役に立てればとの善意からばかりではなく、自分のビジネスの宣伝も兼ねてURLを記載する人が何人もいたことからHPやブログのURLの書込みは禁止にしているとのことだった。

そして、野口先生が語っている言葉の引用、転載、転送については、禁止だが、学んだ者が自らの言葉で語られることは問題ないと思うとの回答だった。

俺には、事務局担当者からの回答で十分だった。


そもそも俺にとってのブログ『俺の道』は、今では俺の自己受容を深めて行く為の一つの手段になっていて、書いている目的は、自分自身の為なのだ。

そして、将来の息子の為に、現状残してやれるものを何も持っていない俺にとって、唯一残せるものとしての『言葉』としてのものなのだ。

更に欲を言えば、見ず知らずの誰かが、偶然俺のブログと巡り会い、その言葉の中から何かを感じ、何かを得てくれたら、こんなに嬉しく、ありがたいことはないというだけのことなのだ。

そして、その喜びを感じることが俺自身の幸せの一つである以上、全ては自分自身の為なのであり、ビジネスが目的ではないのだ。


俺のブログは、アフリエイトや何らかのビジネスにつなげることを目的としているようなものではないから、仮にどんなに読者が増えようと1円にもならないものなのだ。

だから、本音で楽しく書けるのだ。

その為に俺のブログでは、コメントやトラックバックというものも一切やらず、メールのみの対応にしているのだ。

最近のSNSのような、見ず知らずの誰かの誹謗中傷に付き合う気は全く無いのだ。

何かあれば直接メールで伝えてくれれば、それにはきちんと対応するつもりなのだ。


逆にいえば、だから、『ビジネス目的や宣伝の様には思われたくない』という思いも強い。

そのように思われる位なら、知られない方が良いと思っている。

だから俺は、野口先生(事務局)へ確認したのだった。


(つづく)

2019年12月 3日 (火)

自己実現塾 1 ~11月期~

◆ アクティングアウト

自己実現塾1ヶ月目のテーマは、『心の安全基地を強化する』というものでした。

まず、自己実現のためには、『自我の確立』が必要。

そして、『自我の確立』とは、『自分づくり』であり、それは、自分という人間の基礎を固めること。


建物に例えると、『自我の確立』とは、建物の『基礎』であり、『自己実現』は、その上に建つ『建物』だそうです。


しかし、人の心は、建物のように基礎と建物がハッキリと区別出来るものとは違い、『自我の確立』は、ここまで行けば完了というラインは無く、一生掛けて取り組んで行くテーマだとのことです。

私の中のイメージとしては、『自我の確立』に取り組み続けることで、より大きくしっかりした基礎が出来れば、その上に建つ建物も、より大きく立派なものが建てられる、というものです。


その『自我の確立』の為のキーとなるものが、『自己受容』とのことです。

そして、『自己受容』の為に大切なのが、自分の心の中に安全な領域を確保すること。

安全領域を確保し、安心感を育むこと。


それは、『心の安全基地』を確立すること。

そして、心の安全基地を強化していくことが大切で、それは、『守り』を強化していくということ。


なぜ、守りを強化する必要があるのか?


人間には、『防衛機制』という、生まれながらにしての守りの機能が備わっていて、人は無意識に自分の心を守っているのだそうです。


そして、その『無意識の守り』が、『自分を傷つける守り方』だったり、『相手を傷つける守り方』の健康的ではない守り方と、建設的で健康的な守り方があるとのことです。

そして、健康的ではない守り方の場合は、他の健康的な守り方を身につけていくことが必要だとのことなのです。


その健康的ではない、本能的な守り方のことを、『アクティングアウト』と言うのだそうです。


私は、この言葉を知りませんでした。

そして、野口先生の話を聞けば聞くほど、納得させられたのです。


アクティングアウトとは、『自分では抱えきれない感情や葛藤を行動や態度にして表すこと』。

それは、行動や態度で表すことで、自分の気持ちをまぎらわしているのだそうです。


その最もたるものが、『怒り』の感情。

『怒り』とは、『第二感情』といい、怒りの前に本来の『第一感情』があるのだそうです。


その第一感情は、惨めさ、悲しさ、虚しさ、寂しさ、劣等感、不安感、無力感などだそうです。

それらの感情を真正面から受け容れることは、よほど心が強くないと出来ないとのこと。


自分の心を守るために『仮想敵』をつくり、本来の第一感情を、『怒り』という第二感情にすり替えているのだそうです。

『怒り』を相手にぶつけることで、本来の自分の感情に直面せずに済んでいるのだそうです。


『怒り』の感情自体が『守り』であり、本来直面しなければならない耐えられない気持ちから、気持ちを逸らしてくれる守りの機能なのだそうです。


『怒り』を相手に向けて何らかの行動や態度で出すとしたら、それはアクティングアウトであり、自分の心を守っているのだそうです。


相手に向けたアクティングアウトとは、相手に向けて怒りの言葉をぶつけたり、批判したり、責めたり、無視したり(態度)など。更には、人ではなく物に当たるのも同じです。


自分に向けたアクティングアウトとは、ヤケ食い、過食、飲み過ぎ、浪費、買物依存、ギャンブル依存、リストカット、自傷行為など。


これらは、全てアクティングアウトなのだそうです。


そして、アクティングアウトの中でも、特に不健康な守り方が、『躁的防衛』といわれるものです。

躁的防衛とは、高揚感によって、本来自分が持っている感情を紛らわす心の守り方で、依存傾向が強くなる守り方だそうです。

アルコール過多、買物依存、ギャンブル依存などが該当し、躁状態を無理して保とうとすると、極度の落ち込み、行きすぎた自己嫌悪、依存症など、その反動があるとのことです。

それと、11月下旬に見た別の動画では、ワーカーホリック、不倫なども躁的防衛だと話されていました。


野口先生は、それらの内容をいくつもの例え話で分かり易く教えてくれました。

そして、『自分に当てはまる』と思っても、それが良くないという話ではなく、『今の自分には守りが必要なんだ』、『自分はそうやって守っているんだ』ということを、しっかり受容することが大切だと話されたのです。


人間は、誰もが皆不完全な人間であり、直面出来ない感情が色々ある。

直面出来ない感情から、自分はちゃんと自分を守るために、何らかの方法を取ってきたんだなと、自分が自分の心を守っていると言うことを受け容れること。


そして、アクティングアウト、躁的防衛をしている人を見掛けたら、この人はこうして自分の心を守っているんだな、必死で自分の心を守っている姿なんだなと、そうゆう目で理解してあげると良いと話されました。


その上で、今の自分の守り方があまり健康的ではないのであれば、いきなりそれを全部止めようとしてもなかなか難しい場合が多い。

他の健康的な守り方をドンドン取り入れることによって、今までの不健康な守り方に依存しなくてもいい状況を作れば良いと教えられたのです。


そして、守り方のバリエーションとして、人と心理的な距離を取ることの大切さとその方法。

また、『オープンマインド』が良いものと思われているが、そうとばかりは言えないことも話されたのです。


いきなりのオープンマインドは、自分の守りを取っ払うことにもなりかねなく、次第に気心が知れて来て信頼感を得て自然に心を開いて行くことや、長い付き合いの中で自然に互いにオープンマインドになることの大切さを教えてくれました。


そして、健康的な『守り』の方法を多数教えてくれました。


例えば、対人恐怖症の人にとっては、伊達眼鏡やマスクとか、女性にとっては化粧自体が安心感を生む守りの一つだと。

その他、健康的な守りとして、ブランド品、資格や肩書、実績や業績、スキルや知識、歌や音楽、心の支えになる言葉や考え方、本など。

信仰心では、土光敏夫氏や稲盛和夫氏が有名であること。

スピリチュアルなものを信じる気持ち、お守りやパワーストーン、縁起をかつぐことなど。

尊敬する人の存在やロールモデル(理想な人、こういう人になりたい)を持つこと。

貯金、プライベートな空間、一人になれる空間を持つこと。

生活の中での変わらないリズム、秩序、ルーチン(決まった手順)など。

これらの全てが、心の『守り』であると教えられたのです。


そして、何かを持つ行為も、その方法が最初は何かに頼る外側の守りだったものが、次第に内在化(内面化)され、内面化されるとその物自体が無くても大丈夫になる。

そして、内面化される事でかさぶたのように自然にはがれていく。

だから、どんどん守りを取り入れていって良いと話されたのです。


更には、『守り』は、弱さに見えるが、強くしていくために必要なことで、段階を追って次第に強い心が出来あがって行く。


『守り』を知ることで、それをしている人を否定する必要がなくなる。

なぜそんなことをするのか?そんなことに頼るのか?の疑問が解ける。

みんな心を守っているんだなと、許す気持ちが生まれてくると、話されたのです。


私は、『アクティングアウト』、『躁的防衛』という言葉を知りませんでした。

動画を見た直後、私は特に10代から20代の頃、最終的にはつい1~2年前まで、『怒り』によるアクティングアウトと『飲酒』による躁的防衛をかなりしていたと思ったのです。

そして、守りのバリエーションを知ることによって、これまで自分が他者に対し、「なぜ、そんなことをするのだろう?」、「なぜ、そんなことに拘るのだろう?」と理解できなかったことに対しての意味を知ることが出来たのです。

そして、自分から見て好ましくないことでも、不思議と許せる気持ちが生まれて来て、何か人に対して少し優しくなれそうな気持ちになったのです。


更に、動画を見た受講生からの様々なコメントを読み、多くの方々が其々の悩みを抱えながら生きていることを痛感したのです。

そして、多くの受講生の方がアクティングアウトしてしまっていることを知りました。

特に多いと思ったのは子どもに対するアクティングアウトでした。


分かっていながら、怒鳴ってしまう、怒ってしまう、イライラして当たってしまうなど。

それに悩むおとうさんやお母さんが多いのには驚きでした。

みんな同じだと思いました。


私も別れる前の息子には、正に巨人の星の『星一徹』みたいな親父だったのです。

暴力こそ振るいませんでしたが、超スパルタで多くのことを強要して来たのです。

その時の私の気持ちは、『いつ俺が死んでも、一人でも生きていけるような人間に育てなければ』との傲慢な思いだったのです。


私は離婚したことで息子と別れ、その後自分の過ちに気づき修正することが出来ました。

しかし、本来であれば、別れてから、失ってから気づいても遅いのかも知れません。

受講生の中で同じような悩みを持っている方には、そうなる前に気づいてくれることを願わずにはいられませんでした。


また、『オープンマインド』に関しては、特に私が若い頃は、凄く人見知りで自分からは絶対に声を掛けないのに、何かの拍子で知り合った人には直ぐにオープンマインドになるという両極端だったことを思い出したのです。


そして、私がオープンなのに相手がオープンになってくれないと、信じて貰えていないと感じて、一気に切り捨てて来ていたのです。


更には、好きでも嫌いでもないどっちでも良い人との付き合いは面倒臭く、嫌いな人の部類に入れてしまい、好きな人としか付き合って来なかったのです。


人の好き嫌いがハッキリしていて、分からない人には分からなくて良い、分かる人だけが分かってくれれば良いという考え方で生きて来たのです。


その辺の所をよくよく考えてみると、「信じて貰えていない」と感じた時の、悲しさや寂しさや虚しさに自ら目を向けていなかったことに気づいたのです。


だから私は、息子と別れるまで、寂しさという感情を知らなかったのかと思ったのです。


私は考えました。


人間関係を切り捨てることで、そういう感情から逃げていたのか。

自分が傷つくことから逃げていたのか。

そうして自分を守っていたのかとの思いに至ったのです。


そして、「逃げる」という表現だと、何か悪いことをしているように感じるのですが、「守る」という表現にすると良いことのようにも感じることにも気づいたのです。


更には、若い頃の私は、『人間関係を断ち切ること』が、一番のアクティングアウトだったのかも知れないと思ったのです


きっと自分の弱さを隠す為に強がっていたんだろうなと思ったのです。

以前の私は、単に自分が優しくない人間、愛の無い人間と考えていた時期がありました。

しかし、その原因が、オープンマインド過ぎたのかも知れないとの思いに至ったのです。


オープンマインドが悪いことだとは思わないのですが、それも『中庸』があってのことなんだろうなと気づいたのです。


この時私は、『オープンマインド』と言葉にすると、何かカッコ良く聞こえますが、日本語にすると『心を開くこと』だと思ったのです。

そして、『いきなりのオープンマインド』は『いきなり心を開くこと』。

『いきなり心を開くこと』と言うことは、『いきなり心を裸にすること』と同じだと思ったのです。

そして、これが『心』を表現する『言葉』だから良い様なものの、もしこれが肉体だとしたらと考えたのです。


会って間もないのにいきなり素っ裸になったとしたら・・・。

私は、『単なる変態』じゃないかと思ったのです。

『オープンマインド』とは、悪く言うと、『心の裸族』なんじゃないかと思ったのです。


そして、想像したのです。

会っていきなり素っ裸になって、相手も裸になってくれないから怒るという姿を。

そう考えると、普通は絶対に裸にはならないと思ったのです。

逆に普通だったら悲鳴を上げて逃げる、あるいは殴られると思ったのです。


そして、もし素っ裸になるとしたら、それは同じ裸族じゃないとありえないと。

それこそ、ヌーディスト村に一緒に暮らす様な人じゃないとありえないことだと。


その時の私は、自分はそういうことをしていたのかと、そういうことを求めていたのかと、自分で自分が可笑しくなったのでした。

そして、『オープンマインド』も、段階を追って徐々に行わないと、変な誤解を与えてしまうことになることを知ったのでした。


その後、アクティングアウトについて、私は色々考えました。

そして、最初に気づいた、『人間関係を断ち切る』以上の最大のアクティングアウトに私は気づいたのです。

『人間関係を断ち切る』アクティングアウトは、私の気づきの入口にしか過ぎなかったのです。


私にとっての最大のアクティングアウト。


それは、『死を恐れない行為』だと思ったのです。


それに気づいたのは、野口先生が動画の中で話していた、自らを傷つけるアクティングアウトの代表的なものが、自傷行為であり、少女に多いリストカットだとの話しを思い出してのことでした。


私自身は、リストカットのような自傷行為を行ったことはありません。

ですが、若い頃は常に、『いつでも死んでやる!』という気持ちで暴れていたのです。


特攻隊に憧れました。

三島由紀夫の様な死に方に憧れていました。

『死』に対する美学みたいなものを持っていたのです。


16~18の頃は、単車で死ねたら本望、車で死ねたら本望と思っていました。


10代の頃はヤンキーの暴走族で、バイクでは中央分離帯があり、横には逃げられない道路を全開で逆走したり、フルチューンした車で高速道路を200km以上で暴走したり、ヤクザ相手に平気で喧嘩を売ったり、スピード狂で、全て暴力で解決しようとしていました。


成人してからは、暴力こそ振るいませんでしたが、時々言葉による暴力、恫喝をしていました。

そして、23で不動産業界に入ってからは、ワーカーホリックになりました。


29で独立し、31で二社目を立ち上げ、1000億円企業を目指して上場を夢見始めてからは、完全なワーカーホリックでした。

休み方を全く知りませんでした。

ある意味、休むことが怖かったのです。

そして、仕事が上手く行き始めると、誰もがやらない危険な仕事に手を出したり、高利の金に手を出したり、自らの生命保険を担保に大金を調達したり、自分の仕事は上手く行っているのに敢えて全財産を別なものに投入したり・・・。


白黒がハッキリしていなければイヤで、常にゼロか100かの考え方をしていたのです。

そして、沢山失敗して来ました。

何度も死を考えました。

しかし、その度に手を差し延べてくれる人が現れ、今の私があるのです。


既に亡くなった大好きで大切だった人に言われ、これまで答えの無いまま、ずっと深く心に残っている言葉があるのです。


「何で貴方は、自ら好き好んで火中の栗を拾いに行くの?!」


当時、山手線の大久保だったか新大久保だったかで、線路に落ちた人を助けに自ら線路に降りて、電車に轢かれて亡くなった韓国人大学生の事故があったのです。

その人は、私にそれと同じようなことばかりしていると言ったのです。

その時の私は、それが何故なのかは、自分でも分かりませんでした。


唯一つ言えたことは、『そうしなかったら、俺は俺でなくなる』というものだったのです。


私の捨て身の行動の裏には、常に、『俺が俺であるために』というものがあったのです。


私は、40代の中頃、『このまま歳を取って行き、自分が自分の意思で死ねなくなったら』と考えた時、とてつもない恐怖に襲われたのです。

普通だったら、『死を怖れる恐怖』なはずなのに、私は『死ねない恐怖』、『生きてしまう恐怖』に怯えたのです。

その頃までの私は、『いつでも死んでやる』、『いつでも自決出来る』という自分が、自分を支えていたのかも知れないと思ったのです。

それこそが、当時の私のアイデンティティだったのかも知れないと思ったのです。


私は、過去の自分を振り返り、『死を恐れない行為』、所謂、周りから見たら自殺行為としか思えない行為こそが、少女のリストカットと同じだったのだ、それは自傷行為によるアクティングアウトと同じだったのだと気づいたのです。


私は、高校を中退し、16で家を出て、両親の束縛から逃れ、一生懸命生きて来たつもりでした。

しかし、自分では無意識に35年もの間、自傷行為を繰り返していたのかと気づいたのです。


私がそれに気づいたのは11月11日でした。


そのことに気づいたことで、私はこれまでの自分が歩んで来た道に対し、合点がいったのです。

腑に落ちたのです。

なるほど・・・と。

そういうことだったのか・・・と。


私はこれまでの経験体験からの気づきで、少しずつそういうものを乗り越えては来ました。

しかし、それが何故なのか、理由がずっと分からないままだったのです。


単に自分はそういう人間なんだと、特殊な人間なんだと思っていたのです。

生まれ持ったものだからしょうがないと思っていたのです。


しかし、アクティングアウトを知ったことで、過去の自分の行動が論理的に理解出来たのです。

全ては『自分の心を守るため』だったのかと。


そして、更にその先にあるものも、朧気ながら見えて来た感じなのです。


『なぜ俺は、健康的ではない、アクティングアウトという方法しか取れない人間だったのか?』

『なぜ俺は、健康的な心の守り方が出来ない人間だったのか?』


アクティングアウトを知った私は、この『なぜ?』こそが、人間としての根源的なものなのではないかと感じ始めているのです。

なぜならそれは、自分で考えてやっていた訳ではなく、『無意識』にやっていたということに気づいたからです。


そして、それは、きっと親子関係にあるのだろう・・・。

それも、特に母親との関係に・・・。


そんな風に感じ始めているのです。


しかし、慌てる必要はないと思っています。

時期が来れば、必ずその答えも見つかるだろうと思っているからです。

そして、この自己実現塾を学んでいく中で、きっとその答えが見つかるのではないかと感じ始めているのです。


私のアクティングアウトが徐々に減って行ったのは、二度目の離婚が機だったと、今では思います。

考えてみると、離婚前の私には、『守り』というものが全く無かったのです。

しかし、離婚を機に、その後の私の『守り』は、自分では気づかない内に増えていたのです。


最初は、生き方や考え方、心理や哲学に関する読書。

そして、剣道。

離婚前は全く見なかったTVドラマの視聴。

研修に参加してからは、『善い言葉集め』。

毎月研修に参加し、インストラクターとしての研修生との対話。

自分の心に響いて来る歌詞の曲を繰り返し聞くこと。

朝晩の歯磨きの時にやっている、『笑顔はみがき』。

買物をした時に必ずレジの人に『ありがとう』と笑顔で言うこと。

息子が戻って来てからは、息子の為に毎晩作る料理。

そして、息子と一緒に過ごす晩酌の時間。

今年から始めた、自分の人生の目的や生き方についてのアファーメーション。

今年の2月頃から始めた、『幸福日記』。

自分が目指す、『大きな樹のような人間になる』を意識し続ける為に、スマホやPCの待ち受け画面などを全て『日立の樹』にしていること。

7月から始めた気づきのブログ。

そして、自分の過去を小説風に書いてブログにアップすること。

8月頃から毎日行っている池江選手への応援クリック。

年に一度の三峯神社への参拝や小学生時代の恩師に会うこと。

1~2ヶ月に一度、友に会って飲むこと。


これらは全て、私にとっての『守り』になっていたんだなと思ったのです。


そして、新たに始めた、『自己実現塾』での学び。

この学び自体も『守り』であると思ったのです。


そして、これらの守りが徐々に増えて来たことで、私は知らない内にアクティングアウトをしなくて済むようになって来たのだと思ったのです。


今の私は、気持ちの中でたまにムッとすることはあっても、それを怒りとして表に出す事はほとんどなくなってきています。(まだ、年に何度かやってしまう時はありますが・・・)

それよりも、些細なことで喜びや幸せを感じられる自分に変わって来ているのです。

そして、『死ぬこと』よりも、どう生きるのか、どう人や社会に貢献して行くのかという、『生き方』こそが、私にとって最も大切なことになっているのです。


私は、色々な気づきを得て、変わって行く自分を実感してはいても、それが何故なのか論理的に知ることが出来なかったのです。


しかし、今、こうして自己実現塾で学ばせて頂き、『なぜ?』を知ることで、更に自分自身の気づきが深まって行くのを感じるのです。


私は、これからの自分がどう変わって行けるのか、それが今一番の楽しみなのです。


そして、自己実現塾の今後の受講予定項目の『シャドー』。


ユング博士が言った言葉。


「シャドーの中に黄金がある」


野口先生がメールの中で紹介された、シャドーについて語っている言葉の中の一つ。


「完全なる私になるための、もう一つのピース。それがシャドー」


『シャドー』について学べる日を心待ちにしている私なのでした。


受講開始1ヶ月目から、大きな気づきを得させて頂いた自己実現塾でした。


自己実現塾 1 (11月期) ◆ アクティングアウト (了)

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